そういうことができる人は、どうやらそんなに多くはない。もっとも傷つけられたくないものを、もっとも傷つけられやすい状態でさらけ出すことになるのだから、これは大事(おおごと)である。
大事(おおごと)というのは、だいたいそうなのだけれど、一見、ごく当たり前の「大したことでない」ような見かけをしている。「言われてみればそう」なのだけど、言われないとそんなことは思いもしないというようなこと。思いもしなかったくせに、一旦言われると、そうとしかありえないようなことだ。
つまり世界に亀裂が入るのだ。こういうことが引き起こす衝撃波に飲み込まれるときに感動は生まれる。
つまり世界に亀裂が入るのだ。こういうことが引き起こす衝撃波に飲み込まれるときに感動は生まれる。
幸いなことに僕の周りには、それをやる人たちがいる。そういうところに出くわすと、僕もなにかやろうと思える。