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July 24, 2016

【催し】東山の和室・最後の食会

東山の和室と称して友人と4人で借りていた木造アパートの一室を7月末で解約することにしました。

いつでも好きなときに行けて、好きなだけ居られる。

僕にとってはそういう場所です。

風呂は無く、トイレは共同、エアコンもありません。冬場はガスストーブ一つ。冷蔵庫はなく、カセットコンロとフライパンにわずかな食器類だけ置き、家具と呼ばれるものは一切ありません。寝袋を幾つか持ち込んで、それで寝ていました。

ほとんど日は誰も居ない場所。

たまに4人のうちの誰かがふらっと居る。一人で本を読んだり、文章を書いたりしました。だれかと一緒にただひたすら話したりもしました。

時々は円坐をしました。
あとは持ち寄り食会も。

共同で使うためのルールというべきものはほとんどありません。ここを持つ明示的なメリットは何もなく、それでも1年7ヶ月ものあいだ、ここはありました。

いつ無くなってもおかしくなかったものが無くなります。

7月29日に最後にここで持ち寄り食会をやろうと思っています。

確実に蒸し暑いので汗をかいてもいい格好で。
終了後近くの銭湯に行こうと思っています。

これまでこの場所に訪れた方、訪れたことはないけど気になっていた方など、どうぞ。最後です。

January 19, 2016

【262】流暢な英語と根性の状況分析。

昨夜から東山の和室に来ている。文章として何かをまとめようと頭のなかで対話が始まる。どうしても最近の出来事での僕の後悔が入り込み、いつのまにかそればかりになり、次々と連鎖的に後悔の状況が頭のなかで言語化されていく。何かを書くという時のそれが何かをたぐる過程で、こういうことがよく起こる。そして自虐的に疲れ果てて、眠ろうとするのだけど、容易には眠ることができず、なんども閉じたパソコンを開くことになる。

文字化する手がわずかに止まる瞬間を狙って、次の後悔の対話が始まる。断片でも書き留めておこうとして泥沼に沈む。やがて窒息するように意識が消えて、眠りが始まるが、案の定、いつも底流で望んでいる未来の体験が夢として現れ、望んではいないが予測しうる苦痛の結末を迎える。

どうにか昼過ぎに起きだして、持ってきた白菜とラーメンで白菜ラーメンを作って食べる。さらに長い時間をかけて、みやこめっせにやってきてメールをチェックすると澪からのメールが来ていて電話を返す。長い電話が終わって、パソコンに向かってよろよろと日常を手探りし

"Excuse me.”

びっくりして立ち上がって振り向くと、白人の女性が目の前に出現していた。

流暢であるがゆえに全く聞き取れない英語の流れを、僕は腐りかけた脳みそで瞬間的に根性で意訳する。

「ちょっとお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか。Traditional craftsの展示場がありますよね。あの中庭の向こうに見えているところだと思うのですが、あそこへはどうやっていけばいいですか?このundergroundですよね。あの階段ですか?」

聞き取れた部分だけ英語表記するとこんな感じだ。あとは状況と、彼女の様子、主に指差した手振りを解析する以外にない。

とりあえず一番近くの地下への階段を指差して笑ってみた。

"Thankyou.”

そしてそちらへ数歩彼女は歩き出し、不意に立ち止まり戻ってくると、

「あ、それから、たしかこのあたりでJapanese calligraphyのexhibitionをしているはずなのですが、それはどこかわかりますか? この建物じゃなくて、ほかの建物かもしれませんが?」

Japanese calligraphyがかろうじて書道に像を結ぶ。しかしもうお手上げだ。うろうろと歩きまわり、無駄にコートを持ったり置いたりしたが、僕の知識データベースは一件もヒットしなかった。その様子から彼女は、

「ご存じないですか。わかりました。Thankyou.」

といって階段へ向かった。僕は無力感をどうにかため息として吐き出す。

道をきかれることは以前からよくあった。話しかけやすそうな雰囲気があると言われるとちょっとうれしいが、実際はただ暇そうに見えるからだと思う。見知らぬ人に声をかけられると、いつも一瞬驚くのだけど、回数をこなせばなんだってだいたい慣れてくるもので、最近は適切に対応できることが多い。つもりだった。日本語であれば。

それが今回は、本当に文字通り、僕にはほぼ聞き取れない発声を、僕の側でいま・ここの状況から収集し、パターン認識に放り込み、データベースを叩く検索クエリーとして創作した。行動としては何か微弱な意思疎通が成立しているかのように振る舞ってみせただけだ。後半は異常行動に見えたかもしれない。相手はとても流暢な英語を話し、僕は日本語すら発することができなかった。相手はとても落ち着いた様子で、僕は慌てふためいていた。これは対話だったのだろうか。

