この本は面白いのだけれど、どう面白いか説明するのがちょっと難しい。でもやってみよう。
いきなり最終章(Chapter 6)から引用する。
この本の目的は、ビデオゲームについての基礎理論を作り出すことにあった。[236]この本はビデオゲーム(日本語では「コンピューターゲーム」が近い)の楽しさを論じるための「土台を提供する」ということをしている。
Chapter 1「序論」が特にそうなのだけれど、読んでいてワクワクしてくる。「ゲームとはなにか」「楽しさを論理的に考える」といった見出しが示すように、誰でも知っているあの「ゲーム」の「楽しさ」。それを語るための場所が作りだされていく。先行研究の分類、分析の丁寧さも、退屈ではなく少しずつ何かが始まっていく予感を生じさせている。
著者がどれほどゲーム好きかは、例示されているゲームの豊富さ、それも様々な時代の様々なタイプのゲームを適切に繰り出してくる感じからよくわかる。
終わりも評価もない「SimCity」、初期設定以外になにもしない「ライフゲーム」(これは厳密にはゲームではないと本書では分類される)、単純な画面と操作から複雑な結果を生じさせる「pong」、リアルなグラフィックを駆使する最近のゲーム。
ゲームの楽しさや面白さというのは本当に多様に生じるのだけれど、だからといって何でもありなわけではない。面白いゲームもあれば面白くないゲームもある。しかし、その面白さや面白くなさは、例えば小説や映画を語る言語ではうまく語りえない。ゲームの面白さを真正面から語りえない。隅々まで語りえない。だからそれを語る言語を作ったというわけだ。
この本は、ゲーム好きがゲームの楽しさを思う存分、余すところなく語り合う、そんな「面白さというもの」の土台作りをしている。
本書の魅力は「楽しさ、面白さ」という得体の知れないものを作ったり語ったりするための新たな言語空間=場所が構築されていく様子を目の当たりにできることである。読んでいくことでそのプロセスを見ていくことができる。何もなかった野原に舞台が作られていく。〈所〉そのものができていく。その、じわじわと広がる嬉しい予感が味わえる。