リフォーム直後の二階の部屋は 今でもほぼこのままで持て余している。 |
その結果、普通の家にはあるだろうけれど、うちにはないという物も出てきた。テレビ、掃除機、炊飯器あたりの家電など。
しかし、一方で普通の家にはないだろうけれど、うちにはあるという物もある。七輪、火鉢、多種のスパイスもそうかもしれない。
こういった自分の身の回りの物にまつわることを考えたり実行したりするのが楽しくて、いつも大体、次は何を減らそうか、と考えながら家の中をうろついたりしてきた。
家にある物のアンバランスさから「ストーリー先行型ではなくシーン先行型」の暮らしだとか、そういうことを考えたりもした。
そしてふと、思った。
うちにある物を使えば、自分たちが食べたいものはだいたい作れる。リュックを作る工房もあるし、道具も揃っている。やりたいと思っていた講読ゼミもできたし、ワークショップも自宅でできた。円座だって。庭で七輪を使ってホルモンや魚も焼いているし、ダッチオーブンでインドカレーも作れる。猫だって3匹もいる。
今や僕とパートナーの澪がやりたいと思っていることをほぼすべて叶えてくれるだけの物が揃っているのではないか。これまで減らしてきたのは「必要のない物」だったわけで、今やもう必要な物しか残っていない。今はまだ無いけれど今後必要だから欲しいと思うものも、もうほとんど思いつかない。
これは暮らしのゴールと呼べる状態なのではないか。
今ある物は僕達の暮らしのフル装備なのではないか。
ひょっとしてこれがあの有名な「足るを知る」というやつなのではないか。
だとしたら、本当はここから冒険が始まるのかもしれない。
このフル装備状態から減らすには、何かを諦めないといけない。
今や僕とパートナーの澪がやりたいと思っていることをほぼすべて叶えてくれるだけの物が揃っているのではないか。これまで減らしてきたのは「必要のない物」だったわけで、今やもう必要な物しか残っていない。今はまだ無いけれど今後必要だから欲しいと思うものも、もうほとんど思いつかない。
これは暮らしのゴールと呼べる状態なのではないか。
今ある物は僕達の暮らしのフル装備なのではないか。
ひょっとしてこれがあの有名な「足るを知る」というやつなのではないか。
だとしたら、本当はここから冒険が始まるのかもしれない。
このフル装備状態から減らすには、何かを諦めないといけない。
身を切らねばならない。
考えてみれば、暮らしについて諦めるということを本気でやるのは初めての経験かもしれない。それはそれで面白そうだ。
考えてみれば、暮らしについて諦めるということを本気でやるのは初めての経験かもしれない。それはそれで面白そうだ。