iPhoneを机に置いたまま撮った写真。 写っているものは無い。 |
と書いてあると、この人はもうすぐ死ぬんだろうなという予感が現れるけれど、無いを名詞として読むと、
僕の生きる目的は「無い」。
あらゆる存在を目的とした人よりも遠くへ向かう強い意志が生じる。
もちろん同時に「目的の欠損」という前者の読み方も可能だから、読む人の中に「僕」の強さと破滅が併存することになる。
前者の読み方は、例えば「愛」「自由」といった読む人自身やその人が知ったり想像したりする「生きる目的」を想起し、それらの欠損として読んでいる。
後者の読み方は、「僕」「生きる」「目的」「無い」という4つの書かれている言葉をそのままイメージにし、それ以外の何かを想起していない。
この、言葉による想起は、その人のその言葉に対するこれまでの経験から生じる。そのため、それらのこれまでの経験によって、その言葉の周囲に隣接して存在する経験のイメージが自動的に立ち上がってしまうため、言葉をそのまま受け取ることを難しくしている。
しかしあるいはしかも、この隣接イメージの想起こそが、言葉というものの持つ豊かさの源泉であって、その隣接=ネットワークのズレや組み換えによって生じるイメージの現れ方も言葉というものがもつ仕組みとして組み込まれている。