August 10, 2020

【732】8月9日の小説部部会。

  二ヶ月おきの頻度で続いている小説部の部会。部員は5人。部と言っても部らしい活動はこの部会のみ。前回の部会以降の近況報告をそれぞれの部員がして、あとは自由に話す。13時半から夕方まで。ここ何回かはZOOMでやっている。

 それぞれがそれぞれにやっていることを時々集まって報告し合うという形式で、どれほどモチベーションが維持できるものなのかと僕自身も半信半疑なのだけど、毎回驚くほどにそれぞれが充実した活動をしている。錯覚かもしれない。錯覚だとなにか困るかといえば困らない。

 小説部と言いながら、小説ではないものを書いていたり、それどころか絵を描いている人もいるのだけど、それがなにか範疇外かというとそういう雰囲気はなくて、他の部員もそういうものだと思って聞いている。と思う。

 何をもって部活動なのかという問に対して予め挑戦していると言ってもいいようなところがあるのだけれど、僕も含めて、部員にはそんな挑戦をしている自覚はない。

 いつまで続くか本当にわからないが、こんなことをやっているとそのうち何かしらの目に見える成果が出てしまうのではないかと、おそるおそる期待している。

 次回の部会日程を決定した。次回の日程ぐらいしか決めることはない。

 万が一、こんな小説部に興味のある方がいれば大谷までご連絡ください。


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●12月15日から21日:言葉の表出、冬合宿2020
https://mio-aqui.blogspot.com/2020/05/2020.html

●定期:文章筋トレ
隔週の水曜午前、月一回の土曜午後
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html

●月一回:『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●まるネコ堂芸術祭・出展者募集
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_84.html

●9月まで月一回:『中動態の世界』ゼミ(全9回)
https://marunekodosemi.blogspot.com/2019/12/32.html

●マンツーマンの文章面談
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_20.html

●雑誌『言語7』発行
https://gengoweb.jimdofree.com/


August 9, 2020

【731】8月8日の文章筋トレ。

 常連メンバー5人と初参加の方が一人。10分と60分をやる。

 初参加の人がいると僕自身、僕が持っている前提を再確認することになる。

 文章筋トレは、参加した人それぞれが自分なりに試行錯誤する場所だ。その人なりの試行をし、それを他の人がどのように受け取ったのかを返す。他の人の受け取り方自体もまたその人なりの試行である。それを例えば6人でやる。これだけで相当に複雑で、十分に予測不能になる。

 が、事実はさらに複雑で、自分の試行に対して、自分自身がすでに内的に返答してしまうし、他人の文章に対する自分の体験にすら、自分ですでに返答してしまう。感想を言うというのはそのあとにようやくやってくるフェイズだ。

 言い換えると、文章を書くということ自体がすでに相当な距離を進んだ先にようやくなされていることで「見えているものをそのまま主観を入れずに書き出しました」といった書き方ですら十分にそうだ。同じように、ある文章を読んだときに自分に生じていることをどのように捉えるかということも、もうすでに相当な距離を進んでしまっているし、その言語的表明ともなればさらに倍は、進んでしまう。

 もしも、誰かが文章筋トレという場における文章の価値を一義的に定義したり、端的に、目指すべき見本を提示することができたとしたら、この複雑さは大きく減衰できるかもしれない。ただ、それは現状ではできていないし、そもそもできることなのかどうかも判断できない。少なくとも僕には今でもできない。

 文章筋トレにおいては、文章を書いたり読んだりするということへの前提をそもそも共有していない。書くとはどういうことか、読むとはどういうことか、それらがそれぞれの人の領域にあるということの「方に」重心をもたせている場所だ。それらは表出された複数の人の言葉たちによって事後的、追加的、集合的、都度的に成立していく。それはだからやはり「前提」ではないのだけれど、一つの問題があるとすれば、そう言い得るのは最初からその場にいたメンバーだけで、途中から参加した場合は、その時点での途中経過にすぎない何かを前提として受け取る。このことに対して、改めてそういう前提はない、あるいは、一時的な状況だと説明すべきなのだけれど、この説明自体がなにかの前提の上になされていると受け取られる。ここが難しい。

 「ルールはありません。自由にしてください。」ということほど強大なルールになりうるものはないし、前提の完全かつ恣意的な目隠しにもなりうる。こういうことに自覚的でないといけないことを、初めての人が来るとその都度、僕は思う。そして、その都度、その時点において、不自由な説明をどうにかする。



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August 6, 2020

【730】想像以上に予想通り。

5月29日にこのエントリーを書いて以来、香港を取り巻く状況は「想像以上に予想通り」に進んだ。当時は、多少の紆余曲折も想定されると、日本語で思っていた。事実は最短距離を通っている。少しこのことを考える。5月29日は僕がこの記事を読んだ日だ。あれから二ヶ月と少し経った。

メモ
香港警察、海外の民主活動家6人を指名手配 国安法違反の疑い(bbc)

August 5, 2020

【729】8月5日の文章筋トレ。

蝉が鳴いている中、カエルさん、みどりさんがzoom、美緒と僕がまるネコ堂で、10分と60分をやる。

そう言えば前回は、一つも書かず話してばかりいた。その反動なのかどうなのか、今回は殆ど話らしい話をせずに取り掛かった。

文章筋トレをどのようにやるのかということ自体にも試行錯誤があって、あまり前例に固執しないようにはしている。というよりも、前例に固執できるほど、僕の記憶力は良くないのかもしれない。いろんなことがあってほしいとは思っている。

今日は今日で面白かった。カエルさんの言う通り、終わる頃には蝉は一つも鳴かなくなっていた。

8月8日土曜日開催はおかげさまで満席となりました。

●定期:文章筋トレ
隔週の水曜午前、月一回の土曜午後
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August 3, 2020

【728】空き地。言葉の表出、夏合宿2020が終わった。


合宿のはじまりにあたって、僕が少し話をする時間があった。久しぶりに空き地の話をした。

空き地はただの場所だ。何かでない場所だ。

誰でも入れる。いつでも入れる。いつでも立ち去れる。いつまででも居られる。何かをしようと思えばできる。何かを持ち込むこともできる。持ち込んだ何かで何かを作ることもできる。使い終われば持ち出される。何もしないでも居られる。入らないでも居られる。

空き地は未然だ。可能性そのもので、最大の全面的肯定であるただの場所だ。消費されることが無い。劣化しない。空き地が死ぬのはむしろ何かが成ったときだ。僕は、空き地の死は歓迎されて欲しいと思っている。何かが成るという一つの出来事は喜ばしいことだと思っている。

可能性が死ぬのだから、それは希望にあってほしいということだと思う。可能性の死自体がそもそも希望だ。こういうことを書くと、僕にはたぶん死を楽観的にとらえる意識があるような気がしてくる。悲しいことや寂しいことが幸せではないとは言えない。

出来事はいつも、一つずつしかない。まだ書かれていない白い場所に何かが一つ書かれる。空き地はいつもある。大抵の時間は誰も居ない。蝉が鳴いている。月が出る。


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