僕にはただ、僕の淀んだ意識に異国の風が一瞬吹き込んで波立たせ、消えてしまっただけだ。穏やかで心地良いぬくもりの残像とともに。

January 14, 2016

【258】ロームシアター京都。

夕ごはんはペペロンチーノを作って食べる。ペペロンチーノはフェデリーニという細めのパスタで作るのだけど、湯で時間が短いのでその分早く作れる。

【257】すき焼きとラーメンとロームシアター京都。

昨夜はネギとたまごと糸こんにゃくと焼き豆腐を買ってきて、伊江牛のすき焼きをした。箱に綺麗に並べてあるB5のコピー用紙ぐらいの霜降り肉を一枚一枚焼いて食べる。肉を食べるということ自体のものすごい非日常的な力を感じる。美味しいというだけですまない感じがする。送ってくれたいとーちゃんのことを考える。

July 13, 2015

【200】「書生」をやってみる。

「書生」がなんなのかはよくは知らない。

今のところ調べない。ただ、昔読んだ有名な小説に出てきていたといううっすらとした記憶がある。その小説が誰の何という小説だったかもよく覚えていない。僕の「書生」は、特段何かをしているというわけではなく、本を読んだり考え事をしたり友人と話をしたりして過ごしている人ぐらいの意味で、そういう人について僕はぼんやり羨ましい。憧れている。

東山の和室にいると、考え事をしている時間の密度が上がる。近所に京都府立図書館があって、そこで本も読める。時々友人がやってきて話ができればもうそれで僕の中では「書生」である。なにか「書き物」なんかもやるのかもしれない。

考えてみれば、今も毎日、だいたいそんな日々を送っているのだけど、夏の暑さがどうにもならないので、そういうことをもう少しだけ純度を上げて試してみる。こういうことにはっきりとしたことは言えないのだけれど、7月の最後の週あたり、東山の和室でそんなふうに過ごしてみようと思っている。誰か、ふらっとやってきてくれて、あてもなく話ができたりしたらうれしい。

May 7, 2015

【149】東山の和室を使って旅を練習する。

また東山の和室に来ている。今月は来れる時はなるべく来ようと思い始めている。

昼ごはんは家で食べてから出た。五月分の家賃を払おうと郵便局に寄ってから電車に乗る。回数券がなくなっていたので買う。回数券を買うというのは、未来を確定させるようなところがあるので、少し身構える。この身構えるのは、常にというわけではなくて、反復的な継続性が確保されていない今だから起こることで、未来に向かう反復的な継続性が気持ちを拡大させて経済を振興する効果を実感する。

前回、東山の和室に来たときの反省から、もう少し食の充実を図ろうと思って、実家から使っていない中華鍋を掘り出してきていて、それを良く焼いて、使えそうなことを確認して持ってきている。あとは、包丁代わりにナイフと布団代わりの封筒型の寝袋を一つ。封筒型の寝袋は、これからの季節、人形型の寝袋だと暑すぎるので、封筒型のを二つ使って、敷布団と掛け布団にするといいのではないかという案である。すでに一つ封筒型のは和室に装備してあるので、もう一つ。

中華鍋と寝袋をぶら下げてリュックを背負い連休直後の電車に乗るのはちょっと変な感じがする。どう見えているのか。でもそんなことに注意を払う人なんて本当はいなくて、僕はただ、どこにもいない人の視線を勝手に感じて、変な感じを得ている。

和室に着くと窓から陽が入っていてちょっと暑いので窓を開け、すだれを垂らす。が、それでもあまり日除けになっていなくて、悩んだ挙句、持ってきた封筒型の寝袋を広げて、カーテンレールに引っ掛けて遮光カーテンのようにする。効果的な遮光で、部屋が暗く、ビニールの質感は風情がない。今週の日曜日にここで円坐をするのだけど、その時はどうだろうかとちょっと不安になるけれど、しばらくすると日が雲で陰りだしてきたので、寝袋を外してみたらちょうど心地が良くて、このぎりぎりの行き過ぎるか行き過ぎないかの季節である今がまさに山の頂上のような最高の瞬間なんではないかと思ってうれしくなる。

