November 30, 2018
November 29, 2018
【513】あまりにも傷つけすぎる。(生後84日目)
以前にも書いたけれど、
【465】顔面、傷だらけ。(生後48日目)
爪は割とこまめに切っている。にもかかわらず生傷が絶えない。ほぼ毎日このレベルの傷ができる。
君は小鉄か。
たしかにうちはホルモンをちょくちょく焼くけど。猫もいるけど。
さすがに対策を取ることにした。素手は危険なので今後はグローブの着用を義務付ける。
しかし、ちょっと目を離すと、こうなっているので、効果の程は不明である。
この問題は、もう少ししたら、自らの手を思い通り動かせるようになるという根本的解決を見るはずだと思うと、もうすでに感慨深い。
【465】顔面、傷だらけ。(生後48日目)
爪は割とこまめに切っている。にもかかわらず生傷が絶えない。ほぼ毎日このレベルの傷ができる。
君は小鉄か。
たしかにうちはホルモンをちょくちょく焼くけど。猫もいるけど。
さすがに対策を取ることにした。素手は危険なので今後はグローブの着用を義務付ける。
しかし、ちょっと目を離すと、こうなっているので、効果の程は不明である。
この問題は、もう少ししたら、自らの手を思い通り動かせるようになるという根本的解決を見るはずだと思うと、もうすでに感慨深い。
November 28, 2018
【512】「ネットまるネコ堂」のためにインターネットの固定回線を復旧。
ここ数年、固定回線はやめて、MVNOのテザリングでやりくりしていた自宅のネット接続環境を固定に戻すことにした。といってもADSLの12メガだけど。
直接的には、来年やる通年講座で遠方参加者や欠席者のための動画配信をやりやすくするためなのだけど、せっかくなのでもう少し活躍させようと思っている。
例えば、オンラインの研究室(大学の)みたいなことをやってみようかと思っている。
通年講座では、僕は一応「講師」という役割なので、受講生からの相談にはできるだけ乗りたい。あと、本や演劇や映画の話とか、それ以外の雑談とか、そういうこともやりたい。しかし、遠方の受講生や、遠方でなくても仕事があって時間が取りにくい人もいるだろう。宇治のまるネコ堂まで、ちょくちょくは来れない人もいるだろう。
もともと、僕はだいたい毎日家にいて、家事などをしている以外は本を読んだり、文章を書いたりしている。来年のこの通年講座は力を入れてやりたいことなので、できるだけそのために時間を使いたい。だから、物理的?に講座として開いている時間以外も可能なかぎり通年講座の時間にしたい。
だから、僕が普段家にいて本を読んだり、文章を書いたりしている時間を、同時並行的に、いつでも声をかけてくれたらできるネット会議室というか、ネット研究室みたいにしできるんじゃないか。
といっても、特別なことをやるつもりはなくて、いつもやっていることをネットを介してやるだけなので「ネットまるネコ堂」といったほうがいいかもしれない、いかにも一昔前のネーミングだけど。
時間があるときここに来たら、僕なり誰かなりがいて、なにかしゃべることができるような場所になればいいと思う。
そのためには通信容量を気にしないでいい固定回線がいる。容量が気になるとそもそも僕はうまく話したり聞いたりできなくなる可能性が高い。話しているときに、あとどれぐらいで話し終わるか、みたいなことを想定するのがとても苦手なので。
まぁ、誰も来ないかもしれないけど、誰か来たらとても嬉しい。
回線は来月半ばには開通予定。とりあえず12ヶ月は固定回線を維持するつもり。その間にネット関連でなにか思いついたら全部やってみようと思ってます。
夜、お酒とか飲みながらダラダラするのもいいよね。
使用環境(アプリ)はZoomの予定です。
直接的には、来年やる通年講座で遠方参加者や欠席者のための動画配信をやりやすくするためなのだけど、せっかくなのでもう少し活躍させようと思っている。
例えば、オンラインの研究室(大学の)みたいなことをやってみようかと思っている。
通年講座では、僕は一応「講師」という役割なので、受講生からの相談にはできるだけ乗りたい。あと、本や演劇や映画の話とか、それ以外の雑談とか、そういうこともやりたい。しかし、遠方の受講生や、遠方でなくても仕事があって時間が取りにくい人もいるだろう。宇治のまるネコ堂まで、ちょくちょくは来れない人もいるだろう。
もともと、僕はだいたい毎日家にいて、家事などをしている以外は本を読んだり、文章を書いたりしている。来年のこの通年講座は力を入れてやりたいことなので、できるだけそのために時間を使いたい。だから、物理的?に講座として開いている時間以外も可能なかぎり通年講座の時間にしたい。
だから、僕が普段家にいて本を読んだり、文章を書いたりしている時間を、同時並行的に、いつでも声をかけてくれたらできるネット会議室というか、ネット研究室みたいにしできるんじゃないか。
といっても、特別なことをやるつもりはなくて、いつもやっていることをネットを介してやるだけなので「ネットまるネコ堂」といったほうがいいかもしれない、いかにも一昔前のネーミングだけど。
