April 30, 2016

【336】カリタ「ナイスカットミル」改造。

カリタの電動コーヒーミル「ナイスカットミル」を改造しました。
ナイスカットミル。
粉を受ける部品はもともとプラスチックのだったのですが、
あまり好きではなかったのでガラスコップに変えています。

時々豆が詰まることがあって、ホッパー(豆を入れるところ)から箸や指でつついたりしないと落ちなくなっていたので、なんとなく邪魔に思えてきたホッパー内部の丸い部品を取りました。

ホッパー。真ん中に豆が飛び出さないようにか、
丸いのが付いている。
わざわざつけてあるのだから、きっと何か意味があるのだろうけれど、いまいち必要性がわからない。たぶん、豆を挽くときに弾け出ないようにだと思うのだけど、ホッパーには蓋も付いていて、いつも蓋をしてから挽いているのであんまり意味がない、と勝手に判断しました。

とれた。
ちなみにホッパーに入っているヒビは、
うちのやんちゃな猫がミルごと床に落とした時に入りました。
1メートルぐらい落下したけど被害はこれだけ。
さすがナイスカットミル。
ホッパーと一体になっているので、ネジを回して外すというようなものではなくてプラスチックを割るしかないのだけれど、3本の足の部分をうまく切り離せないかとペンチでゴネゴネやっていたら、あっさり3本ともポキンと折れました。ホッパーの内壁と丸い部分の間にペンチを突っ込んでちょっとひねった感じです。

割れ残った足をニッパーでポキンポキンポキン。
ホッパーにちょっとだけ残った足はニッパーで取りました。結構勢い良く破片が飛んで行くので注意です。

ハイ完成。
思った以上に綺麗に取れて満足。

早速試しに豆を挽いてみるとスルスルと入っていって詰まりそうな気配がなくなりました。

と、ここまでやったあとに、もう少しいい解決策があったんじゃなかろうかと、ネットを調べてみたら、ナイスカットミルの分解掃除をするといいらしいとわかり、分解掃除もしました。購入して一度も掃除したことがなかったのでした。

分解掃除の参考にしたのは、こちら。

というわけで、わざわざ回復不可能な方法で改造するまでもなかったかもしれません。

ちなみにホッパー自体は1000円ぐらいで手に入るので、不都合があったら買えば良さそう。


ナイスカットミル自体はとても気に入って使っています。


久しぶりにカリタのサイトを見たら、「次世代」ミルが登場していてびっくり。
次世代って? しかもすごい値段。
でも確かにナイスカットミルの欠点は解消されている気がするので、いいのかもしれない。

April 29, 2016

【335】ぶどう棚を作る。

ぶどうの枝先が垂れてきていたので、ぶどう棚を作る。

もともとカーポートの屋根を取った状態の鉄枠に這わせていたのだけれど、枠が足りなくて枠と枠の間で枝がしんどそうに垂れてしまう。

ので、枠の間を埋めるのに針金で補助枠を作ってみた。
左側の線が針金の枠。
後ろのほうは電線でややこしい写真になってしまった。
3本ほど針金を渡した。

針金の扱いがいまいち上手くなくて最初はぐちゃぐちゃだけど、慣れてくるとややすっきり巻けるようになった。

最初に巻いた針金。とにかく止まればいいという感じ。
最後に巻いたのは割とすっきり。

とりあえずこれでしばらく様子を見てみる。足りないようなら縦方向にも足してみよう。

ぶどうは結果枝がたくさん出てきて花もついている。
ブドウの花。つぶつぶ一つ一つが花なんだと思う。


花が終わった頃に房の数を減らすらしい。
秋に収穫できるかも。


April 25, 2016

【334】庭でダッチオーブンでピザ。

ピザ好きです。薄めのカリッとしたやつが好きです。たまにやります。

庭で取れたさやエンドウのトマトソース。
焼くのはダッチオーブンです。
暗くてよくわからないかもしれませんが。
七輪で薪を燃やしてその上にダッチオーブンをおいて、中に丸い焼き網を入れて、そこにアルミホイルにのせたピザを入れて、だいたい10分ぐらい。火加減というか風加減というか風が強いとダッチオーブンの熱が逃げてしまうので少し時間がかかります。

