昔はこんなに小さかった猫。 今は飽和している。 |
ということがいいコトとされてきた。
でも僕の感覚はちょっと違っていて、
飽和した。
という感じがする。
昔観たテレビ番組でカレールーを使ったカレーはどうやったら美味しく作れるかというのがあって、主婦歴10年とか20年みたいな主婦数人と料理やったことありませんな女子大生が作ったカレーを食べ比べるのだけど、主婦たちは隠し味だとかいってチョコレートやインスタントコーヒーやら醤油やらソースやらを入れる。一方はじめての女子大生はルーの箱に書いてあるとおりに作る。たしかそんな内容。
結果、女子大生のカレーの方が美味しい。
理由は、カレールーというのはもうメーカーで完璧に作りこまれているから、味が限界までつめ込まれている。そこに他のものを追加するとバランスが崩れる。
僕達の生活はもうカレールーのように飽和しているのではないか。
ここに新たな何かを追加しても美味しくはない。
追加添加できる余地がない。
現状にプラスするという発想から離脱することが、何かを「新しく」作ることへの近道で、しかし、飽和したという現在地から進んで行く方向はもちろん破壊ではなくて、僕はその方向が無縁なんだと思っている。
ルールが変わる所、ゲームの流れが変わる所。