August 30, 2014

【言葉の記録1】梅田純平さん 第3回

第3回 人間の価値ってのは想像できる価値。それを証明してくれるものが演劇

梅田:文化って呼ばれるものとボランティアって、自分が認めたいものを認めたい、伝えたいものを伝えようとしたりって点で似通っている。特に運動系のボランティア活動ってのは非常に似通ってるなと。だから文化の衰退は、難しいねんけど、人間の価値が衰退していくというようなイメージ。

大谷:人間の価値?

梅田:想像することの素晴らしさみたいなものを、すごいやりながら思ってたんですよ。 

ないものをあるものとして扱う。単純な話で言えば。ここに「やかん」がありますって言ったらみんなやかんを想像するわけですよ。AさんのやかんとBさんのやかんは大きさも用途も違うかもしれへんけど。一つは鉄でできてるものかもしれへんしひとつはアルミで出来てるものかもしれへんけど、人ってのは想像して補っていって作り上げていく。演劇ってそういうものの積み重ねみたいなとこがあって、どんだけ想像してもらえるように環境を準備するかやねんね。

役者の言葉ひとつとっても、ここには机があっておそらくせんべいでも食べてるんでしょうなってのを勝手に想像してもらえるように作っていくってのがあって。

その想像ができるっていうのは人特有のものだろうなと。そこに価値がある。だから人間の価値ってのは想像できる価値やね。それを証明してくれるものが演劇のような気がしてて。それが面白くて演劇観に行ったりとかしてんねんね。

今回すごい共感したのは、わからないことをわかるってのがいいことですよねって話をしてて。わからないことをわからないままに置いておくことではなくて、私わかってないですねってわかることが重要な気がして。そっからわかろうとするかはまた別の話なんやけど。

大谷:自分はわかっていないという状態を自分がわかるってこと?

梅田:そうそうそう。想像する域がテリトリーが広がる。自分の。

例えばけんかしたとか、辛いことがあったとかやね。そんな時に、ふとあの時見た芝居にこういうシーンがあったな、今そういうシーンとそっくりな状況にいるな、あの時わからないと思ってたけど今やったら分かる気がするとかいう瞬間ってのがあるんじゃないかなっていう。

もうこれは想像やねんね。演劇を観ました。その演劇を観たシーンで自分でこんな想像をしていました。現実にそれが起きました。自分の中では成立してんねん。現実に起きてることとあの時みた芝居のつながりが。

嘘もんやってわかってるけど、一緒やねんね。それは多分想像してて。方法論とかじゃなくて自分のなかで想像していたものが起きて、それに対処する、対応するとかいうことがもしかしたらできるんじゃないかなって。

大谷:演劇で観ていた状態になったときに対処できるってこと?

梅田:でもその演劇を観てる時ってのはビデオで撮ったかのように観てないじゃないですか。自分の中の勝手なイメージもそこに付加されてるよね。付け加えられてて観てるよね。それとつながる。

映画でもそうかもしれへん。ゴジラって映画があって。あのゴジラがイコール自分の父親とつながったりとか。知り合いとつながったりするかもしれない。

その人が想像するものが付加されて現実とリンクするっていう場面があるんじゃないかなっていうのが最近思ってること。それが増えればいいなっていうのが、自分自身もそうやし、観てる人にとってもそうやし。それがなんらかの糧になればいいのかなって。

っていうのがこの前の演劇をやってて思ってたこと。自分が知らないってことが分かるとかっていう域にいけば、だから観た人が分からなかったですっていうのは自分の中で正解でもあるし、よかったなって思う瞬間ではある。


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