「人の目を見て話しましょう」と言う人がいる。
しかしこれは、この人の独自ルールにすぎない。この人がもし、人の目を見て話していなければ、「あなたはちゃんと話をしていない」と的確に指摘することができる、というだけだ。
世の中には人の目を見ていなくても、話をしている人がいる。その人にとっては、人の目を見ていることは話すことと関係がない。その人はその人なりのルールに則って話している。
往々にして、普段「人の目を見て話しましょう」というルールを採用している人の多くが、極地的な限界で「人の目を見ないことでこそ、話しができるのだ」という臨時ルールを恣意的に採用していたりする。この臨時ルールは、「人と話さないことで、その人の目を見たことになるのだ」と転倒していることもある。
ある特定のルールがなぜか大きな力を持ってしまうことの理由は、多くの人がそのルールを採用しているからだ。多数派のルールは比較的通用しやすい。しかしそれはあくまでも多数派の内部での話である。「多数派を形成できる」という一つの利点のためだけに、大きな力は正当化されている。
独自ルールは自分にとってそうとしかできないという強い根拠を持つが、他者が別の根拠を持っている可能性を消しさることはできない。その根拠の強さこそが、他者の根拠を強くするからだ。根拠の強さが、根拠を脅かす弱点となる。
この強さと弱さの緊張に踏みとどまる度合いに応じて、人は他者と会うことができる。会うまでは他者と呼べず、いつも突然現れる、あの他者のことである。