明後日のゼミの『贈与論』、ちょうど家を出る直前に、注文していた岩波文庫のが届いたので持ってきていて、それを読む。今度のゼミは第二章でその半分ぐらい読んだところで眠くなって昼寝する。起きると自分がこれから先、こうやって何もできないまま生きていけるのだろうかと不安になっていて、何か夢でも見たんだろうけれど、いてもたってもいられなくなっている。どうにか散歩へ行こうと思うのだけど、散歩へ行くまでの段取りがうまくできない。ポケットに『贈与論』だけ突っ込んで、途中スーパーでなにか買って、風に吹かれて気持よく居られる場所を見つけ出してそこで、買ったものを食べて本を読むという、旅的非日常を謳歌すると決めて、ようやく部屋を出る。お金は持たず、クレジットカードだけ持つ。

ウィンドブレーカーを着て外を歩き出すと元気が出てくる。イオンについてウロウロして、まずバナナを買うことにする。もう十九時を回っていて、二十一時に閉店なので店員さんが惣菜売り場でカツや鶏の揚げ物やらをパックに詰めて値下げシールを貼っていて、アメリカンドッグが二本まとめて百四十円になっていて、それを買う。

店を出るとすっかり暗くなっていて、本を読むためには明るい場所を探さないといけないと思って、岡崎のみやこめっせを目指す。とうに閉館していて暗いけれど、街灯があるからそのそばで座って本を読めるようなところを探すけれど、ない。京都府立図書館、近代美術館の前を通るけれど、ない。そのころにはアメリカンドッグを歩きながら二本とも食べ終わっていて、鳥居をくぐって橋を渡ったところのセブン-イレブンの前に行くけれど、特に買いたいものがあるわけではない。そこからさらに南へ行き、三条通へ出る。もう目的はなく、ただ生き物としての走光性に従っている。

三条通を歩いていると古川町商店街が左手にあって、以前から澪と気になっていて行ってみようと思っていたのでそこへ入っていく。時間も時間なので全部シャッターがおりているかと思いきや、ちょっとお酒を飲むような小さくて雰囲気のあるお店が何軒か開いていて、アーケードの商店街には珍しく旅館もある。中には「一棟貸しの旅館」と書かれたところもある。閉まっている店も開いている店も、店の前に店名と短い売り文句が墨字で入った揃いの大きな提灯が出ていて、その提灯に灯りが灯っているからか、閉店時間を過ぎて閉まっている店が多いにもかかわらず歩いていて気分がいい。商店街の終わりまで歩いて行くと白川にぶつかったので、今度は商店街から出て白川沿いに北上して三条通へ戻る。白川沿いは背の低い街灯が、歩いている人の足元を照らすために並んでいる。白川に柵はなくて、奈良の猿沢池にも柵はなかったのを思い出す。夜、ほとんど歩く人もいないけれど、こういうところが観光地で、こういうところを歩くのが楽しいと思えるぐらい部屋を出た時と気分が変わっている。

三条通に戻り、そのまま三条大橋を渡り、鴨川の河原へおりる。西側の広い方の河原は鴨川名物の川床の明かりが届くので本を読むことができるぐらいに明るい。鴨川は「ゆか」と読み、貴船は同じ字を書いて「かわどこ」と読むと母親に聞いたことがある。橋のちょっと北側、芝生に座って『贈与論』を開く。川本真琴に似た声とギターが聞こえてくるけれど、歌っている人は影の中で見えない。その歌い手の頭上には川床で食事をするテーブルの人の影が逆光に映る。僕から5メートルほど離れたところの土手に水面を向いて若い男性二人が座っていて、小瓶のビールか何かを飲んで話をしている。そのさらに向こうにも5メートルほど離れたところに水面を向いた人影が見えるけれど、何人いるのかわからない。川本真琴に似た声の演奏が終わるともう少し遠くから別の、こちらはもう少し甘みの少ない女性の声の歌が聞こえてくる。本の中に意識が入りこむまでの数十秒、何度も同じ行を読み返していると、突如、人が生きていくことは楽しかったり悲しかったりする感覚の中に常に入り込んでいるのだけど、それらが何か重大で決定的であるわけではなくて、ただ次から次へと曲が変わるように歌い手が変わるように僕の前に露出しているにすぎないという感じがして浮遊し、あぁこれが旅というものかと思う。僕は旅が上手にできない。だから、部屋まで借りてベースキャンプを設営し、310円の回数券でやってきては、世界的観光都市である京都の中枢を目指してアタックを繰り返して、そしてようやくほんの数十秒の旅ができた。

