August 9, 2014

【006】「教育」の再発見の再発見

沖縄のぜんざい。
しばらく忘れていたけど写真を見ると食べたくなる。

仲間と講読ゼミをやっていて最初に読んだ本がパウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』。教育に対しては近からず遠からずな距離感で付き合っているけれど、この本を読んで今までの教育に対するイメージが変わったなと思った。

そして、そういえば以前、同じように教育についてのそれまでのイメージが変わったことがあったなと思って、それを書いたブログを読み直したら、結構面白かったので再掲します。

4年半前、僕はこの時フレイレの言うコード化、脱コード化をしていた。それは3歳児との対話によるものだ。3歳児に主体を認めていた。世界をほんの少し引き受けていた。

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2010年3月20日
「教育」の再発見

もともと散歩が好きなので、休みの日はなるべく3歳の長男と散歩に行くようにしている。子どもも散歩が好きなようだ。

数ヶ月前のある日、散歩中に子どもが何気なく、道端に落ちている汚いビニール袋を「ごみが落ちてるなぁ」と拾い上げた。いつから落ちているか分からないごみを素手で拾い上げる子どもの姿には、さすがに抵抗を覚える。「ばっちいから捨てなさい」という言葉が喉まででかかったが、なんとか飲み込んで「そうだなぁ。そのごみ、どうしようか」と問いかけてみた。すると「おうちに持って帰ってごみ箱に捨てよう!」と元気のよい返事。子どもにそう言われると「そうしよう」と答えるしかない。

しばらく歩くとまたごみが落ちていて、それを拾う。拾ったごみが3つになって、両手でもっていられなくなると「おとう、ごみ持って」といって差し出す。「汚いから嫌だ」とも言えず、僕はごみを受け取る。

一旦そういう目で見始めると路上にはごみが溢れていることに気づく。雨に濡れてアスファルトにへばりついたティッシュペーパー、土に埋れた煙草の空き箱、車に踏まれて潰れたコーヒーの缶、コンビニ弁当を包んでいたラップ、そんなものを次々と拾っていく子ども。たまたま持っていたレジ袋を渡すと、喜んでそこへ集めて行く。

こういう状況にたいして「子どものしつけがきちんとできている」と思うかもしれない。「親のいうことを守ってなんて利口な子どもだ」と思うかもしれない。しかしそれは間違いだ。なぜなら我が家では一度たりとも「道に落ちているごみを拾いなさい」と教育したことはないし、子どもの前で親が道端のごみを拾ってみせた覚えもない。

もともと我が家は平均的な家庭よりも「ごみはごみ箱へ」のしつけはゆるいと思う。我が家を訪れたことがある人ならわかると思うが、ごみなのかそうでないのか曖昧なものが家中にかなり散らばっている。それにも関わらず長男はなぜ道端のごみをせっせと拾うのか。誰にもそんなことを教えられていないのに。このことは僕には大きな謎だった。

この謎につながるヒントを僕は別の方面から知ることになる。

昨冬、映像職人の神吉良輔さんの手伝い※で、大阪の労働者の街・釜ヶ崎で行われている子どもが中心となった「子ども夜まわり」活動に同行した。野宿での冬はとても厳しく、時には死者が出ることもあるため、それを防ぐために野宿者に声を掛けて体の具合をきき、おにぎりや味噌汁、毛布などを配る活動だ。子ども夜まわりというぐらいだから、主に小学生が行う。「なぜ、子どもが野宿者支援をするのか?」と疑問に思うかもしれない。それには訳がある。

釜ヶ崎の「子どもの里」という児童福祉施設が子ども夜まわりを始めたきっかけは、1983年に横浜・山下公園で起きた複数の少年による野宿者殺害事件である。このような襲撃の加害者の多くが、実は中学生・高校生の男子生徒だ。子どもたち自身が野宿者と話をすることによって、人としての存在に気づき、襲撃を減らすことが子ども夜回りの目的である。

しかし、襲撃をしてしまう少年たちもまた、家庭や学校で「優秀でなければ生きる価値がない」という優勝劣敗の価値観を強いられた「しんどい」状態に追い込まれていることがわかっている。そのはけ口が野宿者へと向かうのだ。

加害少年へのインタビューによると「社会のごみだから駆除した」という衝撃的な言葉が出てくる。彼らは野宿者を人としてではなく、社会のごみとして、認識している。実際に生きている人をそのように認識することは、もちろん簡単なことではない。いったいどういう過程を経て、彼らはそのような認識に至ったのか。

もっとも直接的な理由は、野宿者を見つけた子どもにたいして親が「近寄ってはいけません」と注意することだろう。そう言われた子どもは、同じ人間なのに、近寄ったり口を聞いたりしてはいけない存在があるということを学ぶ。

さらに、釜ヶ崎の街を歩くといやでも目に付く奇妙な物体もこの認識に一役買っている。例えば、通常、車線を区別するために列状に設置されるオレンジ色のポール。それが、まるでつくしの群生のようにびっしりと隙間なく路肩の一角に生えていたりする。その場所に野宿者が寝られないようにするためだ。また、小学校の塀の上に張り巡らされた水道管は、毎朝そこから放水し、壁際に寝ている野宿者を排除するためにある。公園のベンチの形状が複雑になり、単純な3人がけのものがなくなっているのも同じ理由、つまりそこに寝ることができないような「工夫」が施されているのだ。これらの物体の意味を子どもたちが知ったとき、彼らは何を学ぶだろう。

そもそも、何も知らない子どもにとって、路上で寝ている人というのはかなり奇妙な存在にうつる。しかし多くの大人は野宿者を完全に無視し、その横を通り過ぎる。それを見た子どもはどう感じるだろう。

当たり前だが、最初から人をごみとして認識するような子どもはいない。子どもたちは最初、野宿者を「人として」見たはずだ。しかし、多くの大人が、人として異常ともいえる状態にある野宿者を、風景として無視し、その状態で放置し、それどころか排除している。子どもたちは、野宿者を「人ではないごみとして扱うように」多くのおとなの「草の根差別意識」によって「教育」されたのだ。

僕は、「これをしたらよい。これをしたら悪い」と、学校や家庭で行われる明示的な指導が「教育」だと思っていた。しかしそうではなかった。社会の至る所で、僕を含む多数のおとなたちの、多くの場合は消極的で無自覚とも言える行為によって「教育」はなされるのだ。

僕の子どもが道端のごみを拾うのは、「ごみを拾いなさい」と教育されたからではなく、単に、道端のごみなんて放っておけばよいということをまだ「教育されていないから」に過ぎない。やがて、ごみを拾い続ける自分の横を無関心に通り過ぎる多くのおとなたちの存在に気がついた時、彼は拾う事をやめるはずだ。

僕たちはだれもが教育者であり、どの瞬間も多くの子どもたちを教育し続けている。


※神吉さんのお手伝いをして制作した映像はこちら。
 『教材用DVD 「ホームレス」と出会う子どもたち


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