October 26, 2014

【023】いさぎわるいから生きている

新月を撮ろうとした写真。
中央の白いのが新月、ではなくたぶん飛行機雲。
前回の続き。

僕には「残るということへの執着と罪悪感がある」。

「残るということへの執着」と書いたけれど、執着そのものが残ることであるから、執着は省略できて「残ることへの罪悪感」。

逆に残らないこと、つまり「消えることは潔い」と思っている。
これも言葉としては冗長で、消えることそのものが潔い。
潔いという言葉の一例として消えることがあるのではなくて、消えることそのものが潔い。だからこれも省略できて「潔い」だけ。

その「潔い」の逆だから、残ることは「いさぎわるい」。

「いさぎわるい」という言葉はないので「潔くない」ということだけど、罪悪感も合わせた表現として「いさぎわるい」という言葉がしっくり来る。そして、罪悪感というもの自体も「いさぎわるい」に含むことができる。

どんどん言葉が省略されていって、最終的に僕も消えてなくなれば、単に「いさぎわるい」。

世界で最後に残るのは「いさぎわるい」だけ。

『はてしない物語』 で虚無によってファンタージエンは砂の一粒まで追いやられた。その一粒は「いさぎわるい」だろう。

この世界のすべてのものは「いさぎわるい」から派生している。
まず光があったわけではなくて「いさぎわるい」があったのだろう。

なぜ生きているのかという問いが時々僕に襲いかかる。
それは前回の回答を更新すべき時が来たということ。
大体10年周期ぐらい。

「悲しむ人がいるから」の次が「死ぬ理由がないから」。
そしていまは「いさぎわるいから」。

これでまたしばらく時間が進む。



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