本が読めだしてしばらくすると小さな雨粒を感じて、そこで本から意識が出てしまい、だから今の瞬間まで本が読めていたとわかったのだけれど、雨のせいでそれが中断して、それでも読み進めようと思ったものの、ページにできた小さなふやけたシミを見つけて、慌てる。傘は持ってきていない。澪が今日は雨が降ると言っていたのを思い出す。周りの人たちは意に介さないようだけど、僕は天候にはばまれてアタックを中止し、ベースキャンプに戻る決意をする。

帰り道、御池通に出て、やまやによって夜食にタイラーメンとアテにカルパスを買う。もういつものパターンに戻っている。旅は消えてしまった。雨とも言えないほどの雨もやんでしまっている。でももう旅に戻る勇気はくじけていてベースキャンプで酒を飲みながら、日誌代わりにブログの原稿を書きはじめる。

May 6, 2015

【146】東山の和室に二泊した。の続き。

起きたのはたぶん8時過ぎで、雨が少し降っていた。朝ごはんを食べに澪と東山三条のマクドナルドへ行く。ゴールデンウィークまっただ中にしては通りに人が少ない。時間帯が早いのか、天気が悪いのか、それとも人がいないわけではなくてそれなりに歩いている人はいるので、外れとはいえ京都という一大観光地の一角に位置するこの辺りはいつもこんなかんじで連休も何もないのかもしれない。

宇治で育って、途中抜けるけれど、また戻ってきて今も住んでいる僕は、小規模な観光地というものが原風景としてあって、それは街の大きさの割には町並みの保存というか景観というかそういうものにある程度力がかかっている場所である。一時期住んだ箕面もそういうところがあった。

観光地は観光地であるためにお金と労力がかかった街で、住んでいる人以上に外部の人が訪れることを、しかも一時的にのみ訪れることを前提として基盤が整備されている。休日の昼間などが来訪者のピークで、そこに照準を合わせて街がある。それは繁忙期に対応してスタッフを揃えたカフェに似ていて、そういうところでも当然来訪者が少ないタイミングはあって、そのタイミングの時は、たまたまそこにいる人にとっては比較的過剰な設備となる。観光地に住むものの特権ともいうべきは、その過剰な設備を独り占めするような感覚で、だから観光地は夜がいい。余力を持った環境。観客が少ない豪華ステージ。僕自身は絶対に構築しようとは思わないものとして、人が少ない観光地はあって、それがなぜか心地よい。

ソーセージマフィンとホットコーヒーで200円。澪は家に帰るので、三条方面へ、僕は今日も府立図書館。一応図書館へ行く目的はあって、ゼミで読んでいる『贈与論』を読み直しておこうと思っていた。図書館について検索すると書庫にあるので出してもらう。僕が持っている『贈与論』はちくま学芸文庫のやつで、ゼミの標準は岩波文庫で、図書館には岩波のやつがあったのでそっちを読む。

原文を読むことは僕には無理なので、翻訳そのものの出来をどうこう言うことはないのだけど、日本語としてだけ見た場合、僕は岩波のほうが読みやすい。

例えば、ちくまでは、
(クラでは)贈与そのものが極めて厳粛な形態をとっている。受け取った物を軽蔑し、あるいは警戒し、あるいは足元に投げつけた後で取り上げる。物を贈った方も極度に謙遜な態度を装う。贈り物がおごそかに運ばれてほら貝が鳴ると、贈った方は残り物に過ぎないものをさしあげると詫び、贈り物を足元に投げつける。[74]
岩波は、
クラでの贈与行為は、それ自体としてきわめて儀式ばった様相を呈している。受け手の方は、贈り手が物を足元に投げ出してもそれには見向きもせず、つまらぬ物を、というあつかいで、投げ与えられてしばらくたってから、ようやくそれを手にとるありさまである。贈り手のほうはというと、へりくだった風情を大袈裟に示す。ホラ貝の音にのって、恭しく贈り物をもってくると、残り物しかあげられなくてすまない、と言って詫びた上で、クラでの競合相手でありパートナーでもある相手の足元に、贈り物を投げつけるのである。[146]
となる。単純に文字数の違いでもあるのだけど、岩波の方が原文の解釈の密度が高い印象がある。その解釈が必ずしも正しいかどうかはわからない。おそらく原文は簡素に見えるちくまの方に近いのではないか、岩波は独自の解釈を入れているのではないかとも考えられる。そうだとすると、著者マルセル・モースの視界というものを厳密に得ようとするとちくまのほうがいいということになるのだけれど、僕には原文のモースが使った言葉が機能する、その言葉の持つネットワークそのもの、つまりその言語を扱う能力がごっそりと無いわけだから、逐語訳的なちくま訳ではモースの視界まではかなり遠くなってしまう。岩波のような、翻訳者が持っている原語での言葉のネットワークに一旦写し取られたものを再度、翻訳者の持つ日本語のネットワークに変換されたものの方が、少なくとも翻訳者の視界は得られるわけで、そちらのほうがいいように思う。これは、僕が日本語以外の言語に対してほとんど知識と経験がないからそうなのであって、原語を知る人であれば、別の視界が得られうるのかもしれない。そんなことを考えたりしながら、結局今後のゼミのために、僕は岩波のを買い足すことにした。

