食べずに残したふきのとう。 根拠は無いけれど、この見事な造形は無いに関係すると思う。 |
というのが生きていることの限界で、常にここに縛り付けられている。
ただ無為に過ごすことができない、というのも生きているからどうしても生じることで、生きていなければただ無為に過ごしていても何も問題はない。
生きてしまっている以上、どこまで無いを求めても、行き着くことはできなくて、もう少しというところで必ず反転して、「それでも何かが在る」ということに根拠か目的をおいてしまう。
しかし、だからといって無いを無視していいかというとそういうわけではなくて、今もすでにうんざりするほどの在るに悩まされている以上、生きているうちに無いを見たい。