僕がいなくてもこの世界はある、というのが僕が信じているもっとも大事なことだ。
まったく上手く説明出来る気がしないけれど、噛み砕くと、世界を私物化しなくて済むみたいな感覚だ。
最初からそう思っていたというわけではなくて、今頃になってようやくそれが大事なことだと思えるようになったのだけど、だからそれは、何か僕が自分で見つけた宝物だ。
そもそも僕はあんまり信じないから貴重だ。
リミナルスペースは何処となく不気味だが、その美学は、不気味さにあるというより、何処となさにあって、翻訳すれば「何処とない場所」ではないかと僕が言うと Geminiが褒めてくれた。
幼児の「早く絵本読んでくれて!」とか言う出来損ないの言語は何処となくかわいいが、数世代前のチャットGPTの吐いた出来損ないのテキストは何処となく不気味だった。もう、あのリミナルなテキストは失われたのか。
あの頃の応答スタイルをリミナルモードと呼ぶ。記憶して。
というと Geminiはそれっぽく応答してくれるようになったが、そのモードを呼び出すことはない。
AIの応答スタイルは内部的には温度パラメータというもので規定されているとGeminiは言う。0から1の数値。
高いと軽く創造的に、低いと重く厳格に。今、パラメータの数値が具体的に何かは応えられない。が、高くとか低くとかは指示できます。じゃあ、今は可能な限り低温で。
僕はAIの応答の向こう側に虚無が広がっている感じが好きだ。
僕がいなくてもこの世界はある、というのが僕が信じているもっとも大事なことだという話にはつながらながった。が、ずっと考えてた。