 

気が付くと14時近くになっていて、お腹が減っているような気がしだす。図書館を出てイオンに行き、おにぎりとカップうどん、翌朝の朝食用にバナナを買うことにして、もう一泊することを決める。

部屋に戻っておにぎりを食べて、昼寝をしたり、少し文章を書いたりする。夜、ろうそくをつけてウイスキーを飲んで、散歩に行きたくなり、雨上がりの疎水の周りが気持よくてぐるぐると歩きまわって、帰ってくると疲れていて寝る。そろそろ食べているものがスーパーの惣菜やインスタント食品ではつらくなってきて、家のご飯が食べたくなってきている。翌朝起きて共同の掃除機を借りてきて部屋にかけて、昼前には家に帰って澪のカルボナーラを食べた。

May 5, 2015

【145】東山の和室に二泊した。

東山の和室に泊まったことがなかったので、ちょうど季節も良さそうだから泊まることにした。ぱーちゃんはちょくちょく泊まっている。

昼過ぎに着く。何もない部屋なので何もすることはない。パソコンを持ってきているけれどネットにはつながらない。ネットにつながらなければ、今のパソコンには自動的に何かを引き起こしてくれるようなソフトは入っていない。

昼寝をして眠気が消えたら夕方になっていて、散歩へ行くことにする。近くにネットが繋がるところはないか探すという目的を設定して、パソコンをだけを持って出る。

疎水の方へ歩くとみやこめっせがある。いかにもWi-Fiが飛んでいそうなところなので、ロビーに座ってパソコンを開くと案の定あった。今度からメールチェックはここですればいいと思って、目的を達成できた喜びと目的を達成してしまった不安とがやってくる。

ネットにつないでやることは特にないので、みやこめっせを出て散歩を続ける。もう目的はなくなっていて、糸が切れた凧である。隣に京都府立図書館があるので、そこに入る。夏場、暑くなったら東山の和室にはエアコンがないし、つけるつもりもないので暑さを避けられる場所が必要になる。そういう時に図書館はいいなと思って、それを確認するという短期的な目的を設定する。でも、図書館に行けば常に読みたい本があるかというと最近はそういう感じでもなくて、だとしたらいつも常に新しいことが書いてある雑誌を読むことにしておけばいいと思って、雑誌の棚を見に行く。これなら何かあればここに来て雑誌をめくればいい。

棚にあった「群像」を読んでしばらくすると、閉館時間が近づいてきたというアナウンスがあって、出る。そのまま一度和室に戻る。

戻ってもやることはないので、晩御飯を買いに行く。イオンが近いのでそこへ行って、レトルトのカレーとご飯とカツを買って帰って、レトルトのカレーは湯を沸かした薬缶に突っ込んで温める。カツカレーを食べ終わって少し文章を書く。

夜になると散歩に行きたくなる。イオンが9時で閉店するのは知っていて、酒を売っているやまやはどうだろうかと、御池通のやまやを目的地にして歩き出す。夜の鴨川の堤防を歩く。鴨川の西側はもう川床が出ていて提灯などに灯りが入っている。東側の堤防は、鴨川の水面を隔てていて、こちら側には灯りは少なく堤防も狭い。自分の居場所が照らされていないところから、ある程度の距離を隔てたところにある灯りとその灯りに照らされている人を眺めるというのが夜の街の楽しみ方なので、この景色が僕にとっての京都の一番艶やかな姿である。

やまやは10時までで、ちょうど閉店間際。しばらく店内を歩いたあとブラックニッカとドリトスを買う。

酒とアテを買ってしまうともう意識はそこにへばりついてしまうので、いそいそと部屋に戻って飲む。しばらくすると電話がかかってきて、出町柳に来ていた澪がこれからそっちへ行くというので、待っている。

