シリーズ「僕の原爆。」
目次
【158】僕の原爆。
【201】僕の原爆。(2)
【216】僕の原爆。(3)
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宛てにしていたお好み焼き屋が、まさか15時までの営業だとわかって、二人して驚いた。よっぽど美味しいのだろう。7時間ほど電車に乗り続けて来たからもう、だからといって次の候補を調べたり考えたりする余力はなくて、宛もなくふらふらと明るいほうへ歩いて行って、適当な店に入ってお好み焼きを食べた。お好み焼きというのは僕らの知っているお好み焼きではないお好み焼きで、それを広島焼きと言ったりするのは間違いだ。言葉というのはそういうふうに多重に使うことができる。
むっきーは電車では大体、日本史の教科書を読んでいた。教科書って読むの時間かかるんですよと、線を引いたり、印をつけたり、先のページの索引や資料を見たり、前のページに戻ったりしながら、読んでいて、手に馴染んだ感じになっている山川の日本史がかっこいい。社会科の教師をしていて、この一冊が彼の仕事だ。僕はというと、本の一冊も持ってきていなくて、青春18切符の旅だというのに、でも今回のこの広島行きで本が読めたかどうかは自信がない。そして寝てばかりいた。
お好み焼きを食べたあとは宿になるネットカフェに荷物をおいて、街を歩いた。広島は都市だ。都市的な場であることは、砂洲の上にできていることからも予想はついていたけれど、これほどまでに発達した都市だとは、改めて知った。胡町、流川町、紙屋町、銀山町、袋町、仏壇通り、巨大な繁華街の一角に、リカーマウンテンで買った酎ハイ片手に、不思議にひらいた小さな四角い池があって、鯉が泳いでいる。入れないけれど、池の向こう側はゴルフ場のグリーンのような場所があって、それを眺めながらコンクリートブロックに腰掛けていた。
目を惹く格好のホステスがタバコを買いにセブン-イレブンに行ったり、ちょっとやんちゃな感じの若者がうろついていたり、風俗店のキャッチが声をかけてきたりするけれど、どれもすっきりと、人の動線を妨げず、ほんの少し近寄っては離れていく線路のように、絡まない。ねっとりとした大阪と違って、これもとても都市的で、極めて居心地が良い。いつまでも居れる。いつの間にか1時半になっていて、それでも多くの店が開いている。
朝、原爆ドーム前行きの広電はとても混んでいて、一電車遅らせたがそれでも満員だった。ひと駅ひと駅、満員にさらに詰め込むように進むから、とてもゆっくりで、歩いたほうが早かったなとしきりにいうおばあちゃんは、たぶん広島の人ではなさそうだ。原爆ドームのすぐ横を通り過ぎながら、原爆ドームをこんなに近くで見ることができたのかと今更驚いて、それは今から思えば、チェルノブイリの4号炉と重ねあわせて、勝手に遠くから眺めるものだと思い込んでいた。チェルノブイリの4号炉は四角いが原爆ドームは丸い。原爆ドームそのものよりも、建物の周囲に散乱しているコンクリート片やブロックなどが、まさか今でもその時のままなのだろうかと思わせられる。それとも、年月がたつにつれて、ドームから剥落していったのだろうか。改めて僕は広島に長いこと来ていない。たぶん小学校か中学校の修学旅行以来だ。父親が広島だと言えるほど、僕は広島に来ていない。そう突きつけられた。
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