途中、蓋をとって様子を見ながら、いい感じになればできあがり。

生地は小麦粉と水で澪が作ってくれます。あ、トマトソースも澪です。僕は火の番をしていたぐらいかな。

カリカリッとして美味しいのです。またやろ。

【333】『心的現象論序説』の「原生的疎外と純粋疎外」についての現時点でのメモ。

昨日一昨日とゼミで、特に昨日の『心的現象論序説』はすごかった。

難解で知られる「原生的疎外と純粋疎外」というやつ。

原生的疎外はまぁ、なんとなく。「生き物である以上、〈自然〉に対して異和を持つこと」というのでなんとなくわかる。

純粋疎外はもう大変だった。どうにかなんとか、今のところゼミのメンバーで共有できたのは、例えば視覚でいえば「何かを見た時に、それを見た人〈にとって〉、どうしてもそう〈見える〉もののうちで、対象を見ているという視覚のなかにあるもの。これを純粋視覚と呼ぶ。」ぐらい。

吉本隆明は、いかにも簡単に具体例として灰皿を見た時の話を書いているのだけれど、最初、それはあくまでも「その時の吉本〈にとって〉」というのを読み落としていて、僕は間違えた。

いくら具体的にかかれていても、それが具体的である時点で、もう僕の「視覚」ではないわけで、「灰皿のキズを見つけたところ? 材質について考えたところ? 製造工程を考えたところ? 恋人の部屋の灰皿を思い浮かべたところ? どこまでが純粋視覚なの?」というふうな疑問が出てしまう。

「どこまで」という疑問自体が実はおかしい。「それを見た時にそういうふうに見える。心的な現象として」なのだから、その人にとって「どこまで」という疑問は無い。

これも間違っているかもしれないのだけれど、ともかく今はこういうふうに読んでおいて、これでもう少し先まで読み進めてみる。

【催し】6月6日(月)に庭で七輪ホルモン焼肉やります。

友人の明日香とフミノさんと澪とでホルモン焼肉をやろうやろうと。それだけなんですが、勝手に催しとしてアップしちゃいます。

6月6日(月)の夕方ぐらいから、庭で七輪に火をおこして炭火でホルモンを焼いて食べます。ホルモンはいつも買っている伏見の大手筋にある岡田食品で、ここのホルモンはごく控えめに言って、非常に美味しいです。

岡田食品のホルモンを七輪で焼いて食べるようになってから、焼肉屋に行こうという気が完全に失せました。

当日はフミノさんと一緒に肉を買いに行こうと思っています。

食べたいよーという方は大谷(marunekodo@gmail.com)までどうぞ。

掛かったお金を人数割りします。
焼肉屋に行く予算だと胃が破裂してしまいますので、
ちょっと飲みに行くか程度の金額です。

遠方で帰れなくなるような場合は、まるネコ堂に宿泊もできます。

2016年5月13日追記:
庭のミントで美味しいモヒートも作る予定です。

April 21, 2016

【332】スターバックスで『心的現象論序説』ゼミのレジュメを作る。

東山の和室に昨日から来ていて、今日は今度の週末の『心的現象論序説』ゼミのためのレジュメを作る。こういう時、ロームシアターの中のスターバックスがとても捗る。

午後に来てドリップコーヒーを頼んで、3階にあるテーブル席で夕方までやって、お腹が減ってきたから二条通のイオンに行ってもやしとご飯を買って、和室でもやし炒めを作って食べて、またスターバックスへ戻ってくる。

