でも注意してください、私は「察しがいいイコールすぐれている」とは言ってません。察しがいいというのは一種の反射神経のようなものだし、相手の気持ちを先取りしたり敏感に共感共振したりする一種の相槌能力にすぎません、ギンバイカは南米のたぶん熱帯雨林に生えている大木です、大理石は大理石です。[136]
という、著者本人に似ていそうな尾花氏がカルチャーセンターの講師として話しているところが、保坂さんらしいなと思う。保坂さんは小説家として思考していて、それがどういう思考なのかは、もう少し後に、
だから食人をはじめた第一世代の人が百年後の食人に参加しても違和感を感じない、と尾花氏は言った、尾花氏はこういうことをだいたい毎回思いつきでしゃべる。「だから正しくは〈第一世代〉という考えもインディオにはないんですね。すべての物や事は永遠の昔から今あるかたちで彼らはやってきている。本当かどうか、わかりませんよ。ここには本当かどうかとぼくたちがつい考えてしまうような選択肢的発想というか懐疑主義と言うか、そういう発想はないんです。」一部の人を除いて全員が「それ、よくわからない」という顔をした、その顔をしなかった一部の人である四人か五人は頷いたわけではなく笑い顔になった、面白いと思ったらそれを信じる人たちということだ、[142]
と喋っていて、どういうものかがわかるようになっている。
本当かどうかは脇において、面白いことを大真面目に考えていくのが保坂さんの小説家の思考で、それで言えば、小島信夫は、本当かどうかなんて最初からどうでもよくて、面白いことを素で書いてしまう、ナチュラルボーン小説家だ。空想や妄想を書いているのではない。空想や妄想かどうかなど、最初からどうでもよい、ということだ。だから小島信夫の思考には空想や妄想が無い、というか、空想や妄想という概念自体がずっと後方に置かれている。それを本当かどうかという正しさに寄りかかって読者は読むのだから、ざわついてしかたがない。小島信夫を読んでいると僕は自分でも意識できないレベルの根本的な自分の人間としての倫理がこの人とは通じ合わないのかもしれないという恐怖をどこかで覚える。今『寓話』を入手したくてしかたがない。一度借りて読んだ。生粋の欲しい本だ。
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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●12月15日から21日:言葉の表出、冬合宿2020
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