僕自身が使った言葉が、使ってみたことで、実はそういうことだったのかと自分でわかることがある。その言葉を使うには、その時の文体や文脈が必要だし、その言葉を読み取るにはその時の状況が必要なのだと思う。
5月4日から6日の言語合宿中に僕が使った〈自覚〉という言葉について僕なりにあぁそういうことなのかと思ったのでここにメモしておこうと思う。
自覚とは、吉本隆明ならこういうような言い方をするのではないか。
自覚とは自己表出への視線である。
自覚とは自己表出から見ることである。
自覚とは自己表出を見ることである。
ここから逆算することができるとしたら(これは注意深くしなければならないが)、〈自覚していない〉というのは、同じく吉本ならこういうだろう。
自覚していないとは自己表出の逆立ちである。
自覚していないとは自己表出の挫折である。
自覚していないとは自己表出の屈折である。
とりあえず今はここまで。