新月を撮ろうとした写真。 中央の白いのが新月、ではなくたぶん飛行機雲。 |
僕には「残るということへの執着と罪悪感がある」。
「残るということへの執着」と書いたけれど、執着そのものが残ることであるから、執着は省略できて「残ることへの罪悪感」。
逆に残らないこと、つまり「消えることは潔い」と思っている。
これも言葉としては冗長で、消えることそのものが潔い。
潔いという言葉の一例として消えることがあるのではなくて、消えることそのものが潔い。だからこれも省略できて「潔い」だけ。
その「潔い」の逆だから、残ることは「いさぎわるい」。
「いさぎわるい」という言葉はないので「潔くない」ということだけど、罪悪感も合わせた表現として「いさぎわるい」という言葉がしっくり来る。そして、罪悪感というもの自体も「いさぎわるい」に含むことができる。
どんどん言葉が省略されていって、最終的に僕も消えてなくなれば、単に「いさぎわるい」。
「残るということへの執着」と書いたけれど、執着そのものが残ることであるから、執着は省略できて「残ることへの罪悪感」。
逆に残らないこと、つまり「消えることは潔い」と思っている。
これも言葉としては冗長で、消えることそのものが潔い。
潔いという言葉の一例として消えることがあるのではなくて、消えることそのものが潔い。だからこれも省略できて「潔い」だけ。
その「潔い」の逆だから、残ることは「いさぎわるい」。
「いさぎわるい」という言葉はないので「潔くない」ということだけど、罪悪感も合わせた表現として「いさぎわるい」という言葉がしっくり来る。そして、罪悪感というもの自体も「いさぎわるい」に含むことができる。
どんどん言葉が省略されていって、最終的に僕も消えてなくなれば、単に「いさぎわるい」。
この世界のすべてのものは「いさぎわるい」から派生している。
まず光があったわけではなくて「いさぎわるい」があったのだろう。
なぜ生きているのかという問いが時々僕に襲いかかる。
それは前回の回答を更新すべき時が来たということ。
大体10年周期ぐらい。
「悲しむ人がいるから」の次が「死ぬ理由がないから」。
そしていまは「いさぎわるいから」。
これでまたしばらく時間が進む。