September 29, 2015

【228】二周目の言語との出会い

前のエントリーで吉本隆明の最後(?)の講演のことに触れた。この講演、実はちょっと不思議な終わり方をしている。いっせんきゅうひゃくよんじゅうご(1945)年8月15日という日付から話し始めて、自身の芸術言語学について「自分なりに非常に特異な文学理論を作り上げた」と言い終えた後、「あいうえおかきくけこ」について唐突に話し始める。はじめてこの講演の音声を聴いたとき、これがとても不思議だった。予定時間90分だったのが3時間を超えてしまうわけで、 言葉悪くいえば、あぁ、大丈夫かなぁと。僕がもし会場にいたら、これ、今、吉本さんまずいんじゃないかなぁと思ったと思う。

でも、もう一度聞きなおし、読み直して、これはそういうことかと思った。

吉本さんは、自分の文学理論にたいして

「つまり、僕は、何十年かかって、その周辺のことを書いたり、しゃべったり、表現したりしてきましたけど、なんで、おまえそんなことを、そんな馬鹿らしいことになんか、生涯をもうすぐ費やすかもしんないですけど、」

といっていて、そのあと「自分なりに非常に特異な文学理論を作り上げた」 と(いったん)話し終える。つまりここで、吉本隆明は生涯を費やし終えたのだ。

そのあと「あいうえおかきくけこ」。

子供が学校で勉強を始めた最初に習うところだ。はじめて言語というものを意識する瞬間ともいえる。今まで親や周りの大人の口真似として意識せずに使ってきたコトバが、実はこういうふうになっていたのか、気が向くままに右に左にと折れ曲がりながら歩いて覚えてきたこの道路に町内会の地図看板のような見取り図があったのか。

だから、生涯を終えた吉本さんは、「日本語のこと、知らなかったんですよ」 ともう一度、言語に出会い意識に上らせたのではないだろうか。そうして、この講演で吉本さんは言語について二周目に入った、入っていることを示した。あいうえおかきくけこの次は、再び短歌に 出会ってその話をまたしはじめた。『言語にとって美とはなにか』を髣髴とさせる、いやそれよりもさらに深いところまで言語に顔を突っ込んで。

会場の雰囲気を代弁する糸井さんが割って入らなければ、吉本さんはそのまま、この場で肉体が終わるまでこの先を続けていって、うまくすれば最後はまたもう一度文学の理論を作り上げられることを目指した。

それは一周目と同じかもしれないし、違ったかもしれない。


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