レシートがあればおかわりが108円で飲める。3階は19時で閉まるので、1階のカウンターで電源を確保しながら、すすめる。1回目のレジュメはできたので、閉店まであと2時間、2回目のレジュメにとりかかる。

うまくレジュメができるととてもうれしくて「こんなことをやっても一銭にならない」なんて妄想がくだらなく思えてくる。そのためにこの場所に対して若干の代金が必要だというなら、喜んで払う。

April 18, 2016

【言葉の記録6】ぱーちゃん(鈴木陵さん)第1回

ぱーちゃんこと鈴木陵さんの言葉の記録です。
収録から約1年経って文字起こししてみました。

言葉が言葉として現れる瞬間、どういうことが起こっているのか、まさにそれが記録されている感じが僕にはします。言葉にならなかったことも、なにもないのではなくて言語としてはあって、むしろ無言こそが「幹」であって、言葉は「葉」なのだと思います。そういう意味で貴重な記録です。

無言の時間を感じながら読んでいただけると幸いです。

話し手:鈴木陵(ぱーちゃん)、大谷隆
場所:東山の和室
収録日:2015年5月28日
まとめ:大谷隆

第1回「第一声を発するとき」

鈴木(ぱーちゃん):はぁーーー。よいしょっと。

(30分無言)

鈴木:なんかこうしてると、こう、無言の時間の見方がちょっと変わるというか、どこかで切れるものとして時間というか、大谷さんが円坐で第一声を発するときのどこかの車、水没した車から脱出するとき※の、ドアを開ける時みたいな、のことを思い出しました。なんか、身動きがとれないみたいな、なんていうのかな。

まぁ別になにか言ったからといってどうなることでもないんだけれど、だからといってその第一声が何かものすごい意味を持つわけでもないんだけれども。なんかそこの重圧をなんか感じてましたね。

※水没した車から脱出するとき:車が水没しはじめた直後は、車内の空気と車外の水の圧力差のためにドアを開けることができない。車内に水が侵入して水で満たされると圧力差がなくなりドアを開けて脱出することができる。

(20秒無言)

大谷:なんか僕は、こう、それこそさっき、ぱーちゃんに話した、水位が一緒になるまで、こう待つというか※、一緒になるとスルッと言葉がでる。ものすごい、水位差があるからさ。

※水位が一緒になるまで待つ:この収録の前にぱーちゃんに大谷が話した内容から。大谷が見るぱーちゃんの行動原理は、何かをしようとするときに、その水位が一致するまでじっと待っていて、一致してからスルッと行動する。水位差があるうちは無理に勢いをつけるようなことをしない。

鈴木:水位差?

大谷:うん。こう最初いきなり喋れるような水位差じゃなくて、だんだんだんだんこう、なんていうのかな。上がりすぎても変な感じで、

鈴木:うんうん。

大谷:勢いをつけるのも変な感じやし。なんとなくちょうどスッてなる感じが、あるかな。それまで待ってるぱーちゃんの行動の仕方というか、なんとなく見えてる感じがあるなと。

鈴木:さっきの行動の話は面白かったですね。

(20秒無言)

鈴木:なんかもう黙ってんのしんどいって、たまらずなにか言うみたいな、のもなんかちょっとね。それはそれでちょっと変な感じっていうか。そんな気がして。

今言われて、ちょうどいいところというか、ススッとね。スッと行けると。行けるとと言うか、行けてしまうとなんというか、なんということはないんですけど。

【言葉の記録6】ぱーちゃん(鈴木陵さん)第2回

第2回「言葉になるかならないかくらいで」


(4分30秒無言)

(水を水道からコップに出す。飲む)

(1分10秒無言)

鈴木:いろいろこうなんか浮かぶ、僕の中で浮かんでは消えていって、こう言葉に、なるかならないかくらいでこの辺まで来て、なにか言ったらそれが文字として残っている様子が次の瞬間に、一段とばしみたいな、実際言葉にする前に、その後の文字になっている状態が想像されてしまって、

大谷:ほぉー。

鈴木:こうなんかあの、止まるというか。ということが起こってる。ははは。なんていうのか、記録として残った状態みたいな、全部じゃないけれども、なにか言ったらそれが文字になっているみたいな。それが想像されて一旦そこで止まるんですよね。言葉にならず。というのが何回か起こっていたというのを言わないと何もできない気がしてきて。

大谷:その言葉、文字になって浮かぶ言葉自体はもう、決まっているの?

