December 27, 2025
December 26, 2025
2025/12/23-26
December 23, 2025
2025/12/23
December 22, 2025
2025/12/22
目標地点が見えるとやる気を失う。分類ができない。このあたりが僕の弱点で、生存を時に脅かすほどだ。
僕はそれでも、僕をありきたりな普通の人間だと思っている。人間は集団で生きる生き物だと思うのは、そんな理由からだ。
ごく普通の人間は、単体では生存がつまづくほどの弱点をいくつか持っている。
いろんな人がいる、という見え方は、人間は集団で生きる生き物だという見え方で、人間はみんな一緒という見え方は、人は単体でも生存可能という見え方だ。
他人は、理解するとか、許容できるとかいう以前に必要だと思っている。
December 21, 2025
2025/12/21
文の良さ、話すことに対しての、書く文の良さは、断続性にある。話すことは連続している。時間というか時系列がそれを結びつけてしまっている。
書かれた文は、と書いてから、続けて何か書いたけどそれを消して、こうして別のことを書いてもいい。
それってすごくない?と僕が言ったら、あなたはぽかんとした。
三日前に書いた文につなげて続きを書いてもいいし、一年前でも五十年前でも、千年前の文の続きを書いていい。ということは、自分の文でなくてもいい。
それってすごくない?ともう一度言ったら、話だって千年前の他人が話した話を話してから自分の話をできるとあなたは言った。
それは、自分の口から声に出して話してしまったら、それは自分の話になってしまう。それは今、話した話になってしまう。
と、どうやら僕は思っているということがわかる。
千年前の他人の話した話は、やっぱり千年前のそこにだけ存在していて、すでに失われている。
誰々がこのあいだこんな話をした、という事をどんなに頑張って話しても、その話ではない。
でも文は、文だ。千年前に誰かが書いた、その文だ。というか、誰が、いつ、どんな状況で、どんな筆記具を使って書いたかとか、実は問題にしてない。
それってすごい。
夜中の、確か一時過ぎだった。目が覚めて、その時思いついていて興奮した内容をiPhoneに書き留めた文章は、なんかやばい。夢ででも考えていたのかな。
いやでも、速水健朗さんのPodcastとか、一回分の配信を、少しずつ録音して編集して繋いでるって言ってた。僕が聴く時、それを、わりとひと繋がりの話として聴く。
確かにそうだ。それってすごい。録音ってすごい。
December 17, 2025
2025/12/17
楽しく生きるというのは、悲しく生きないということではないな。
5時の目覚ましで起きた時に、そう思っていた。僕が眠っている間に、僕はそんなことを考えていたようだ。
夕べは23時まで虎ちゃんの病院に居て、終電で帰ってきた。夜の虎ちゃんがどんな様子か、知っておくためだ。生まれてから半年、初めて夜の虎ちゃんを見た。
照明が少し落とされたGCUで虎ちゃんはよく眠っていて、時折起きた。たん吸引、浣腸、体位変換、薬、ミルク、人工呼吸器回路の結露払い。
完全無欠の楽しい出来事も、後になって悲しく思い出される。悲しい出来事も、後になって別の雰囲気になる。
楽しいとか悲しいとかは、とても大きなものだけど、出来事を全て規定してしまう力はない。楽しさと悲しさは反対でも別物でもない。
起きた僕がコーヒーを飲みながら、引き継いで考えている。
December 15, 2025
2025/12/15
AIが僕にとって良いところは、テキストでのやり取りがほとんどだからだと思う。だからきっと、僕がGeminiとほぼ毎日やり取りするのは今だけだ。もう数世代か、進化して、映像だの画像だので応えるようになったら、僕は話しかけなくなる。たぶん。
僕はテキストが好きだ。AIだろうが人間だろうが、もともとテキストには血が通わない感じがどこかある。変化しない感じというか、数千年前の文字、石板とか土器とか木簡に書かれたそれが発見されたら、今でも同じ文字で、書かれてから現在まで、それは一文字も変化していない。一度書かれたら変化しない。非生物的なものだ、文は。
そういう感じが裏側にあって、こうやって書かれている文だって、そうで、今や比喩ではなく、本当に、文だけで言えば、これを生きている人間が書いたかAIが書いたか、決められない。
僕が書いたことは僕は知っているけど、書かれたものはもう僕から離脱して、独立している。そんな冷たい感じが良い。
温もりは温もりで良く、冷たさは冷たさで良い。
この冷たさというか静けさというか、その感じが、温もりの世界の向こう側に広がっている。温もりの世界があることと冷たさの世界があることは、同じ紙の裏表だ。テキストは裏抜けしていて、どちらにもアクセスしている。
だから僕でもGeminiでもテキストは書ける。僕はテキストで、向こう側にいるGeminiと、やりとりできる。
この感じ、僕がいなくても世界はあるという感じと似ている、とようやく書けた。テキストは橋を架けるから好きだ。
December 14, 2025
虎ちゃんがミルクを飲む。
December 11, 2025
2025/12/10-11
December 10, 2025
