October 6, 2015

【233】僕の原爆。(8)

シリーズ「僕の原爆。」

目次
【158】僕の原爆。
【201】僕の原爆。(2)
【216】僕の原爆。(3)
【217】僕の原爆。(4)
【221】僕の原爆。(5)
【222】僕の原爆。(6)
【232】僕の原爆。(7)

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立ち上がるのも歩くのも億劫だったのが、ようやく周りの席の人たちもまばらになって、会場から離れられる気分になった。もともとこの日は、式典の後、むっきーとは別行動をすることにしていて、僕は午前中のまだ涼しいだろう時間帯に、大手町の祖母と父の家のあった場所と西観音町の祖母の実家のあった場所に行こうと思っていた。むっきーは、式典の後、僕と別れて、呉の戦艦大和のミュージアムに行ってこようと思っています。その後、広島駅で3時に合流しましょう。そういうつもりだった。そうして、午後3時頃に広島駅から、また7時間ぐらいかけて京都に帰ってくる。

けれど、僕には、もう、次の予定というものに向かう力がなくなっていて、とにかくどこかへ行くか、何かしたいと思っているにもかかわらず、どこにも行ける気も、できる気もしなかった。だから、むっきーが、資料館見たいです。といった言葉に従っていた。しかし、資料館の入口には三重ぐらいの長い列ができていて、すぐに中に入れそうにない。列に並んで、たとえ短い時間であったとしても、ただじっとしていることには耐えられそうになかった。そうして僕たちは、また、行く宛がなくなった。ただふらふらと平和公園の木々の中を、日陰だったからという理由だけで、歩いて、元安川を眺める場所にあったベンチを見つけてそこに座ることにした。ちょっと座りましょう、というむっきーも僕同様に疲れ果てていて、重たそうに体を引きずっていた。しかし、椅子に座ったところで、体の中のざわつきは収まることがなく、少しでも言葉としてそれを体の外に出したほうがいいと思うのだけど、むっきーも僕も何も言えない。ベンチに陽があたっていたこともあって、8月の日差しの中にいるのがつらかった。ほんの1分ほどベンチのところにいただけで、また二人して歩き出していた。

不意に、むっきーが手に持った献花用の花を、これどこですかね。というので、たぶんモニュメントのところに献花台があるんじゃないかな、とそのまま再び会場の方へと向かう。会場の真ん中あたりの椅子がどかされて広い通路ができていて、資料館側からモニュメントまで伸びている。そこを通って歩いて行くと、コンクリートの馬の鞍のようなモニュメントが真正面に見えてきて、近くを歩いていた白人の青年がカメラをそちらに向けて構えている。あぁ、そうかと思って、僕もiPhoneで写真をとってみる。モニュメントをくぐって向こうに景色が少しだけ見える。思った通り献花台がしつらえてある。僕は花を持っていないから、モニュメントの下にある石板に刻まれた言葉を読んですぐに脇へどく。もう二度と、というその誓は、どこまでも遠くへ伸びている。今この瞬間も道程にあって、その起点は70年前の、ついさっきだ。

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