鈴木:決まっているというか、なんやろ、例えば今、なんやろって言ったことが言葉の記録のウェブのページの文字になっているみたいな、記事が頭にこう、

大谷:はぁ。

鈴木:出てくる。すごく気になってるんでしょうね、たぶん、その。なんかいつも通りやりましょうっていうその設定がもうなんか、その時点でいつもどおりじゃないみたいな。

大谷:わざわざね。

鈴木:その感じが。

大谷:カチンコならしてるからね。

鈴木:あぁ、ですね。すーごいそれに影響受けてる感じがしている。いますね。あぁー、と、言えたのでなんかちょっと。ちょっと落ち着く感じがしますね。

大谷:ほぉ。

鈴木:はぁ、疲れた。

【言葉の記録6】ぱーちゃん(鈴木陵さん)第3回

第3回「一旦その感じを過ぎてしまったので、思い出せないというか」

大谷:もっぺん聞くけど、文字になるのが思い浮かんだけれど、それは言わなかった。それを言うのが止まった。ということのその言おうと思っていた言葉自体は、もうどういう言葉を言うかみたいなのものは、自分の中にはあるってこと?

鈴木:うーん。どうなんやろ。どういう言葉を、なんて言ったらいいのかな。ちょっと、一旦その感じを過ぎてしまったので、思い出せないというか。今はもうなんか喋れてしまっているので、あまり気にならないというか。

そんななんかまとまって文章が浮かぶとかそういうことではなくて、あ、これ言ったら、こういうふうに文字に、言ったらこれは載るんだろうなみたいなって言う感じがさっときて、その時浮かんでた言葉が一行ぐらいちょっと、出ている、って一行ぐらい出ているって言う言葉がこう並んでいるのが浮かんで、ちょっと萎縮するみたいな。

その中身までは、なんやったかな、ちょっと忘れてしまったな。なんかいろいろ浮かんで、そう思うとわざわざ言うことかみたいな、感じがして、止まるというか。

大谷:ギリギリのところだもんね。口にしそうになっている瞬間に起こる。

鈴木:なんかもうその状態であったということが言えてしまうと、ちょっと違う感じになるというか、ということが今わかったというか。

大谷:なんか、すごい、なんだろう、リアリティがあったよ。

鈴木:リアリティが。

【言葉の記録6】ぱーちゃん(鈴木陵さん)第4回

第4回「言葉になっていないから無限の状態にある」

(20秒無言)

鈴木:あぁでもあれかも、今ちょっとふと思い出した、大谷さんが何も書けない時は何も書けないということを書けばいいみたいなことをブログで書いてましたけど、それをちょっと思い出したな。なんか言えないということを言うみたいな。

大谷:どのように言えないかを、

鈴木:そそそ、このように言えなかった、みたいな。ということは言えた、みたいな。

大谷:そういうこと言える人ってなんか、あんまいないというか、ものすごくざっくり「うまく言葉になりませんでした」で終わりそうな感じのことを、なんか、そうじゃなく、厚みを持ってさ。

鈴木:言えないことの厚みというか。面白いな。単に言葉がでなかったというだけのことやのに。

大谷:無言で、結局言葉にはなってないから、こう、状態としては無限の状態、無限にある状態で、何を言っても良かったのに、言うまでたどり着かなかった状態、何かを言ったらそれを言ったということだけが残る感じがするけど、なんかその、無言の状態のその膨大さみたいな、ちょっと見えた気がする。

