April 13, 2016

【330】思い出した時に胸がうずくような時間のこと。

思い出した時に、こう、胸のあたりにうずくような痛みが生じる時間がある。楽しいというわけでもなく、どちらかというと悲しいという感じで思い起こされる時間であったりすることが多いのだけど、その悲しさは、悲しいことがあったという悲しさというのとはちょっと違っていて、ただその時間はその時にしかなかったのだと思うことからくる悲しさで、そういう時間は僕にとってとても大切な時間である。

そういう時間は、人と分かり合えたとか、何かを知ったとか、そういうこととも少し違っていて、人は人として自分は自分として必ずしも何かの合一が感じられるというわけでもなく、でも、そこに確かに一緒にいたのだ。

僕ではない人が一体何を考えているのか、そういうことはわからない。特に神秘的な何かをその人が考えていたというわけでもなく、ありふれたことを考えていたのだろうと思う。人がありふれたことを考えていたとしても、そのことと特別な時間であるということは矛盾しない。

ありふれたことを考えていたとしても、僕にはそれを知ることができない。ありふれたことを感じていたとしてもそれを知ることができない。ただあの時、あの人は一体何を考え何を感じていたのだろうと思い出すその気持ちが、僕から解き放たれて、その人の中へ入っていこうとする。そういう時に僕はどうしようもなく切なくなる。そうして僕はその時のことをこれからも覚えていたいと思う。またこうして思い出したいと思う。もしもその時のことを僕の表現としてこの世界に出現させることができたなら、僕にはこれ以上ないことだと思う。

そういう後で思い出した時に大切だったと思えるような時間を意図的に創りだすことは難しい。意図的に創りだされたということがその時の現実に下駄を履かせてしまうからだ。後になって思い出した時に下駄が邪魔になる。どうしようもなくそうであったという感じを損なってしまう。どうしようもなくそうであった裸足の足の裏の感覚が、この切なさの成分に変質するまで時間がかかる。時間を経て思い出した時、もしも今がその時だったらどうしただろうと思うのだけど、それはすでに時間を経てしまった過去であり、変えることも帰ることもできない。ただ時間を経たその時間が今脳裏にある。



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