April 7, 2016

【327】僕の原爆。(12)

【236】僕の原爆。(11)

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今日は2016年4月7日。あの広島の8月6日から8ヶ月たった。京都の岡崎は春の雨が降っていて、肌寒さと生ぬるさの中間のような湿気た空気が充満している。今、岡崎公園の近くに共同で借りているアパートの一室でこれを書いている。六畳に1.5畳分ほど追加されたこの和室は東山の和室と呼んでいて、ドアを開けるとただ一部屋ぽんとある。ドアから見て正面の壁側にキッチンがあり、小さな窓もある。窓は閉めているけれど外から雨だれの音が聞こえてくる。窓をあけると2メートルほど先に隣の家の窓があって視界はほぼその家だけだ。キッチンから身を乗り出すようにして顔を出せばかろうじて空も見ることができるけれど、部屋にいるときには、ただ空気の抜け穴としてしか開けることはない。

 この部屋にはなるべく物を置かないようにしようと共同で借りている4人で最初に話をしている。だから、たまにここへやってきて部屋に入った時、畳の上に置かれているのは一枚の座布団と一片が25センチぐらいの立方体の木の箱だけだ。木の箱はおそらく壺か何か陶磁器をしまっておくための箱なのだけれど、うちに箱だけ余っていたので、テーブルがわりに使おうと持ってきた。この箱を持ってくる前は段ボール箱を使っていて、その前は何もなく、ラーメンを作ったりしても畳に直接置いて食べていた。その箱の上には今パソコンがのっていて、そのキーボードの上に僕の両手がせわしなく動いている。

 木造の古いアパートで、トイレは共同、風呂はない。シャワーもない。昔はすぐ近くに銭湯があったらしく、パジャマで行き来できるほどで、アパートに風呂は必要なかったのだと気さくな大家さんの奥さんが教えてくれた。今は風呂に入りたければ歩いて5分か10分ほどのところにある銭湯へいく。この部屋は二階に上る階段を上り詰めたすぐ右手にあって、他の住人が外から帰ってきたり、外へ出かけたりするときにはきしきしと床の軋む音がする。まるで古い旅館のようで僕はとても気に入っている。とくにこうして、文章を書くとき、雰囲気だけでも明治の文豪になった気分だ。

 ここからあの広島へ、この気分からあの気分へ、どうやって巻き戻せばいいのか、さっきから思案している。



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