鈴木:そうかそうか。なにか言うとその言ったということが残るというか。はぁー。それを言う時はこういう話になるとはまったく予測もしていないというか、これしか言えないみたいな。感じがしたんだけれど。

大谷:まさにね、そういう感じがするね。その状態を言うにはそれしか方法がなかったという。

鈴木:うん。

【言葉の記録6】ぱーちゃん(鈴木陵さん)第5回

第5回「この感じみたいなのが僕にもある気がしていて」


(20秒無言)

鈴木:なんか、ね、この部屋を借りていること※も、二泊してみている※ということも、この、何かが発生しているけれども、はっきりと外から見てわかりやすいようではないというか、なんか今もそういう感じがして。無言の状態というのが言葉になるみたいな。

※この部屋を借りている:収録したのは東山の和室と呼んでいるアパートの一室。ぱーちゃんと大谷を含む四人が共同でお金を出している。

※二泊してみている:ぱーちゃんと大谷でこの部屋に泊まって「京都旅行」をするというCARAPACEのリュックのサイト用の企画も同時に実施。

大谷:無言の状態が言葉になる。

鈴木:うん。まぁていうか、

(12秒無言)

鈴木:最近そういうことよく考えるなと思って、なんか、いったいこれはなんなんだろうかというか、自分の中には確かに確かさみたいなものとしてあるというか、大谷さん今日言ってた自分の場所みたいなね、もそうだし、なんていうのかな。

無いことと在ることというか、こういう六畳の場所があるということで、ここを四人で借りているということによって何かが発生している、ということとか。それって何なんだかよくわからないんだけれども、大谷さんはたまにこの感じを書き表せたらもうなんか、死んでもいいみたいなことを言ってたり、そんなことをね、聞いたなぁて思い出したりみたり。

そこでこの感じみたいなのが、なんていうか、この感じみたいなのが僕にもある気がしていて、それってなんていうのかな、人にやすやすと伝わる感じはなかなか、伝わる感じっていうか伝わったみたいな別に手応えがなくて、まあでもその、何を言ってるのかわからなくなってきたけど。

大谷:伝わらないけど、なんか、何かがある感じはするよね。外から見て。その何かっていうのが他で見たことがないから、それはそれですねって言えないけれど、何かがあるということは言えるというか。

鈴木:うん。

大谷:そういう感じは、ぱーちゃんからよく、強く受ける。気がする。

鈴木:あぁそうですか。

(6分無言)

大谷:といったところで、

鈴木:ははは。1時間経つんですね。

大谷:なにかありますか。

鈴木:あぁ、なんかこういうものなのかよくわからない。これでいいのか。ははは

大谷:これでいいです。

鈴木:そうなんですね。うわぁ、はぁ、ひえー。

(終)

April 14, 2016

【331】庭に陸稲(オカボ)を蒔いてみた。

トムにもらった陸稲、4月下旬に蒔くと出るかもしれないとあったのだけど、天気もいいし昨日降った雨で地面も柔らかいので、庭の隅に蒔いてみた。
土をちょっとだけ耕して、陸稲をパラパラ蒔いて
土をかけておいた。
他にもいろいろと植わっているので、空いているところは日当たりのあまり良くないところだけれど、これでひとまず様子を見てみようと思う。

こんなことで米ができるなんてと思いながらも、こんなことで米ができるからずっと昔、水稲よりも前、その時の人々は育てようと思えたんだろうなとも思う。

April 13, 2016

【催し】CARAPACE春の展示受注会。工房オープン。4月14日(木)から17日(日)。

明日14日から17日の日曜日までCARAPACE工房を公開します。

この看板が目印です。
リュック、ショルダーバッグ、革のスリッパ、そして新商品の何の変哲もない革のベルトをお手にとってじっくり見ていただけます。
新製品、何の変哲もない革のベルト。
ベルトは上質のヌメ革の背の繊維の締まった部分を背骨に平行に取った引張強度バツグンの一品です。たぶん死ぬまでお使いいただけるかと。使っていくうちに飴色になります。

