April 14, 2020

【666】情報に振り回されて疲れるときの基本方針。


「通知」の弊害


情報に振り回される、一喜一憂してしまう、というのがどういうことかと言うと、食べたいかどうかわからないものを次々と口に突っ込まれているのと同じ状態である。

「甘い!」
「辛い!」
「苦い!」
「喉が詰まる!」
「もう無理!」

となっている。情報をプッシュされているのだ。現在の情報の多くはプッシュ型になっている。プッシュ型というのは向こう側から押し込んでくるタイプのもの。地震速報だったり「メールが届きました!」だったり。

要するに「通知」のことだ。スマートフォンはほぼ「通知」によってユーザー動作が起動される仕組みになっている。何かを向こうから突っ込まれて(プッシュ)、それに人体が反射するという半ば機械化された行為の連続でユーザー体験が作られている。その結果当然のことながら、通知内容によって、一喜一憂し、振り回されることになる。

平時の場合は、危険性の薄い、エンターテインメントな「一喜一憂」や「振り回され」なので、ケーキバイキングに目移りしたり、遊園地の乗り物に乗るような快楽を与えてくれる。回転寿司で次々ネタが流れてくるのにも似ている。誰かが「いいね」したよ、などと教えてくれるのもその例。

しかし、今は、それらと同じノリで「感染者数」や「死者数」や「感染爆発」や「医療崩壊」や「ロックダウン」が押し込まれてくる。

楽しい情報に踊らされているときは楽しく、深刻な情報に踊らされているときは深刻になる。

今「情報に疲れている」なら、単純に通知をカットしてしまえばいい。通知をカットすることと情報を入手しなくなることは全く別だ。プッシュをカットするだけで、情報はむしろ適切に入手できるようになる。

もちろん、次から次へと通知を伴ってやってくる情報を適切にフィルタリングできる人もいる。「ネット時代の情報リテラシー」というような言葉で言われているものの正体の一つは実はこのフィルタリングなのだが、ただこれは危ういもので、即席にやろうとすると自己に都合の良い情報だけを恣意的に摂取することに流れやすい。

だから、単純に通知を全カットすればいい。そして、どうしても気になるのであれば、情報源は「継続的で客観的に発信されているもの」に絞って、自分から見に行く(プル)。

新型コロナウイルス関連のおすすめ情報源


新型コロナウイルスでいえば、例えば、

東京都新型コロナウイルス感染対策サイト

日々アップデートされていることと、累積の数字が見えることで、これまでの方向性が掴みやすい。未来への視野も比較的とりやすい。「今日、〇〇人感染、〇〇人死亡」といった新聞記事にありがちなぶつ切りの断片情報は視野が狭くなるだけなので捨てていい。

この東京都の対策サイトと同じインタフェースで他の都道府県なども派生して作られている。このリンク先のリストを見ればわかるがそのほとんどが「有志」によって運営されている。公式はわずかだ。関わっておられる方に感謝する。

「医療崩壊」という曖昧な言葉が示している状況をイメージしたければ、感染症対策病床数とその使用率を補足している、

新型コロナウイルス対策ダッシュボード

がわかりやすい。黒く表示されている都道府県が「現状で」100%を超えている。つまり患者がベッドから溢れている。このサイトはその時点でのデータなので、継続的に見て判断する必要がある。何日か見ているとわかるが、病床は日々新規に開設されたり増床されたりしている(現場の方に感謝)。だから黒から別の色に変化する場合もある。もっとも、今は、感染者の増加のほうが速く増床が追いついていないことがわかる。黒が増えている。

これらの情報を毎日自分のタイミングでチェックするぐらいで概要はつかめる。全体的に見て今どのぐらい緊迫しているのかが把握できれば十分だ。

ここで紹介したサイトの開発について取り上げている記事を読むと、情報技術は民主的に活用された際にとても大きな成果を上げるということがわかる。

情報の信頼性は相対的なもの


入手した情報がどの程度信頼に足るのか、というのは他の情報源と比較する必要がある。

これはこの際、癖をつけたほうがいいのだけれど、異なる情報源で同じことが伝えられたとき、その分だけ、その情報の「信頼性が上がる」、そういうイメージを持つといい。

単体の情報に対して「有り得そうかどうか」というのはここで言う「情報の信頼性」とは関係がない。ここでいう「信頼性」は統計的な概念だからだ。

例えば「空飛ぶクジラを見た」と誰かが言うのと「淀川に鮎がいた」と誰かが言うのは、情報としての信頼性は等価だ。

もし「空飛ぶクジラを見た」という人が独立に3人いて、「淀川に鮎がいた」という人が1人しかいなかったら、クジラのほうが「情報として信頼に足る度合いが高い(信頼性が高い)」と判断する。

ここでもう一つだけ注意することは、ネットで流れる情報の多くは、実は「同じ情報源」がコピーされているだけという場合がある。その場合、情報源が同じなので「1つ」にカウントする。

独立した複数の情報源で同じことが報じられているとき、その情報の信頼性が上がる。信頼性は相対的なものだ。複数性を前提にしている。「一喜一憂」するようなものでは、そもそもない。

「識る」ということには、本来とても大きな力がある。だからこそ振り回されもする。「識る」ことを正面にしっかりとらえるだけで、私達の経験は大きく変わる。



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