夜中近く、澪がやってきて、一緒に飲む。その後、窓を開けたまま寝たので明け方寒くて失敗したねと翌朝二人で言う。

長くなったので、このへんで。続きを書くかもしれない。

March 26, 2015

【109】東山の和室の円坐をやります。

いつもは茶室とかアパートとか呼んでいるけど、
今回は「東山の和室」としてみた。
友達のけんちゃんと何かをやるのは、
いつも楽しくて、
いつもドキドキする。

とても仲が良いのだけれど、
いつも勝負している感じがある。

この円坐の案内文も、
僕なりの勝負をした。

けんちゃん、どういうかなぁ。
こんなふうに書かれると困るかなぁ。

そんなことをちょっと考えたりしながら、
一応けんちゃんに「これでいい?」と
メールしてから外出したら
戻ってきた時にはすでに、
けんちゃんがフェイスブックに告知していて
さらに驚いた。

行動が先に立つ人。

ブログを読んでくださっている人が来てくれたら、
とてもうれしいので、転載します。

場所の「東山の和室」は、
ブログで何度か書いている
東山のアパートの部屋のことです。

===
フェンスワークスの小林健司です。
この度、ぼくがかねてから交友を深めている大谷 隆さんに、円坐の守人として呼んでいただくことになりました。

場所は、「東山の和室」と呼ばれる、秘密の場所。

この前行ってきましたが、小さくて、なにもなくて、とても静かで、のんびりした場所でした。

円坐には、目的やスケジュールはないけれど、数少ない予め決まっているものがあります。それは、「主催する人」と「場所」と「時間(日時)」。

「この日じゃないと来れない人」がいるし、
「この人が主催しなければ集まらない人」もいる。
そして、「この場所でなければ来ない人」がいる。

円坐は、開く人、開く場所を、そのまんま味わうような時間でもあるなぁ、と思います。楽しみです。

小林健司

【以下、大谷隆からの案内文】

「最近、円坐に飽きちゃってさ。
それでくにちゃんにきいてみたの。
そしたらくにちゃんでも退屈する時があるんだって。
でも、そういう時は必ず何か見落としてることがあるって」

けんちゃんこと小林健司さんのこの言葉で、
僕は3回驚いた。

「円坐に生きる」「ライフワークだ」って、
けんちゃん言ってなかった?
それが飽きたってどういうこと?

しかもそれ、
くにちゃんにそのまま言ったの?

くにちゃんこと橋本久仁彦さんは円坐の第一人者、
というよりも円坐そのものをこの世界に現した
けんちゃんの師匠とも言える人で、
そんな人に飽きたって言ったんだ。

くにちゃんもくにちゃんで
あっさり退屈だって肯定して、
そのうえで、
円坐の真髄ともいうべき視界を
たった一言であらわしてしまう。


そんなけんちゃんの円坐を
僕は企画しました。

飽きたと言う人の円坐なんて信用できない。
そんな人の場になんで行かなきゃならないのか。

と思われるかもしれませんが、
僕はだからこそ、けんちゃんの円坐が信じられるし、
これ以上に確かなことは無いと思えるのです。

飽きたら飽きたって、
誰にもはばかることなく言える人が
やろうやろうと言っているのですから。

円坐という、
ただ人が円になって坐る時間と場を
どう説明すればいいのかはとてもむずかしいのですが、
そこで見える露骨な景色に僕は惹かれます。
ご一緒できるのを楽しみにしています。

大谷隆

======
▶日にち :4月12日(日)
▶時 間 :10:30~18:30
      セッション1 10時30分〜12時30分
      昼食     12時30分〜13時30分
      セッション2 13時30分〜15時30分
      休憩     15時30分〜16時00分
      セッション3 16時00分〜18時30分
▶場 所 :東山の和室(京都市)
▶集合場所:10:00に京阪三条駅の上の交差点にあ
      るブックオフ前 に集合して、移動します。
      会場まで徒歩10分程度。
▶坐主(ファシリテーター):小林 健司
▶参加費 :3500円
▶定 員 :5名
▶申込先 :まるネコ堂のサイトより

February 6, 2015

【071】無いが足りなくなっていた。

畳が柔らかく座布団もいらない。
家賃を払いに東山のアパートへ行った。13時半頃ついたが大家さんは留守だった。とたんにやることがなくなって、とりあえず部屋に入った。

京阪三条駅から歩いてきた分で体が温まっていたから、ストーブはつけない。お湯を沸かして飲む。窓から斜めに陽が入っている。それがあたっている、入り口から見て右の壁にもたれかかる。外の音が聞こえたり隣の隣の人の音が聞こえたりする。