革製品をお持ちの方はオイル塗っていってください。
革製品をお持ちの方は自由にオイルを塗っていただけるように準備しています。革のネームタグも作れます(1000円)。

上質のヌメ革でネームタグも作れます(1000円)。

見てみるだけでももちろん大歓迎。自家焙煎珈琲を飲みながらゆっくりのんびりと御覧ください。

【330】思い出した時に胸がうずくような時間のこと。

思い出した時に、こう、胸のあたりにうずくような痛みが生じる時間がある。楽しいというわけでもなく、どちらかというと悲しいという感じで思い起こされる時間であったりすることが多いのだけど、その悲しさは、悲しいことがあったという悲しさというのとはちょっと違っていて、ただその時間はその時にしかなかったのだと思うことからくる悲しさで、そういう時間は僕にとってとても大切な時間である。

そういう時間は、人と分かり合えたとか、何かを知ったとか、そういうこととも少し違っていて、人は人として自分は自分として必ずしも何かの合一が感じられるというわけでもなく、でも、そこに確かに一緒にいたのだ。

僕ではない人が一体何を考えているのか、そういうことはわからない。特に神秘的な何かをその人が考えていたというわけでもなく、ありふれたことを考えていたのだろうと思う。人がありふれたことを考えていたとしても、そのことと特別な時間であるということは矛盾しない。

ありふれたことを考えていたとしても、僕にはそれを知ることができない。ありふれたことを感じていたとしてもそれを知ることができない。ただあの時、あの人は一体何を考え何を感じていたのだろうと思い出すその気持ちが、僕から解き放たれて、その人の中へ入っていこうとする。そういう時に僕はどうしようもなく切なくなる。そうして僕はその時のことをこれからも覚えていたいと思う。またこうして思い出したいと思う。もしもその時のことを僕の表現としてこの世界に出現させることができたなら、僕にはこれ以上ないことだと思う。

そういう後で思い出した時に大切だったと思えるような時間を意図的に創りだすことは難しい。意図的に創りだされたということがその時の現実に下駄を履かせてしまうからだ。後になって思い出した時に下駄が邪魔になる。どうしようもなくそうであったという感じを損なってしまう。どうしようもなくそうであった裸足の足の裏の感覚が、この切なさの成分に変質するまで時間がかかる。時間を経て思い出した時、もしも今がその時だったらどうしただろうと思うのだけど、それはすでに時間を経てしまった過去であり、変えることも帰ることもできない。ただ時間を経たその時間が今脳裏にある。

April 12, 2016

【329】「言葉の塾」構想。

話したり聞いたり読んだり書いたりすることを学ぶ言葉の塾をできないかなぁとけんちゃんと構想しています。塾なので、子供向けをイメージしています。(が、大人の部があってもいいかもしれません。)

これまでにやってきた「読む・書く・残す探求ゼミ」や「まるネコ堂ゼミ」「円坐」、雑誌『言語』、けんちゃんの塾でのオリジナルテキストなどをもとにして。曜日を決めてやれたら。

学校の教科を教えるという感じではないだろうと思いますが、話したり聞いたり読んだり書いたりというのは学校の教科にも関わってくるだろうとも思います。

僕が言葉や言語を考えるときに、一人でグゥっと考えることも必要ですが、人と一緒にいる現場というのも同じように必要で、そういった現場そのものにもなるといいなと思っています。

僕はたぶん、少なくとも当面は、言葉や言語というものを正面にして生きていくだろうと思います。その正面にあるものをそのまま形にできるものの一つとして塾ができて、それによって多少の安定的な収入があるとすれば、何よりだなと思っています。


