August 21, 2020

【737】不安は失くならない。

不安というのはカビのようなものだ。

有害なカビが繁殖したときに効果的な対処は、カビそのものの除去よりも、カビが繁殖しにくくなるような状況を作ることだ。風を通したり、日に当てたりする。そのためにそのあたりを少し掃除する。ものを動かしたりする。比較的小さな規模であればそれぐらいでいい。ずっと長く放置されていて、容易には手がつけられなくなっていたら、少しずつものを運び出して、大掃除をする。できれば、穏やかに少しずつやっていくのがいいが、場合によっては腕まくりをしたほうがいいかもしれない。

逆に取るべきでない対応は、カビの方から見て都合の良いことだ。何か他のもので蓋をして風通しや日当たりを悪くするようなことだ。あるいは、見て見ぬ振りをしてそのままにしておくことだ。カビはさらに大きくなっていく。他のもので蓋をすると、そこは立ち入ることができなくなる。見て見ぬ振りをするということは、そのあたりの視界を自ら塞ぐことになる。

それを続けているとどうなるか。思いっきり首を捻じ曲げてそっちを見ないようにして、あさっての方向を見ながら、あちこちにものが転がっているような場所を進む障害物競走を強いられていく。視野は狭く障害物がごろごろある。不安に駆られたときの行動や表出は、このいびつな視野と自己内立ち入り禁止区域の多さに由来するもので、およそどんなことでも起こりうる。頻出するパターンはあるにはあるが、それだけを補足していてもとらえきれない。外部で観測されるのは、どんなことでも起こりうる特殊な状況のなかから無理やりひねり出されたものだ。そういったものへの都度的な対応は破綻する。破綻し座礁した対応そのものにも、またカビは生える。カビは強靭だ。

ところで、カビは必ずしも有害とは限らない。有益なものもある。同じように、不安も、必ずしも有害とは限らない。不安は、有益とすら言える別のものでもある。

有害なカビが繁殖しないようにすることと、発酵食品を上手く育てることは、同じ領域にある、というよりも同じことだと言ってもいい。発酵食品というのは、いろいろ手をかけて、比較的長い時間、いろいろな段階を経ながらできあがっていくもののことだ。温度や湿度など周囲の状況も影響する。うまくいくこともあれば、失敗することもある。前回上手くいったからそのとおりにやったつもりでも、今度は失敗することもある。

発酵食品を作るように、自分にとって素敵なことをゆっくりと少しずつ変化させてなしていくことと、有害なカビが大きくなりすぎないように、自分にとって不安なことを小さくとどめていくことは、実は同じことだ。不安と素敵なことは同じ場所にあると言ってもいい。それらの胞子は空気中に常に漂っている。

不安を外部から取り除こうとする思想はだから、カビと一緒に発酵食品も取り除いてしまう。自分のカビの対処を他人に任せるのはおすすめしない。ゆっくりと自分で風を通して日に当てる。




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