シリーズ「僕の原爆。」
目次
【158】僕の原爆。
【201】僕の原爆。(2)
【216】僕の原爆。(3)
【217】僕の原爆。(4)
【221】僕の原爆。(5)
【222】僕の原爆。(6)
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なめらかな川面が、岩に近づいていつの間にか流れを変えているように、気が付くと式典になっている。その中にいると、ただ不意に自分の周りの空気が狭くなる。ぎゅうっと流線が絞られて前方への方向性が生まれる。コンクリートの巨大な馬の鞍のようなモニュメントが見えてくる。むっきーに、そのモニュメントの方向を説明するのだけれど、むっきーには見えないらしく、どこですかと言っている。そのモニュメントの前に小さな人影の頭の部分が現れて、挨拶が始まる。音声が非常にクリアに聞こえる。あるいはスピーカーの近くだからなのかもしれないが、これだけの人数が平らな場所に集まって、それでも全員が式典の内部であるのだと、集まった人すべてに思わせられるような舞台装置を知り尽くしているのか、とても明瞭で力強い言葉が聞こえてくる。
話しているのは、広島市長や県知事や子供代表で、こういった式典での挨拶というものが、だいたいは通り一遍のものであるという僕の先入観を、静かに押しつぶしていく。70年前の出来事を悲しんだり、思い返したりするのではなく、現在においてもその出来事がこうしてこの瞬間も起こっているのだ。8時15分の黙祷がその証拠ではないか。今も同時にこれだけ沢山の人が同じ暗闇にいて、否応もなくこの高圧の空気にさらされている。どの挨拶もよく訓練された話し方にも聞こえるが、きっとそうではなく、どうしようもなく、たったいま、この瞬間に吐出されている力強さなのだ。その力強さは、あの管楽器の低音のリズムと同じ、僕をどこかへ運び流していく。波打つ地面の上で、いつの間にか沖合まで流されていく。
僕は、どうしても消しさることができない思いが沸き立ってくる。それは、平和のための式典であるにもかかわらず、いや、平和を望む声が力強くあればあるほど、具体的で現在というものを見据えているということが強く伝われば伝わってくるほどに、どうしても僕には、ある想像が生まれてしまう。もしも、戦争というものがはじまるとしたら、戦争というものに僕が運ばれてしまうとしたら、それは逆らいようのない力強さと、逃れようのない具体的な現在をともなって現れるに違いない。それは、地面が波打って、その上にいるものすべてを気づけば沖合の、もう、のどかな浜辺には戻ることができない、ただ、とにかくどこかへたどり着くためには潮流の中を泳ぎ続けるしかない、そんなふうなものとして、僕はただ戦争する。低く、一帯を蹂躙する乱れのない音が鳴り続けている。
式典の終わりが告げられたあと、僕はしばらく動けなかった。席をたつ人の列が、さっきとは逆方向に、僕達の後ろに向かって続いている。みんな一様に神妙に押し黙っている。白人の小さな女の子だけが露骨に疲れきって顔を歪ませているのが僕にはなぜか安心できる。僕もきっと疲れきって顔を歪ませてしまいたい。この場でうめき声を上げてしまいたい。むっきーが吐き出すように、来る値打ちのある式典ですねとつぶやく。確かにその通りだと思う。広島は僕の知らないところで、ずっとこうやって原爆の質感を鍛え続けてきた。長崎とともに、そうしなければならない最後の砦として、自分を位置づけてきた。その覚悟がこの硬質な質感を生み出している。爆発の瞬間に表裏が一体となってしまった戦争と原爆、その質感を今もまざまざと保持している。原爆の質感を維持することは戦争の質感を維持することでもある。9日後の終戦が、十字架のように、今も原爆=広島に背負わされ続けている。70年もの長い凪を経て、ようやく、僕にも原爆が落ちた。並べられたパイプ椅子に座らされたまま、多くの小学生や中学生、様々な民族、人種、国籍の人とともに、身動きできない僕たちの上に。
次へ。