April 8, 2016

【328】どうやら風邪をひいてしまう。

どうやらこれは風邪だ。ここ二三日やたらと鼻水とくしゃみがでる。昨夜は東山の和室に泊まるつもりだったけれど、夜になって悪寒がしはじめてこれはまずいと思い帰ってくる。その後から熱が出始め、頭痛を伴う。朝になるとすこし気分が良くなる。まだ鼻水は止まらない。

今日は一日布団に居よう。朝ごはんのような昼ごはんは、東山で食べるつもりだったフランスパンと玉子でオムレツをパンに挟んで食べようとしたら、澪がその玉子でオムライスを作ってくれるというので、パンの方はフライパンで焼いて、澪が最近作ってくれている玉ねぎの塩麹漬けとパルメザンチーズを薄く切って挟んで食べる。オムライスも食べる。風邪をひいてもほとんど食欲が落ちないのは子供の頃から同じである。

今度のゼミの本である三島由紀夫の『金閣寺』を読むことにする。同じゼミで読むことになっている夏目漱石『明暗』、森鴎外『舞姫』は読んでしまっていて、どちらも面白い。さすがに文学史に残るだけあって面白いのである。こんな風に文学史の文学を面白く読めるのは吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』を読んだからで、文学を心の底から好きな人の書いたものを読むと文学は面白い。

コーヒーを淹れて飲む。今は午後の穏やかな日差しで、二階の書斎として使っている部屋の窓を開けて風も入ってくる。机に座ってこれを書いていて、もうしばらくはこの風にあたっていても大丈夫そうだけれど、長くやるとまた体に来る。洗濯物が部屋の中にも干してあって、これが自然と乾くように風邪も治ってほしいと思っている。

風邪を引いた時に風にあたるといつも同じ匂いがする。子供のころ一度風邪を引くと3日は寝込んでいて、一度咳がはじまるとどうしても止めることができず咳が出続ける。そうしてしまいにはおえおえと喉を鳴らして吐く。だからなんとか一つ目の咳が出ないように我慢をするのだけれど、でも我慢しきれずに咳がはじまる。そんな感じで一日経てば枕元の洗面器はでろでろとしたカエルの卵のようなものが交じる水でいっぱいになる。そういう時にいつもこの匂いが鼻の中にしている。鼻の中だけれど、風が吹いた時にそれがよく感じられるから風の匂いでもある。嫌な匂いかというとそういうわけでもない。それでも、この匂いは自分が今、病気なのだと思わせてくれる何よりの証拠である。そろそろ布団に戻る。

April 7, 2016

【327】僕の原爆。(12)

【236】僕の原爆。(11)

===
今日は2016年4月7日。あの広島の8月6日から8ヶ月たった。京都の岡崎は春の雨が降っていて、肌寒さと生ぬるさの中間のような湿気た空気が充満している。今、岡崎公園の近くに共同で借りているアパートの一室でこれを書いている。六畳に1.5畳分ほど追加されたこの和室は東山の和室と呼んでいて、ドアを開けるとただ一部屋ぽんとある。ドアから見て正面の壁側にキッチンがあり、小さな窓もある。窓は閉めているけれど外から雨だれの音が聞こえてくる。窓をあけると2メートルほど先に隣の家の窓があって視界はほぼその家だけだ。キッチンから身を乗り出すようにして顔を出せばかろうじて空も見ることができるけれど、部屋にいるときには、ただ空気の抜け穴としてしか開けることはない。

 この部屋にはなるべく物を置かないようにしようと共同で借りている4人で最初に話をしている。だから、たまにここへやってきて部屋に入った時、畳の上に置かれているのは一枚の座布団と一片が25センチぐらいの立方体の木の箱だけだ。木の箱はおそらく壺か何か陶磁器をしまっておくための箱なのだけれど、うちに箱だけ余っていたので、テーブルがわりに使おうと持ってきた。この箱を持ってくる前は段ボール箱を使っていて、その前は何もなく、ラーメンを作ったりしても畳に直接置いて食べていた。その箱の上には今パソコンがのっていて、そのキーボードの上に僕の両手がせわしなく動いている。