時間があるときここに来たら、僕なり誰かなりがいて、なにかしゃべることができるような場所になればいいと思う。
そのためには通信容量を気にしないでいい固定回線がいる。容量が気になるとそもそも僕はうまく話したり聞いたりできなくなる可能性が高い。話しているときに、あとどれぐらいで話し終わるか、みたいなことを想定するのがとても苦手なので。
まぁ、誰も来ないかもしれないけど、誰か来たらとても嬉しい。
回線は来月半ばには開通予定。とりあえず12ヶ月は固定回線を維持するつもり。その間にネット関連でなにか思いついたら全部やってみようと思ってます。
夜、お酒とか飲みながらダラダラするのもいいよね。
使用環境(アプリ)はZoomの予定です。
【511】生誕は日常の破れである。(生後83日目)
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| 生後9分。 新(あらた)の現存する最古の写真。 |
しかしこれは、逆に、それまでの固着した日常を打破するきっかけにもなっている。いや、きっかけなどという生易しいものではなく、もうすでに、打破されている状態である。だから、この時期、出来事が膨大に溢れ出るようなことが起こる。また、起こすことも可能になる。日常の破れがないときに、固着した日常を打破するのは容易ではない。容易に変えることができないという意味が、日常の「常」という文字に刻み込まれている。
こういったことは何も新しい概念や世界の見方ではない。網野善彦がきちんと定型化してくれている有縁と無縁の二つの原理を示している。
日常、「ケ」は有縁の原理に基づき、日々強化されている。それに対し、その破れ、特異点としての「ハレ」は無縁の原理に基づいている。
子供が生まれたり、人が死んだりすると、日常が破綻する。こういうときに守りに入ることは、決壊した川の破れた土手に土をかけるようなものである。いっそ、これを期に、川自体が流れを変えてしまってもいいと思って、更新された川の流れを生きることにする、というのが無縁の原理で生きる視座である。流されながら新たに築く。
というわけで、濁流に飲み込まれながら、新しい川の流れで生きてやろうと思って、いろいろやっている生後83日目。いまだ出来事の洪水は終わらず、水位高し。
まったく、網野善彦のエクリチュール(書いたもの)をこれほどまでに強く体験することになるとは。書かれたものを読むことは時に重大なことを引き起こす。
November 27, 2018
【510】ビリケンさんに似ていると澪が言った。(生後82日目)
たしかにちょっと似ている。
が、そもそも、
ところで、ビリケンがフローレンス・プレッツなる実在のデザイナーがデザインしたものだったとは初めて知った。通天閣のビリケンさんのイメージから、なんとなく、どっかの国の、どっかの民族の、お地蔵さん的な民間信仰の神様のようなものだと思っていた。スクナビコナ的な。(スクナビコナは古事記や日本書紀にも出てくるので、「民間信仰」とはされないと思うが)
スクナビコナのこの、「船に乗って波の彼方よりやってきた」というところが僕は好きで、実はスクナビコナ・ファンである。 遠くからやってくるもの、それも海の向こうからやってくるものに、僕は妙に惹かれるところがある。
たぶん、僕が外国旅行にほとんど行かない(行きたいと思わない)のは、こういう妙な憧憬があるからで、僕がそっちへ行ってしまったら台無しではないか、とどこかで思っていると思う。
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| 強いて言えば、吊目の感じが。 |
が、そもそも、
ビリケン (Billiken) は、尖った頭と吊り上がった目が特徴の子供の姿をしている幸運の神の像。 1908年10月6日にアメリカ合衆国のフローレンス・プレッツがデザイン特許を取得した。(ウィキペディア「ビリケン」)なので、赤ん坊がビリケンに似るのはある程度必然かもしれない。
ところで、ビリケンがフローレンス・プレッツなる実在のデザイナーがデザインしたものだったとは初めて知った。通天閣のビリケンさんのイメージから、なんとなく、どっかの国の、どっかの民族の、お地蔵さん的な民間信仰の神様のようなものだと思っていた。スクナビコナ的な。(スクナビコナは古事記や日本書紀にも出てくるので、「民間信仰」とはされないと思うが)
スクナビコナは、大国主の国造りに際し、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)(=ガガイモの実とされる)に乗って波の彼方より来訪した。(ウィキペディア「スクナビコナ」)
スクナビコナのこの、「船に乗って波の彼方よりやってきた」というところが僕は好きで、実はスクナビコナ・ファンである。 遠くからやってくるもの、それも海の向こうからやってくるものに、僕は妙に惹かれるところがある。
たぶん、僕が外国旅行にほとんど行かない(行きたいと思わない)のは、こういう妙な憧憬があるからで、僕がそっちへ行ってしまったら台無しではないか、とどこかで思っていると思う。

