『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか。そう言うと大抵は驚かれますが戦争が単純な攻撃衝動で起こるのであれば、戦争などという高コストな営みはもうとっくに他のなにかに置き換えられている。ワールドカップやオリンピックで十分だ。
攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は「そういう目に遭わないために戦争をするのだ」と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる
どれほどコストがかかろうとも絶対にやめることができない営みによって戦争は要請され、最終的に了承されてきたのだ。誰が戦争を要請し、誰が了承するのか。「切実な思い」を持つ者だ。
たとえばそれは、愛する我が子を守ろうとする親なのではないか。我が子を悲惨な目に合わせたくないという当たり前の親心が戦争を始める理由にされてきたのではないか。一部の人間の利己的で衝動的な行動だけで国家による戦争が可能になると思っている人は戦争を軽視している。
お前の愛する者が殺されても良いのかと問われながら、戦争に反対できるのだろうか。不安や恐怖といった「切実な思い」が戦争を要請し、了承する。高畑の指摘は悲しいほど正確だ。この構造に僕たちは抵抗できるだろうか。
『火垂るの墓』が反戦映画でないとすれば、いったい何の映画なのか。
『火垂るの墓』が描いているのは、冷酷で呪詛をはきたくなるような「社会」ではあっても、その「社会」の一員として生きていかなくてはならない、というとても厳しい現実主義だ。自らも死ぬしかなかった14歳の主人公の少年は「愛する者が死に向かう状況で、いったいどうすればよかったのか」と、何千回何万回と今でも問い直し続けている。それほど困難な問いとして投げかけてくる。そうなったらどうすればいいのか、そうならないようにするにはどうすればよいのか、それを考え続けろと言っている。この映画を観てしんどくなるのはそのためだ。「悲しいお話」を涙を流して楽しむ映画ではないのだ。
この厳しい現実が示す困難さによって、監督自らが「反戦映画ではない」と明言しているにも関わらず、この映画が「反戦映画」として見られてしまう理由が見えてくる。反戦映画として見たがる意識がわかってくる。
それは、社会が自分から切り離されていて、自分とは無関係に、社会が勝手に悪くなったのだと思いたがる意識ではないか。自分を社会から疎外したがる意識ではないか。戦争を引き起こすのも、社会が冷淡なのも、自分とは関係がないところでそれが生じていると思いたがる意識ではないか。
戦争というものはどこかの悪いやつらが勝手にやっていることにすれば、主人公とその妹が直面した困難な現実を引き受ける必要がない。自分はそこにはいないからだ。「悲しいお話」で済む。
自分を社会から恣意的に隔離しようとする意識が『火垂るの墓』を反戦映画に見せている。自分には責任も関係も無いから「こんな悲惨な」と言う。自分で自分を社会から隔離して安全なところから「こんな悲惨な」と言う。
困難な現実に直面することを無意識に回避するために「反戦」という映画外の立場へと自分を逃してしまえる。
一方、新型コロナウイルスは、よくも悪くも自分が社会の一員であることを突きつける。安全な場所に自分を隔離し続けることが現実的に不可能であることを突きつけてくる。
新型コロナウイルスは戦争ではないが、戦争よりもずっと冷徹だ。冷酷に平等に自己を社会に関わらせておく。自己を社会から引き剥がせない状態に置いたまま事態を進行させていく。自分が巻き込まれることと自分が引き起こしていくことがつながっている。感染した者が感染させる。ただひたすらその連鎖だ。衝動も愛情も必要としない。
新型コロナウイルスは感染しても症状が出ないことがある。症状が出なくても感染力はある。自分はすでに感染している(していた)かもしれない。知らないうちに多くの人に感染させてしまっているかもしれない。自分はもうすでに何人かを死に追いやっているかもしれない。そういう状況で「こんな悲惨な」などと他人事のようには言えない。
自分には責任が無い、自分には関係が無いなどと言うことができない分、新型コロナウイルスは戦争よりも徹底して僕たちを現実に直面させる。
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