August 16, 2014

【009】Twitterをやめてみると決めてからが長い

後回しにしがちなものナンバーワン。
退会処理。
もう長いことつぶやいていないし、そんなにタイムラインに興味もない。ので、やめてみることに決めた。

やめてみることにしたんだけど、すんなりやめられるわけではなくて、いや、手続き的には簡単なのだけれど、心理的に引っかかりがある。

そもそもなんでやめようかと思ったか。だいたいこういうのは別に退会しなくても、そのまま放置しておけばいいのだけど、僕はどうにもそういうことができない。使っていないもの、使うあてのないものを「所持」しているのがとてもしんどい。使っていないにもかかわらず使っていないことをずっと気にさせられてしまう。ツァイガルニク効果と似ている、というかそれそのものかもしれないけれど、本当にもう気になってしまってどうしようもない。

そんなわけで、実は結構長い間、しょっちゅう「もうTwitterやめよう」と思っては、心理的障壁に阻まれて退会しきれずにいた。いよいよこのままでいるのが面倒になってきて、その面倒さが退会する面倒さに匹敵してきたので、今こそ何が引っかかっているのかきちんと見てみようと思う。

まず、すぐに出てくるのが、過去の自分のつぶやきが消えてしまうことに対する残念さ。でもこれはそんなに大きくなくて、そもそも大したことつぶやいていないし、Twitterの設定画面を見るとアーカイブをつくってまとめてダウンロードができてしまう。ので、ダウンロードして普段見えないところに保存してしまってあっさりクリア。

次に、改めてタイムラインを眺めてみるとやっぱり結構面白い人がいて、そういうのをたどって見てしまう。見てしまうってことはそれなりに有用なんだから辞めなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。面白いからここまで流行ったわけで、これは結構手強い。でも、面白いと言ったって実はそれほど面白いわけではない。いや、面白いんだけど、それは個々のつぶやきの内容の面白さじゃなくて、バラバラなつぶやきがとても近い時間の間に次々と差し込まれてくるリアルタイム性にあるわけで、その面白さを享受するにはいつも使っていないといけない。Twitterが新しいのは、「現在を限界まで細かく微分すること(by芦田先生)」なので、そこから離れて、時々思い出したようにタイムラインを見てみるぐらいじゃぁ、Twitterの意味なんてない。ということで、これもクリア。

このへんまでは、「道具としての」必要性、不必要性の話だけど、次はちょっと違う。退会しちゃうとTwitterでしか繋がっていない知り合いと連絡がとれなくなってしまう、という不安が出てくる。これは道具の問題ではなくて自分の問題。具体的に顔が思い浮かびだすとなかなか厄介。連絡を取れない方がいい知り合いなんてほとんどいないから、いざ何かで必要になった時に連絡がとれないよりとれたほうがいいと思えてくる。だから少しでも可能性を残しておこうと考えだす。知り合いとのつながりはあればある程よいと思えてくる。これはTwitterだけじゃなくていろんな時に顔を出す「人のつながり資源論」で、僕の中では「またお前か」という感じの感情。

旧知の仲だから、ある程度付き合い方もわかっていて「たしかに人のつながりは強力で、とても役に立つ。だからみんなせっせとそれを求めるのだけれど、裏返しになればしがらみとなって逆に縛り付けてくるものでもある。だから常に有益なものではない。それに、有益であるためにはある程度のメンテナンスが必要。」というような感じで「必ずしも」で対抗することが多い。

でも、今回はもう少し考えてみようと思う。「必ずしも」で対抗しきれるなら、こう何度も出てこないはずだから。

だいたい、そもそも人のつながりを資源と捉えるのはどうなんだろう。以前の僕なら疑いなく「つながりは資源」と言い切っていたと思うし、もう少し突っ込んで、「お金よりも効率的な資源」とさえ言っていた。でも今は違和感がある。資源ということは、他人が自分にとって有益である、都合がいい存在であるということだと思うけれど、そういう人を僕は望んでいるのだろうか。

もちろん仕事なんかで、自分だけでは出来ない時に助けてもらうようなとき、他人はとても便利な資源に思える。しかし仕事を離れた時もそうなんだろうか。

僕が望むことをしてくれる人を僕は望んでいるのだろうか。

たぶん、違うんだと思う。ではどういう人を望んでいるのかというと、という問いを立てるとまたちょっとずれていく気がする。

たぶん、何も望んでいないんだと思う。こう書くと周りから人がいなくなってしまいそうだけど、根本的に、僕でない人が僕のために存在しているというのは気味が悪いと僕は思っているんだと思う。そういうしょうもないことと無関係に人はそれぞれ存在していて、その無関係なことがたまたま僕の望みというか僕の楽しさと合致するようなことを僕は望んでいるんだと思う。

僕が好きな人は僕のために存在しているんじゃなくて、まったく無関係に存在していて、それにもかかわらず僕がその人を好きになるということが素敵なんだと思う。

ということで、ほとんど利用していないTwitterでしか連絡が取れない人であっても、未来にたまたま何かが合致して連絡がとれたらそれは素敵なことで、不可能なことではない。

さて、これでほんとに「アカウントを削除」。

追伸:こういう発信ツール自体は結構興味あるので、必要になればまたアカウント取ります。


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