ブドウっぽくなってきた。 |
気がする。
でも、雨がふらない日は毎日ブドウを観察しているけれど、雨の日はじっくりは観察しないから、ブドウの実は毎日淡々と大きくなっているだけで、雨の翌日に観察した時に、前に見た記憶のなかのブドウから見て一段と大きくなっているように見えるだけなのかもしれない。
いや、やっぱり雨が降って水を吸い上げて大きくなっているのかもしれない。
いつも少しずつ変化しているものの変化をあとから見た場合に何かに原因を求めるという行為に、人間の意識は向いているようで向いていないのかもしれない。
正しいとか間違っているとか、より原因性が強いとか弱いとか、そういうことを判断すること自体を人間というそれそのものが変化するものの中で行うことが多重に不定なのかもしれない。
かもしれないのかもしれない。