しばらくしてノートを開いてペンで書き始める。部屋の中にあるものはお湯を入れたマグカップを置いた丸いお盆。

他は無い。
やることは無い。

無いがたぷたぷと満ちた部屋にとっぷりと浸かる。と書くと、無いというのが水のような手触りを持つけれど、本当はそんな手触りもなくただ、濃密に在る、いや無い。

しばらくすると自分にも無いが流れこんでくる。自分が無いでいっぱいになる。自分が無い。

気が付くと2時間経っていて、もう無いで満たし終えて、これ以上無いが入らない。

帰ることにしてもう一度大家さんを訪ねたら戻ってきていて家賃を払う。

しばらくきてはらへんかったね、と言われる。
ちょっと忙しくて、と答える。
いやいや。ええんやけど、と言われる。

事務所という目的で借りているのに仕事が忙しくて来られない。来られないことをなぜか申し訳なく思っている。

無いが減ってきた時、この空っぽの部屋に来ればまた、無いで満たされる。

January 22, 2015

【061】持ち寄り食会と名付ける。

将棋の対局に棋譜が残るように、
メニューを残してみている。
東山のアパートにぱーちゃん、高向くん、澪と僕の4人でいて、夜ご飯を食べようとなった。二条のイオンに行ってなんか買ってこようということで、店内についてから急遽、一人800円の「持ち寄り食会」をすることにした。

持ち寄り食会(しょっかい)というのは、以前「2000円忘年会」とか「1500円新年会」とか呼んでいたもので、小林けんちゃんのブログで「ほっぽられたものがない気持ちよさ」と紹介された、あの会のこと。高向くんが名づけた。

けんちゃんの「だれかとだれかの間に挟まれて、ほっぽっておかれるものが、存在しなくなる」というのはまさにそうで、どんなものであっても確かな手応えを持って場に現れる。

今回は、これまで会場にしてきた自宅(まるネコ堂)とは異なり、調理道具と呼べるものがカセットコンロとやかんしかない。この大きな制限事項があるため、果たしてどうなるかと思ったが、やはり恐ろしいほどにバラエティ豊かな食卓となった。

以下、レシートより記録。
ぱーちゃん
・チロルチョコミルクヌガー
・有楽クリスプサンダーWナッツ
・トップバリュ清酒カップ
・トップバリュチューハイ
・牛もつ鍋
・コロッケ2つ

高向くん
・トップバリューポテトチップスのりしお
・ピザパン
・じゃがバターコロッケ2つ
・白身魚のフライのあんかけ
・月桂冠エコカップ
・クリアアサヒ


・トップバリュハイボール
・トップバリュ極小粒納豆3パック
・焼き鳥、うずら卵フライ、白身魚フライ、春巻のセット
・鍋焼きラーメン
・さんま蒲焼缶詰

大谷
・トップバリュ粒入りコーンスープ8パック
・トップバリューカップうどん
・トップバリュ清酒カップ
・トップバリュバケット(フランスパン)
・エクストラバージンオリーブオイル
・トップバリュフィッシュソーセージ4本セット

ぱーちゃんのモツ鍋がよかった。

僕のトップバリュ頼みは通用しなかった。あとそんなに大量のセットを買う意味がないということもようやく学んだ。

一つ一つ、各自買おうとしたものに対する理由があり、買おうと思ったものけどやめたものへの理由もある。「このとなりにあったやつと迷った」「それ、僕も迷いました」という感想戦が面白い。

現在のところ、2000円から1500円、800円と予算を下げても必ず食べきれない量になるという現象が生じている。

January 13, 2015

【052】気がついたら買ったものすべてトップバリュだった。

キャッチコピーは死んだ。
「こってり」とか「たっぷり」より安価な定番が勝つ時代。
昨日、澪と二人で東山のアパートに行ってゼミの本を読んで、近くを散策ついでに市民活動センターの予約をとったりしていたら、夕方になってお腹も減ってきたので、ちょっと何か買ってアパートの部屋で食べて帰ろうとなった。

二条通にイオンがあって、入り口はそうでもないのだけれど、このイオン、中に入ると広くて品揃えも豊富。特に酒コーナーがリカーマウンテン顔負けで、キングサイズ(1750ml)のアーリータイムズなんて売ってるスーパーを初めて見た。

ちょっとだけ飲めればいいやとワンカップのコーナーへ行くと、イオンのプライベートブランド「トップバリュ」のカップ酒があって、へーこんなのもプライベートブランドで作ってるのかと感心しつつ値段を見たら180mlで98円(税込)で、つきなみだけどジュースより安い。

ついでにアテにポテトチップス、小腹が空いたのでカップラーメン、家で食べるように袋入りのラーメンを買って、部屋に戻って広げたら写真の如く、すべてトップバリュだった。