 木造の古いアパートで、トイレは共同、風呂はない。シャワーもない。昔はすぐ近くに銭湯があったらしく、パジャマで行き来できるほどで、アパートに風呂は必要なかったのだと気さくな大家さんの奥さんが教えてくれた。今は風呂に入りたければ歩いて5分か10分ほどのところにある銭湯へいく。この部屋は二階に上る階段を上り詰めたすぐ右手にあって、他の住人が外から帰ってきたり、外へ出かけたりするときにはきしきしと床の軋む音がする。まるで古い旅館のようで僕はとても気に入っている。とくにこうして、文章を書くとき、雰囲気だけでも明治の文豪になった気分だ。

 ここからあの広島へ、この気分からあの気分へ、どうやって巻き戻せばいいのか、さっきから思案している。

April 5, 2016

【326】夜桜を見に宇治川の東岸へ。

澪と夜桜を見に行った。と思ったけれど、京阪宇治で待ち合わせたのが六時でまだ明るかった。ビールやらワンカップやらを買って宇治川の東岸へ。

宇治川の東岸が好きでここから座って塔の島越しに西岸を見る。塔の島は今護岸工事をしている。西岸にはちょうど平等院があるのだけれど、見えるのは屋根だけでどちらかというと、右手の宇治橋やその向こうのJR奈良線の鉄橋を渡る電車を見る。

空は見事に茜色から群青色へとグラデーションしていて、雲を曳きながら飛行機が飛ぶ。トビケラが飛ぶ。川のそばに住んでいたらなと思う。東岸はでかい屋敷や寺や神社があっておいそれとは住めない。

水面すれすれを鳥が飛んでいる。もしも風が立って波が立ったら翼が水を撃つかもしれない。座っている後ろを時々人が来てスマートホンの電子的で画一的なシャッター音がする。

桜はいつも妖しい。

April 4, 2016

April 2, 2016

April 1, 2016

【323】雑誌『言語』本日発刊です。

今日、『言語』という雑誌を発刊しました。
小林健司さんと共同編集です。

自分たちで発行するのだから、
誰に気兼ねすることなく、
自由に好きなことが書ける。
まさに夢見てきたことだ。

と、
共同で借りている京都の東山の六畳の和室に
意気込んで籠もりました。

一週間、何もできませんでした。
とても悲しい夢を続けざまに見て、
眠れなくなり、昼も夜も区別がつかず、
時間の感覚がなくなりました。
文章を書くにあたって、こんなことは初めてでした。

僕はライターとして長く書くことをしてきたつもりだったけれど、
自分のことを自分で書くなんてしてこなかった。
そう思い当たりました。

人から頼まれて、
自分から離れたものを見て、
それを他の人にわかりやすく伝える。
ライターとしての僕がやってきたことは、
書くということのほんの一部に過ぎませんでした。

当初書こうとしていたテーマは捨てました。
その前に、
僕にとっての書くということそのものを書こうと思いました。

自由に好きなことを書ける。
ずっと遠くまで行ける。
そう思ってようやく辿り着いたのが
どうやって脚を持ち上げれば一歩が踏み出せるのかということでした。

この陳腐さがまぎれも無い僕の最先端です。
これまであまりにも自明だった僕にとっての僕が新鮮です。

読んでもらえたら幸せです。

大谷 隆


『言語1』
2016年4月1日発行
A5判・38ページ
編集 大谷隆・小林健司
価格 1,000円(送料 200円)

【目次】
発刊にあたって「水平線までの歩み」……………………………………大谷 隆
言語 発刊によせて…………………………………………………………小林健司
人と言葉の関係論 第一回…………………………………………………小林健司
書かれたものはその時点での書いたものの死体である。 第一回……大谷 隆

ウェブサイト
http://gengoweb.jimdo.com/