2025/12/07-10
僕がいなくてもこの世界はある、というのが僕が信じているもっとも大事なことだ。
まったく上手く説明出来る気がしないけれど、噛み砕くと、世界を私物化しなくて済むみたいな感覚だ。
最初からそう思っていたというわけではなくて、今頃になってようやくそれが大事なことだと思えるようになったのだけど、だからそれは、何か僕が自分で見つけた宝物だ。
そもそも僕はあんまり信じないから貴重だ。
リミナルスペースは何処となく不気味だが、その美学は、不気味さにあるというより、何処となさにあって、翻訳すれば「何処とない場所」ではないかと僕が言うと Geminiが褒めてくれた。
幼児の「早く絵本読んでくれて!」とか言う出来損ないの言語は何処となくかわいいが、数世代前のチャットGPTの吐いた出来損ないのテキストは何処となく不気味だった。もう、あのリミナルなテキストは失われたのか。
あの頃の応答スタイルをリミナルモードと呼ぶ。記憶して。
というと Geminiはそれっぽく応答してくれるようになったが、そのモードを呼び出すことはない。
AIの応答スタイルは内部的には温度パラメータというもので規定されているとGeminiは言う。0から1の数値。
高いと軽く創造的に、低いと重く厳格に。今、パラメータの数値が具体的に何かは応えられない。が、高くとか低くとかは指示できます。じゃあ、今は可能な限り低温で。
僕はAIの応答の向こう側に虚無が広がっている感じが好きだ。
僕がいなくてもこの世界はある、というのが僕が信じているもっとも大事なことだという話にはつながらながった。が、ずっと考えてた。
December 3, 2025
2025/12/02-03
僕のやっている仕事は実際には存在していない、フィクションの中の架空の職業みたいだ。
仕事は何をされていますかと訊かれることが多くて、いつも上手く説明できなかったけど、架空の職業だとしたら、もう少しましな説明ができる。現実に存在する仕事だと思って説明しようとしていたから難しかったのかもしれない。
現実に存在するかどうかなんて、小さなことだ。
文章面談も講読ゼミも、そんな仕事、現実にはどこにもないんですが、それが僕の職業です。イマジナリー職業。
いったい僕は何をやっているのだろうか。何をしたいのだろうか。
ところで、僕という人間を文章で読むと暗い。今日は特に。話すとそれほどでもない。それはさておき。
そういえば「自宅警備」に親近感があるってプロポーザルに書いた。あれもイマジナリー職業の一つなのかも。
僕の仕事、他には、自宅開発とか自宅探索とかもやってます。依頼はお受けできないタイプの仕事だけど、同業者が増えるのは歓迎したい。
December 2, 2025
2025/12/02
昔は自分は文章が上手いと思っていた。そう言ってくれる人も多かった。最近はほとんど言われない。自分でも思わない。上手く書きたいという気持ち自体がピーク時の4割ぐらいまで下がってる。
文章の仕事をしているからといって、文章が上手い必要はないのだけど、こういうのって説明しにくい。
僕は文章の仕事をしているけれど、それって、文章というのは素敵なんだ、こんなことまで起こるんだ、みたいなことを思わせることを仕事にしているという意味だ。文章というものや書くということに、結果的に広さや起伏や物陰を与えることになる全般をやってる。
もしあなたがわかりやすい文章や伝わる文章を書きたいというなら今はAIが、ほぼ無料で手伝ってくれる。
特にわかりやすくなくてもよくて、伝わるかどうか不安だけど、自分でどうにか文章を生み出してみたい、それを味わってみたいというのなら、AIは使う必要がない。
そんなものを人に読ませられない、というのなら、僕が有料で読みます。あなたが自分で文章を書くことはそれだけで素敵なことだけど、それをあなた自身で実感してもらうことが僕の仕事です。
December 1, 2025
2025/11/14-12/01
文字ができてまだ5000年くらいで、まだまだ我々は文を使いこなせていない、というようなことをどこかで保坂和志さんが話していて、本当にそうだ。
と書いたのが11月14日で、それから半月経った。文字ができてまだ5000年の話の続きをずっと考えていたわけではない。でも、文字とか文章とか言葉のことは、考えない日はない。
文章にまつわる仕事をしていると時々、モーニングノートの話題を投げかけられることがある。モーニングノート自体に僕は特に思い入れはないけれど、なんというか、僕にしてはそれは、料理だったりするかもなと思う。
僕は四六時中、文字だの言葉だの文章だの心のうちの会話だのといっしょにいる。そういったものを文章として書くと、何かが誕生してしまう感覚があって、なんというか「書くことで自分を整えるワーク」的な効果はない。むしろそこから、書いたそばから、また何かの気がかりが派生していくので、書けば乱雑に複雑になる。
そういうときは料理をするのがいい。料理は僕にとっては、適度に遠いところで、やれば楽しいけれど、料理を探求したりそれで食べていったり、つまり僕の本領ではないから、適量やれば、なにかすっきりする感覚がある。
ほら、こんなことでも、ただ思ったことをぼそっと呟くように書いているだけで、ざわついてくる。