February 14, 2015

【077】無いの読み方と言葉の仕組み。

iPhoneを机に置いたまま撮った写真。
写っているものは無い。
僕の生きる目的は無い。

と書いてあると、この人はもうすぐ死ぬんだろうなという予感が現れるけれど、無いを名詞として読むと、

僕の生きる目的は「無い」。

あらゆる存在を目的とした人よりも遠くへ向かう強い意志が生じる。

もちろん同時に「目的の欠損」という前者の読み方も可能だから、読む人の中に「僕」の強さと破滅が併存することになる。

前者の読み方は、例えば「愛」「自由」といった読む人自身やその人が知ったり想像したりする「生きる目的」を想起し、それらの欠損として読んでいる。

後者の読み方は、「僕」「生きる」「目的」「無い」という4つの書かれている言葉をそのままイメージにし、それ以外の何かを想起していない。

この、言葉による想起は、その人のその言葉に対するこれまでの経験から生じる。そのため、それらのこれまでの経験によって、その言葉の周囲に隣接して存在する経験のイメージが自動的に立ち上がってしまうため、言葉をそのまま受け取ることを難しくしている。

しかしあるいはしかも、この隣接イメージの想起こそが、言葉というものの持つ豊かさの源泉であって、その隣接=ネットワークのズレや組み換えによって生じるイメージの現れ方も言葉というものがもつ仕組みとして組み込まれている。

February 12, 2015

【076】カードケースを財布にしている。名刺入れからの更新。

緑色のカードケースを父親の遺品から発見して、
財布を更新した。
以前「名刺入れを財布にしている」と書いたけれど、最近カードケースに変えてさらに薄型軽量になった。

入れているものは、
・免許証
・クレジットカード
・交通系ICカード(ICOCA)
・4つに折った千円札2枚

ここに、電車にのるときは回数券をパートナーの澪と共有しているストックから必要枚数(大体は往復2枚)をとってきて入れている場合もある。

以前の記事で入れていたキャッシュカードは入れないことにした。
口座からお金を引き出すようなことはほとんどないし、必要な時にだけ持ち出せばいい。

こうやって軽量化すると財布としての使い勝手が良くなる、かというと、まぁ、たしかにかさばる感じは名刺入れの時よりもさらになくなって良いと思う。思うのだけど、それ以上に、ここまで来るともう財布という機能の存在理由みたいなものがよくわからなくなってくる。カード3枚とお札2枚、そのまま裸で持ち歩いてもいいんじゃないかと思えてくる。

だから、これで財布は解決した、という感じではなくて、名刺入れの時よりもそういう意味での落ち着かなさは上がっている。そのうちまた変化するかもしれない。

追記:
結局、クリップになりました。
【099】財布はクリップでいい。保険としてのお金。

February 11, 2015

【075】呪われた空き地。公開空地が見る夢は。

制度によって生かされた空き地。
キョンシーのお札ようにプレートが打ち付けられる。
原始、ただ地があった。
やがて、家が建ち、街ができた。
地は覆われ、都市となった。

都市は再生を繰り返し、
その隙間に小さな空き地が生まれた。

空き地は何も無い。
他の場所には入れない人が入れる。
他の場所ではできないことができる。
原始の地の荒々しい力を受け継いでいる。



その制御されない力を都市の人々は恐れた。
空き地を檻に閉じ込めることにした。
野生の動物を檻に閉じ込めるように。


閉じ込められた空き地は、
フェンスの隙間から覗く人々に吠えかけた。
閉じ込められているのはどっちか。


その逆らい難い声を都市の人々は恐れた。
空き地を飼い慣らすことにした。
野生の動物を飼い慣らすように。


飼い慣らされた空き地は、
公開空地と呼ばれた。
牙を抜かれ、飾りを付けられた。
プレートを貼られ、呪いをかけられた。
生きているのか死んでいるのかわからない。


それでも空き地は、
都市の真ん中で密かに息を殺してその日を待っている。


炉心や爆心の周りに生じた荒々しい空き地たちのように、
再び原始の地に帰る日を。

【074】「僕の靴」を修理に出そう。

作った時にシューキーパーを勧められたけど、
結局買わなくて、履きじわがついてしまった。
2年ほど前に東山の靴工房ハンザワでオーダーして作った革靴の底がすり減ってきたのでそろそろ修理に出そうと思う。

オーダーして作ったのも初めてで、靴を修理に出すのも初めてだから、どれぐらいすり減ってきたら修理に出せば良いのかわからないまま履き続けていたけれど、かかとのところを打ち付けている釘の頭が見えてきたので、これはどうみても修理だろうと思う。

このタイミングでは遅すぎる、と言われてしまうかもしれない。もっと早く持ってきていたら安く直せたのにと言われるかもしれない。そもそも、修理代がどれぐらいになるかもわからない。

でも、こういう不安は一度で済む。一度やればもう大丈夫。確かなことがまたひとつ増える。


そういえば、最初オーダーするときに、靴は2足作って、交互に履くと長持ちすると言われて、その時はそのうちもう一足つくろうと思っていたけれど、結局、2足目は作らなかった。お金の問題というのもあるけれど、それ以上に「僕の靴」というものが2つあるというのがなんともうまくなじまない気がしている。この靴がとてもぴったりと馴染んでいて、僕にとっての靴は、世界にこの一足しかないという感じがする。もし、ボロボロになって修理もできなくなったら、その時に新しい靴をつくろうと思う。

長持ちするかどうかは、作った時にはとても気にしていたことだけど、今はそれほど意識しない。

さて、ひとつ残る問題。修理中に履く靴をどうしよう。一応スニーカーがあるけど、足にあっているとは言いがたく、歩きにくい。しばらく我慢か。

<追記>
修理に出して帰ってきた。
【084】靴を修理して、これでまた歩いていける。

February 10, 2015

【073】自宅に職人がいる心地よさ

職人は身についた自身の所作の中に居る。
考えない美。
リュック屋をはじめたので、自宅がリュック工房になって、リュック職人がせっせと作業している。

職人の作業には迷いがなく、ひと繋がりになっていて、小気味よいリズムがある。所作が安定していて、道具が適切に使われている。

それは、川の流れを見ている時、焚き火の炎を見ている時、初夏の風に吹かれている時にも似ている。

考え事をやめることが難しい僕にとって、それらは考え事を穏やかにスローダウンさせてくれる。僕の存在とは無関係に確かなものが流れてゆく。心地よい。

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