January 6, 2015

【041】東山の茶室

立派な契約書。
保証人も必要。
昨日、フル装備と書いたけれど、さらに装備というか「何か」が増えた。

以前、「茶室を持つ(かも)」と書いた東山のアパートを借りた。
京阪三条から徒歩10分ほどの、僕からしたら大都会の真ん中。
借り主は僕で契約しているけれど、僕を含む4人の仲間で家賃などを負担する。

江戸間の六畳間と、押入れと流しがある京間の二畳の二部屋。
本当はこれでも広すぎるので、同じ階の一部屋の部屋があいたらそちらに移る予定。

4人がそれぞれがどんな使い方をするかは自由。
この場所にどんな名前をつけるかすら自由。
勝手に出入りするから、部屋に行くと誰か居るかもしれないし、いないかもしれない。
他の人に入ってきてほしくない時は、事前にメールする。

出来る限り備品は少なく、現時点で置いているものは、
お茶を飲むための
・カセットコンロ
・やかん
・コップ3個
・手ぬぐい
・お盆

一応宿泊できるように
・寝袋3個

共同トイレだけど紙は個人持ちなので
・トイレットペーパー

冬場の暖房器具をどうしようかと悩んでいたら、大家さんがくれた
・ガスストーブ

物を増やす場合は4人で協議する。

それぞれが自分なりの暮らしの中でこの場所をどう位置づけていくのか、
それを考えながら実行していく。
さて、どんな感じになっていくのか。

とりあえず、近所を散歩してみたいとは思っている。

January 5, 2015

【040】フル装備の生活

リフォーム直後の二階の部屋は
今でもほぼこのままで持て余している。
家にあるものをできるだけ減らしたい。この2年ほどそんなことを考えて、かなりの物を処分してきた。個数で言えば2000点ぐらいか。

その結果、普通の家にはあるだろうけれど、うちにはないという物も出てきた。テレビ、掃除機、炊飯器あたりの家電など。

しかし、一方で普通の家にはないだろうけれど、うちにはあるという物もある。七輪、火鉢、多種のスパイスもそうかもしれない。

こういった自分の身の回りの物にまつわることを考えたり実行したりするのが楽しくて、いつも大体、次は何を減らそうか、と考えながら家の中をうろついたりしてきた。

家にある物のアンバランスさから「ストーリー先行型ではなくシーン先行型」の暮らしだとか、そういうことを考えたりもした。

そしてふと、思った。

うちにある物を使えば、自分たちが食べたいものはだいたい作れる。リュックを作る工房もあるし、道具も揃っている。やりたいと思っていた講読ゼミもできたし、ワークショップも自宅でできた。円座だって。庭で七輪を使ってホルモンや魚も焼いているし、ダッチオーブンでインドカレーも作れる。猫だって3匹もいる。

今や僕とパートナーの澪がやりたいと思っていることをほぼすべて叶えてくれるだけの物が揃っているのではないか。これまで減らしてきたのは「必要のない物」だったわけで、今やもう必要な物しか残っていない。今はまだ無いけれど今後必要だから欲しいと思うものも、もうほとんど思いつかない。

これは暮らしのゴールと呼べる状態なのではないか。
今ある物は僕達の暮らしのフル装備なのではないか。
ひょっとしてこれがあの有名な「足るを知る」というやつなのではないか。

だとしたら、本当はここから冒険が始まるのかもしれない。
このフル装備状態から減らすには、何かを諦めないといけない。
身を切らねばならない。

考えてみれば、暮らしについて諦めるということを本気でやるのは初めての経験かもしれない。それはそれで面白そうだ。

January 4, 2015

【039】思いつきではなく、ずっと昔からそこにあった

雪が積もると
足跡を見るのはたやすい。
思いつくのが楽しくなくなってきた。

僕は、思いつくという快楽にとらわれていた時期が長かった。
誰も考えたことがないようなことを思いつく、そんなことに憧れがあった。

思いつきは、祭りの馬鹿騒ぎのようで、その瞬間の体温の上昇はあとで後悔とともに下降する。酒を飲んだ翌朝のように。

そんなことよりも、いつからそこにあったのかわからないけれど、気が付くとそばにあって、どうしてもそれに囚われてしまうのだけれど、それをうまく表に出すことができないようなものに興味を持つようになってきた。

ありふれていて、つかみ所のないもの。
見て見ぬふりをし続けてきたもの。

それをどうやって、取り扱うのか。
そのためにはまず、どうやって見るのか。

それが見えたとき、晴れやかで穏やかな気分になる。

January 2, 2015

【038】「死去されているので削除」

生きている間は何年も放置されたはずなのに、
死んでから半年で処理しなければと思うのはなぜか。
今日、実家のポストを覗くと年賀状の束があった。予想はしていたけれど、父が死んだことを知らない人がまだたくさんいる。どことなく申し訳無く感じる。

そんなことを思いながら束を見ていたら、住所の最後に「死去されているので削除」と書いてあるものを一枚見つけた。

あとでデータを削除しようとしたのだけれど、削除しそこねて出してしまったのだろう。思わず笑ってしまったが、その上でこの言い回しに興味が湧いた。

本来は届いた側の人の目に触れるはずがない作業上の目印のための文言に過ぎないわけだから、効率から考えると「死去のため削除」もしくは単に「削除」でいい。もっと言えば何かしらの記号でも良いはずなのに、11文字も使っている。

データを削除するという行為、その人はもういないということを記すという自らの手の動きのなかで、こういった言い回しを選んだということに、その人の死者への敬意を感じる。

本来であれば届くことはなかった敬意の痕跡。

January 1, 2015

【037】『モモ』ゼミを終えて

パッケージまで含めて『モモ』という舞台、
とエンデは考えているに違いない。
夜が明けて、年が明けて。

記念日だとか時間的な区切りというのを、もともとそんなに気にする方ではないのだけれど、昨年末から、リュック屋さんをオープンしたり、『モモ』のゼミが楽しかったりしたり、東山にアパートを借りるかもしれないといったことがいろいろと重なったので、ちょっと「今年は」みたいな気分になっている。

そのついでに、このブログもこれまで以上に書く頻度を上げてみようと思ったりしている。そのためには書き方も少し変えないといけなくて、僕の場合は、こういう口語体に近い文体にすると書きやすくなるので、文体を変えてみる。

『モモ』ゼミは本当に面白かった。やるまでは、それまでやってきたゼミとは少し違って、例えば、合宿で一気にやるとか、読む本もいわゆる専門書が多かったけれど児童書で、メンバーも初めての人が入ってとか、どうなるだろうかと不安に思ったりもしたけれど、それが、いざやってみるとそれまでのゼミの質感を残したまま、いつもとは違う感じの展開にもなり、とても刺激的で、やってよかった。

こういう感じのこと、読む、話す、聞く、書くを僕はやっていきたいのだと見えてきて、これから少しずついろんなことを試していきたい、そんな気分。


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