毎日見ていても飽きないもの。二階の窓から。 |
今年の芸術祭作品はポスターを作ろうと思っています。なのですが、僕のデジタルテクノロジーが追いつかず、手描きのラフどまり。ただ、ポスターについて色々と考えるというか、新しく捉え直すことができたのは収穫でした。
僕は子供の頃から好きなアイドルや映画のポスターを部屋の壁や天井に貼ったり、は、全くしていません。今でもそういうことをしたいとは思っていないのですが、たぶん「飾り」というのがあまり好きではないんだと思います。
ポスターやカレンダーを部屋の壁に貼ることに、居住空間を「飾る」という感じがあって、それが好きではないようです。それなのにポスターを作ることにしたのは「飾る」のではないアプローチが取れるような気がしたからです。
焼き物のお茶碗を好きな人が、こう、掌に乗せて「景色がいい」なんて言ったりします。お茶碗の模様というか、柄というか、そういうものが良いという意味だと思うのですが、ここでいう「景色」という言葉の使い方が面白いです。
景色というともっと「自然なもの」というか、人間のサイズを超えたパノラマというか、少なくとも手のひらに乗るようなサイズの視野には使わないと思い込んでいました。でもそう使えば、使える言葉。
それと、掛け軸。床の間に掛けるのですが、これもたぶん「景色」を作るようなイメージなんではないかなと勝手に関連付けています。飾っているわけではなく景色をつくっている。茶碗も掛け軸もどちらも茶道が関係していて、茶道の世界の自然と人との関係、人が物を作ることと自然現象との関係が、現代人のそれとは違うのかもしれない。
自然と人工が相反していない、のかもしれない。
ポスターを、部屋を飾るものと考えるとあんまりしっくりこないけど、景色を変えたり手を入れたりするものとして考えたら、やってみたくなりました。
そういえば景色は好きです。河口近くのゆったりとした川の、主に水平に広がる空間を思い浮かべるだけで気分が良くなります。
今も、二階の窓から西の方角が開けていて、日が落ちようとしています。意外に近く見えるところに、団地の長い四角の建物が斜めに七つほど並んでいて、地図を調べると向島の団地です。昔、あそこに巨椋池という巨大な池というより湖があって、向島は、その名の通り島で、この位置からは大きく広がる水面が見えていただろう、魚釣の舟も見えたかもと思うと、ずっと見ていたくなります。
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第5回まるネコ堂芸術祭に向けて書いているエントリー
毎週水曜日に配信中、まるネコ堂芸術祭ラジオ@stand.fm