長い夢だったと思うが覚えているのは終わりの方で、雑誌か新聞かで友人のいとーちゃんの作品が何かの賞を取ったことを知る。
その作品は、半透明のプラスチックの衣装ケースを小さくしたようなものの中に、ミニチュアの掃除機が入っている。その掃除機はミニチュアだけどちゃんと動いていて、ブーンという音をたてている。掃除機のホースが柔らかい素材になっているのか、それが脈動するように膨らんだり縮んだりしているのがわかる。小さな四角いカラフルなアラーム時計もケースの中に一緒に入れられていて、時折ピピピピと音がなる。どうやらアラーム時計と掃除機が連動しているらしい。そういったものが半透明のケース越しに見えていて、全体としてキッチュなタッチの造形というか雰囲気を持って完成度の高いものになっている。掃除機もどことなく漫画っぽいデザインで、アラーム時計のデザインとうまくあっている。僕はとても現代的な作品だと思っている。
僕は、あぁ、いとーちゃんならできちゃうだろうなと思う。現代芸術家として生きていくというわけでもなく、そこに執着するわけでもなく、それでも何かきらめくような才能がある感じを僕は肯定している。
僕はどうしてこの作品が現代的なんだろうと思って考えているうちに、ある図が思い浮かぶ。垂直軸と水平軸があり、一本の曲線がその原点から右斜め上に立ち上がり、もう一本の曲線が垂直軸の上の方から右斜め下に垂れてきて、その二本が中間ぐらいで接して一本の直線になって右の方へ伸びている。図にはキャプションがついていて「キール曲線(現実領域と幻想領域と不条理領域)」というようなことが書かれている。
その図に僕は納得して、いとーちゃんの作品はキール曲線上に位置しているのだと思う。不条理性というか非現実性をとても現実的なモチーフでしかもそれをキッチュな馴染みの良いタッチでまとめて、作品自体を不条理に落ち込ませないで持ちこたえさせているのだ、というようなことが評価されているのだなと思う。
それからしばらくして、どこかの都市で何人かの友達と待ち合わせている。大きな道路を車が通っていて、その脇の広めの歩道に路駐の自転車が並んでいる。背景に道路を通る車の音がずっと響いていて、見あげればたぶん高速道路か何かの高架が見えるだろうと思っている。
友人は全部で4、5人で、いずれもいとーちゃんとも仲がいい。しかし、それが具体的に誰なのかは、夢のなかではなんとなくわかっていた気がするのだけれど、特定することができない。短い時間のなかでくるくるとその友人が別の人に入れ替わっていくというか、その瞬間瞬間は、あぁ誰々だ、と思っているのだけれど、同じ人が別の瞬間には別の誰それになっている。
その友人たちは総じて、僕の古い知人たちのようで例えば僕が最初に勤めていた会社の同僚のような感じがする。今はほとんど連絡を取っていない。それがいとーちゃんの受賞を機会に集まって、いとーちゃんにお祝いをしようと相談している。
広い歩道の自転車を縫うようにそれぞれがバラバラに歩きながら、どうしようか、みたいなことを言い合っている。そのうち一人の女性が、いとーちゃんの作品に使われていた市販のアラーム時計をみんなで買い揃えればいいと言い出す。その時は僕もそれはいとーちゃんへの良いお祝いだと思ったりしている。目が覚めてから考えるとどうして僕達がそのアラーム時計を買い揃えることがいとーちゃんへのお祝いになるのかイマイチ釈然としないが、その時はそういうことは思わない。
そうしてアラーム時計をみんなで買うということになりそうで、でもそのころになると僕は、でもやっぱりアラーム時計を買っても僕は使わないだろうなぁと思い出す。そうして、しばらく考えて、僕はいとーちゃんに手紙を書くことにして、それをその友人の中で一番僕が親しい人にそれを話す。その友人はその瞬間はけんちゃんになっていて、なんとなく僕のいうことを肯定してくれている感じがする。
そうして、僕は、手紙は手書きがいいか、パソコンで作って印刷するのがいいか、その手紙をもらったいとーちゃんは戸惑ったりしないだろうかと考えているうちに目が覚めた。
夢の全体的な雰囲気としては、とてもライトで都市的な感じがベースにあって、昔のトレンディドラマのような軽さがある。