February 12, 2020

【589】自分を組み立てていく。自己基準の整理法。

誰でもそうなのだが、標準的な人であればできて当然だと言われるようなことでも、どうしてもうまくできないことがある。繰り返すけれど、誰でもそうなのだ。

もちろん僕もそうだ。分類ができない。もう少し言えばこうやって「分類ができない」という抽象的な言い方ができるようになったのは大人になってからで、それも大人の序盤とは言えない後半に差し掛かってからだ。

分類ができなくて日常生活や業務で直ちに問題化するのが整理である。

例えば文具の整理整頓がどうしてもできないとか、タンスの中に服とか下着とかがぐちゃぐちゃに突っ込まれているとか、複数の手段で念を入れて備忘録的にメモを記録していった結果それぞれの整合性が取れなくなってどれを信じればいいのか、どれを見れば見落としが無いと言えるのかがわからなくなるとか、といったような問題だ。

依頼されて文章を書く仕事をしていた僕にとって、メモの管理は業務上大きな問題だったし、文具の整理ができないことは地味に作業ストレスを上げていた。

だからどうにか対策していった。例えば文具問題はこうだ。

10個ぐらいの文具があったとする。それを3つの抽斗(ひきだし)に分類して整理する、というようなことが僕にはできなかった。今でも一般的な意味においては、できない。

整理するというのは、必要なものがすぐに取り出せるようにしておく、というような意味だけど、子供時代の僕がやると文具を「形で」分類してしまったりする。「細長いもの」「四角いもの」「その他」みたいに(理由はたぶん抽斗や棚に収めやすいとかそんなところだろう)。

こんな分類でも、使うときにすぐに出せればそれなりに意味があるのだけど、使おうとしたときはこの三つの形状インデックス「細長」「四角」「その他」を意識して物を探すようなことは実際にはない。結局三つの抽斗をランダムに開けて該当のものが見つかるまで引っ掻き回す羽目になる。つまり、文具というものに関する分類の要点を僕はつかめていない。

大人になって整理をうまくやる人に「ハサミとノリは一緒にしておいたほうがいいよ」と言われて僕は軽く衝撃を受けた。利用シーンを想定して、同時に使われる可能性が高い道具をグルーピングするという発想が、僕にはなかった。

ただ残念なことに、利用シーン別分類を知ったところで、僕には「ハサミとノリ」以外の新しいグループをうまく作り出す能力はどうやらなくて、精々が「鉛筆と消しゴム」ぐらいしか思い当たらない。根本的に、僕には分類能力が欠如している。

そういうわけで、僕が、どうにかこうにか自分なりの方法でこの「文具分類問題」に出した解答はこういうものだった。

1 まず文具の山を、〈自分が〉「使う」ものと「使わない」ものに分ける。


例えば、
・僕は、いったん書いたものが消えてしまうと何故か困るので、消しゴムで消せる鉛筆やペンの後ろ側でこすると消えるインクのボールペンなどは、そもそも「使わない」。
・ペンは黒と赤しか使わない。青や緑や黄色やその他の色は「使わない」。
・今は使っていないがそのうち使うかもしれないものは「使わない」と判断する。
など。

2 「使う」もののうち、機能が重複するものは「最良」を一つだけ選び、それ以外は「予備」にする。


・赤と黒のペンはそれぞれ用途が違うので一番よく使うものを1本ずつ「最良」とし、あとは「予備」。
・ノリはスティックノリをよく使うので、2本目以降のスティックノリやチューブノリは「予備」。
・ハサミで切れるものであればハサミを使うので一番使いやすいハサミを「最良」、その他のハサミとカッターは「予備」。
など。

3 1で隔離した「使わないもの」を「処分」とする。

これを残しておくと後々の災厄のもとである。

4 2で隔離した「予備」のうち、一定期間以上出番が回ってこないと思われるものを「処分」とする。


これも残しておくと後々の災厄のもとになる。
・例えば、ペンの予備は2本もあればいい、など。

5 結果的に以下のように分類される。

A群 最良
B群 予備
C群 処分

この「分類」基準は、文具それ自体に備わっている機能や要素を明示的には利用していない。「文具の機能や要素そのもの」を分類するのではなく、「僕が文具を使う」ということ自体を分類している。ここで何より重要なのは「僕が使う」ことである。

つまり、僕にしか通用しない。僕しか使えない。僕基準である。通常の意味で「分類」と呼ぶことすら躊躇するようなものである。

A群の数が増えたらどうなるのか、また元の木阿弥ではないかと「普通の人」は心配になるかもしれないが、そうはならない。むしろ一貫して減っていく。「最良」という概念に導かれて、僕自身のニーズがそもそもそれほど多くはないことに気づいていくからだ。

ちなみに「最良」は、その時点で知り得るもので、かつ、入手可能な範疇のものという意味である。これも「僕が使う」こと全体にかかってくる。自分を組み入れた「最良」である。手元にあるものではどれも「最良」に「僕が使う」ことができないが、世の中にはそれによって「僕が最良に使う」ことができると思われるものがあるとを知っていて、なおかつそれを入手できるのであれば、手元にあるものを「処分」や「予備」とし、「最良」を入手することもある。

結果今では、A群は、万年筆1本とA5サイズの無地ノート1冊の2つ。B群は万年筆のボトルインクとノート数冊となっている。

僕が自分で管理している文具類は事実上A群の二つだけで、あとは美緒との共同管理である。共同管理においても基本的には上記の整理法を適用している。対象が僕だけではなく美緒も含まれるというだけだ。

「整理」は常にメンテナンスできなければ意味はない。ある瞬間、整理されたように見えても、時間を追って自然に乱雑さは増加するので、常に人為的に秩序を回復しなければならない。その人為的行為が「当該者に可能」かどうかが問題で、そこに個人性が現れざるを得ない。

「どのように分類すればいいか」という一般的な問題があるのではなく、「自分はどのような基準で物を判定し続けられるか」が基礎的な問題で、その上で独自の整理法を組み立てることができる。一般的な基準に従って判定することができる人は一般的な基準を参照すればいいが、一般的な基準がそもそも判定不可能なのであれば基準など意味をなさない。

最後に「可能性」と「検索」というものの考え方を補足する。

「今は使わないけれど、いつか使うかもしれない」というのは「可能性」の問題だ。そういうものを予め処分してしまうと、可能性を狭めてしまうのではないかという危惧があるかもしれない。しかし、これは僕の場合、必ずしもそうならない。「今使うものはどれか」が明確であったほうが「その時使うものはなにか」ということも明確になるからだ。「目の前にある」から使える、のではなく「必要だから使う」ということに〈しておく〉方が、僕にとっては「可能性」が広い。「目の前にある」ことがむしろ可能性を狭めることに(も)なる。

おそらくこれは現代という状況として現れた問題系なのだと思う。目の前にあるかどうかより、検索できるかどうか、具体的な検索クエリが適切に作り出せるかどうかの想像力の問題で、分類に関しては、僕は、一般より多く現代的状況が/に侵入してしまっているとも言える。



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