April 10, 2020

【661】「自宅で仕事をする」のではなく「自宅を職場にする」。

自宅兼職場の窓から見える景色。
次世代」などと豪語したのだけど、僕も普通に苦労をした。

勤めていた会社を退職しフリーランスになった直後、自宅で仕事をしようとしてなかなかうまくいかなかった。集中できない。集中できる時間が極端に短い。そこで、自宅では無理だと思い、手頃なカフェを探したり、いっそ部屋を借りて自宅と事務所を分けたほうがいいのではないかと思ったりもした。

この戸惑いの原因はどこにあったか。今になって言えるのは「自宅で仕事をしようとした」ところが間違いの元だった。厳密な言葉の意味において「自宅で仕事をする」のは無理があるのだ。

そもそも自宅というのは普通、仕事に適した場所ではない。一般に職場と言われる場所と自宅と言われる場所は、誰が見てもひと目で異なる環境だとわかる。それぐらい違う。

ごく普通のオフィスワーカーが「自宅で仕事をする」というのは「居酒屋で仕事をする」とか「富士山頂で仕事をする」というのと同じぐらい困難なことだ。不適切なのだ。

「自宅」は、なまじ「勝手知ったる場所」だから、事務仕事ぐらいできるだろうと高を括るところに罠がある。一日二日はなんとかなるが、一週間二週間あたりで限界がくる。一ヶ月はまずもたない。経験者である。

ここで、カフェなどを渡り歩いて仕事をしたり、オフィスを別に借りたりするという選択肢はもちろんある。

が、あえて困難な未踏の大地へ向かうこともできる。その一歩が「自宅を職場にする」だ。

「自宅で仕事をする」のではなく「自宅を職場にする」。この言葉遊びを甘く見てはいけない。

例えば「明日から在宅勤務してね」と言われたとする。

この言葉を「明日から自宅で仕事してね」と受け取らず「明日から自宅を職場にしてね」ととる。もう少し言えば「明日から新支店の支店長として、新しい拠点を築いてほしい」とあえて大げさに解釈する。

指定された物件は普通の住宅。しかも住人がいる。そこにゼロから職場を作るというミッションだ。

初日、赴任してまずやることは、現地の状況を確認することである。当然のことながら、職場として必要な備品、什器類は皆無と言っていいはずだ。

まずは、物件の一角に最低限の職場を構築しなければならない。

このときのポイントはただ一つ。「仕事に不必要なものは視界に入らないようにする」。これだけだ。

一番簡単な方法は、壁際にちゃぶ台でもおいて「壁に向かって」座る。視界に入るのは壁だけ。これで最低限の職場ができあがる。初日はこれで終わる。

二日目以降のタスクは、ここから少しずつ職場環境を改善していくことだ。

壁を見続けるのは気が滅入るから窓ぐらいほしいとか、椅子に座ったほうが長時間疲れないから机と椅子を導入するとか、そういうことを一つ一つ改善していく。

「ゼロから一つひとつ構築していく」というのが第二のポイントになる。

現状すでに完成している「自宅環境」を取り崩していくという住人視点のプロセスと捉えてしまうと途端に困難に遭遇する。住人視点はいったん保留する。

一つひとつ組み上げていくプロセスは、イメージとしては「支店の構築」なので、必要度の高い什器備品から導入していく。あくまでも業務プロセスだ。購買するにしても、消費ではなく投資である。

住人の視点ではなく、職業人の視点でことをすすめていく。

そうやって少しずつ職場環境が整うと、必然的に次の段階に入る。住環境が圧迫されているという事実に突き当たる。それなりに快適だった自宅が変質させられてしまっている。

ここからは本当に未踏の大地である。

住環境と職環境がたまたま同一物件内に存在する事態にどう対処していくか。これは一人暮らしでもかなりの難題だが、同居人がいた場合さらに難易度が上がる。

住と職や自己と他者といった、本来的に対立する二者の折り合いというのは、そうかんたんにつくものではない。二者の中点を取ればいいというような単純な解決がつくものはむしろレアケースで、だいたいは、すでにお互いがお互いの内部にまで食い込んでしまっている事態となっていて、抜き差しならない。

そういう事態にあって、物事は、そもそもどうあるべきかという原点にまで還元されていく。「ベッドを置く場所をどうしようか」という問いは、すぐさま「そもそもベッドは必要か」にまで遡るのだ。

そうやって、一つひとつの物事を再び捉え直していく膨大な作業を日常の生活と仕事を営む中で同時に進行させていく。数々の失敗が繰り返される。苦労して移動させた重たい本棚の置き場所が二転三転し、一度捨てたものを再度買い直したりもする。

この段階に至れば、普遍的に誰にも当てはまるような方法論は、もう無い。方法論そのものを自分(と同居人)で作り上げていくことになる。生きつ戻りつしながら対立していた二者が同時に変化していくプロセスだ。

こうして住と職、自分と同居人の関係は、何度となく捉え直され続けていく。「家」はただの物質的な「建物」ではなく、まるで生きているかのように変容を遂げ続ける。人と人との関係も更新され続けていく。

これを苦役と捉える人は、自宅と職場は分けたほうがいい。「仕事」というものを「金銭的対価を得る行為」と考える人も、さくっと自宅と職場は分けたほうが良い。以下に続く記述は、あまりにも非効率的でめんどくさいだけの、およそ「仕事」とは呼べない苦行と感じるだろう。

一方で、冒険の気配を嗅ぎ取ることができる人には、これ以上無い「あなた専用」のフィールドだ。あなただけの大地だ。

なにしろそこでは、全てがあなたと密接に関連している。あなたの住と職の両方を包括したフィールドだから、あなたが関与できる自由度は他のどんな場所よりも大きい。そこでは、あらゆることを試すことができる。あなたのすべてを投入できる。

現状ですら、通過点に過ぎないけれど、今日も僕は窓からの景色が最高な二階の書斎でブログを書き、本を読みノートをとる。

一階の工房は、パートナーが革製品をつくり、イーゼルを立てて絵も描く。

家の中の一番広い居間兼イベントスペースはキッチンも完備している。大人数で食事をしたり、講座をしたり、ちょっとしたステージにもなる。ここでコントの練習もした。

布団を持ってくれば最大10人ぐらいは寝ることもできる。

一階の工房。


今や僕にとって最高の場所だ。世界中のどこよりも仕事がしやすい職場だ。どこよりも住みやすい自宅だ。パートナーは面白さを失わず、僕の興味の対象で有り続けている。

自宅で職場。これ以上無い身近な場所だ。それが今でも未踏の大地だ。ここでやってみたいことはまだまだたくさんある。



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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●マンツーマンの文章面談
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