June 9, 2020

【713】あらゆるものを勝ち負けに分類したがる傾向は勝者の側だけでなく敗者の側にもある。もう一つの軸の存在。

勝者も敗者も、勝敗を最優先する思想において同一線上にいる。勝者が勝敗にこだわるのはもちろん、敗者もまた勝敗にこだわる。勝敗という前提がなければ、自らの存在位置を得られないからだ。

こういった一軸的な思想は常に相補的に現れる。相手が居て初めて存在しうる。共存関係だ。勝者と敗者の共同作業によって生み出される勝敗という価値は、勝敗を決定するためのルールによって規定されている。

世の中には勝敗を決しなければならないシーンも確かにある。しかし、それは常に勝敗という前提で物事を考えていればいいというほどの恒常性や絶対性を持たない。思われているほど勝敗は重要ではない。

サッカーの試合が勝ち負けだけの問題であれば、最初のコイントスで十分であるはずだ。サッカー選手は90分間何をやっているのだろうか。サッカーの選手は勝つためだけに日常的にサッカーを営み続けることができるのだろうか。

サッカー選手は楽しく面白いからサッカーをやっているように僕には見える。このとき勝敗の軸は楽しさや面白さという軸に直交し位置している。勝者と敗者が生じることがサッカーの楽しさや面白さを向上させていることは確かだ。勝者と敗者が生じないようなボールを脚で蹴る遊びはあるだろうが、その遊びはサッカーとして成立した競技としての楽しさや面白さを生まない。

サッカーの楽しさや面白さと勝敗は或る種の関係を結んでいるが、同一線上に重なっているわけではない。勝者も敗者も生じないスポーツなりゲームなりは存在する。それらが必ずしも退屈だとは限らない。勝敗は一つの要素でしか無い。

ロジェ・カイヨワの遊びの分類は、アゴン(競争)とアレア(運)だけではない。イリンクス(めまい)やミミクリ(模倣)もその要素だ。そして、この4つは平面を作り出す。カイヨワに従うとするならば、4つの要素によって生じる場所で、僕たちは遊んでいる。この4分類にどれほどの正当性があるかはともかく、一軸ではない。

勝者も敗者もお互いを頼るだけでは場所を形成できない。勝敗と直交する軸を無限の中から見いだす。そういうことが僕は面白いと思っている。



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