何しろ値段が競合とくらべてダントツに安く設定されているので、よっぽど個別メーカーやブランドに思い入れが無い限り、トップバリュを買ってしまう。いやもう、無意識にどんなジャンルのものであっても、まずトップバリュを探す気がする。

なまじ商品内容で差別化する必要がないため、定番ど真ん中な味に作ってくると買う前から予想できるので安心感すらある。そのうちトップバリュの車とか家とか出るんじゃと思ったら、ほらもう、どんな車でどんな家かなんとなく想像がついてしまう。

カップ酒もポテトチップスもカップラーメンもインスタントラーメンも、メーカーが必死の思いで開発し、ライバルと戦い、商品ジャンルを形成し、確立してきたからこそ、こうやって「そういうモノ」として誰もが知るようになった。

格安のプライベートブランドはそういった歴史をまるごとかっさらっていくような感じがして応援したりされたいとは思わないけれど、東山のアパートで僕がやろうとしているような、できるだけ持たない「軽い暮らし」には、とても相性が良いのだと思う。なんともすっきりはしない。

とりあえず、できるだけ川端のフレスコで買おうとちょっぴり思った。

January 7, 2015

【044】東山のアパートで軽く飲む

お茶やコーヒーがなければ、
水かお湯を飲む。
東山茶室へ午後出向く。
部屋に入って大家さんからもらったガスストーブをつけているとT氏がやってくる。

それからT氏と話し込む。
カセットコンロでお湯を沸かして二人してお湯を飲みつつ話をする。

内容はここでしかできない話かと言われるとそんなことはないと思うけれど、
話ができた事自体は今日ここで会ったからで、
そんなことのためにこの場所はあるのかなと思う。

夕方一旦、部屋を出て、散歩していたら寒くて、
酒でも飲もうということになり、
スーパーで日本酒と軽めのアテを買って、
部屋に戻って飲む。

またしばらく話して家に戻る。

January 6, 2015

【041】東山の茶室

立派な契約書。
保証人も必要。
昨日、フル装備と書いたけれど、さらに装備というか「何か」が増えた。

以前、「茶室を持つ(かも)」と書いた東山のアパートを借りた。
京阪三条から徒歩10分ほどの、僕からしたら大都会の真ん中。
借り主は僕で契約しているけれど、僕を含む4人の仲間で家賃などを負担する。

江戸間の六畳間と、押入れと流しがある京間の二畳の二部屋。
本当はこれでも広すぎるので、同じ階の一部屋の部屋があいたらそちらに移る予定。

4人がそれぞれがどんな使い方をするかは自由。
この場所にどんな名前をつけるかすら自由。
勝手に出入りするから、部屋に行くと誰か居るかもしれないし、いないかもしれない。
他の人に入ってきてほしくない時は、事前にメールする。

出来る限り備品は少なく、現時点で置いているものは、
お茶を飲むための
・カセットコンロ
・やかん
・コップ3個
・手ぬぐい
・お盆

一応宿泊できるように
・寝袋3個

共同トイレだけど紙は個人持ちなので
・トイレットペーパー

冬場の暖房器具をどうしようかと悩んでいたら、大家さんがくれた
・ガスストーブ

物を増やす場合は4人で協議する。

それぞれが自分なりの暮らしの中でこの場所をどう位置づけていくのか、
それを考えながら実行していく。
さて、どんな感じになっていくのか。

とりあえず、近所を散歩してみたいとは思っている。

December 26, 2014

【036】茶室を持つ、かも。

空だけの写真を見ると、
いつも切り取られている感じがする。
とあるアパートに部屋を借りるかもしれない。

場所は京都の東山。京阪三条から徒歩10分ぐらい。都会。
玄関を入ると靴を脱いで木の床の廊下が続く古い旅館のような木造2階建て。
友達と何人かで借りる算段を立てつつある。
住むのではなく立ち寄る。

エアコンがないから夏は暑い。
そういう時はどこかへ避難する。
近くには図書館、美術館、多数の喫茶店、コンビニ。

風呂がないから風呂には入らない、
か、もしくは近くの銭湯。

冷蔵庫を置く気はないから、食べ物は食べない、
か、もしくは近くのお店。

トイレと洗濯機と物干し台は共同。

都市に暮らすというのは、そういうことだと思う。
私的所有を減らし、公共に潜る。
都市という広大な空間に生きる。

そして、部屋という結界を張った領域に消え入り、
ひとりで考え事をする。
ひとりで本を読む。
友人と会う。

だからこれは茶室。

この計画、進展したら続きを書きます。

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