May 23, 2025

連休後くらいから5月下旬ごろ。

病院への道中。

出産が近づいてきたからかなんなのかわからなけど、産まれてきてどうかるのか、どれくらい元気で生まれてくれるのか不安になったりもしていた。
このひと月ほどそんな不安はあまりなく、入院なく家で過ごせるかどうかの方が目の前にあって産後のことはあんまり気にできなかった。

家からあまり出ずで、入院かも、と気にしながらの生活は落ち着きはしない、疲労もある、なのにこれはこれでひと月も経てば安定するんだなと思う。とらちゃんが生きてくれてて、名前もついて、なんとなく一緒にいるのは楽しかったりもするから、生まれてきていなくなるかもと思うと先に進むのも緊張する。

いろんなことがあってすごい長い時間を一緒にすごしてる感じがして、妊娠期間としては結構幸せだったのではないかと思った。
2人目のようちゃんの時は、初期の出血と入院をのぞいたら順調で安産でなにも覚えてないわけじゃないけど書き残したいようなことはあまりなかった。

こんなふうに困ることでもなければ、ここまでいろんな人に頼ることもなかっただろうし、頼ったら助けてくれる人がいるということが実際に起こって経験してしまうということは、価値観や今後の人生を変える出来事かもしれないと思った。
人生が変わらないなんてことは、どんなひとりの人間(特に自分の子となればなおさら)との関りのなかにもないのだろうと思うけれど。

でも、そもそも正常ではなく異常だと言われている子との生活だったからやっぱりこれまでにないことをいろいろ考えたと思う。異常(マイノリティ)の意識というか。人に話しながらなんだかきっと理解してもらえないだろうと思うことがベースに侵入してきた。
それで、自分がこれまでどんなことをしていてもマジョリティの意識でいたんだなと逆にわかった。


診察が終わった。
来週は2回目の羊水除去。
相変わらず、頭は大きくなっており骨盤から出ない可能性もあるので前回の健診で予告されたとおり帝王切開を視野にいれつつになった。

帝王切開になる条件は今のところ大きく二つで、頭の直径が10センチを超えることと、とらちゃんの心臓が弱いので経膣分娩の方向で一旦行ったとしても耐えれそうになければ帝王切開への切り替えとのことだった。
その他、予期せぬ事態はまた当然別にあるだろうけど。
経膣分娩にしても、家で自然に陣痛を待つのは羊水過多だとリスクが大きいので入院して誘発を行うとのこと。破水したときに、いろいろ危険の可能性があるそうで、胎盤はがれちゃったりとか。
ようちゃんの時の出産が突然の破水から始まっているので、この点は自分でも不安だった。そもそも、どんだけ水でるの?みたいな単純なことも含めて。

そんな感じで羊水が多すぎるまま分娩もよくないみたいで、しかも水が多いと逆子になる可能性高く、それも含めて羊水除去にはなった。
帝王切開なら37週に入る6月8日以降の早い時期に、経膣分娩でも予定日より大分早い出産になるんじゃないかな。


芸術祭が終わってからしばらくしんどかった体調は、その後なんだか少し落ち着いてたけど、本格的に重くなってきて寝がえりなど大変。腰にもきている。息苦しさは大丈夫かと病院では聞かれるけど、それはほぼなく、胃が気持ち悪くはるけど食べれないというほどでもない。運動はほとんどできてないので、帝王切開でないとしたら、こんなんで出産の体力もつのかと不安になったりする。


来週の羊水除去の入院の話のことだったかなんだったか忘れてしまったけど、ようちゃんが「みおちゃんととらちゃん病院行くの。ようちゃん、ひとりぼっちになっちゃう」と言っていた。
妙に絵本っぽい言い回しと思ったけど、ようちゃんは聞き知った言い方を、しかも割と劇的なやつでも、試すのが好きだからそうなんだろうなと思う。
その時は、一人じゃないやんと突っ込んだ気もするけど、寂しいとかそういうニュアンスをちゃんとつかんでるんだろうなと思った。
それを言った直後には、あらたと絡んで笑い転げていた。大したことじゃないのか、と思う。と同時にまあ、何かで頭のなか一色なんてことの方が実はあんまりないことなんだろうと思う。うちもとらちゃんのことは頭にのぼるけれど、他にもいろいろあって忘れているようなときもそれなりにある。でも全部完全にバラバラにあるわけでもなく、いろんな形で結びついているとは思う。







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