宇治で育って、途中抜けるけれど、また戻ってきて今も住んでいる僕は、小規模な観光地というものが原風景としてあって、それは街の大きさの割には町並みの保存というか景観というかそういうものにある程度力がかかっている場所である。一時期住んだ箕面もそういうところがあった。
観光地は観光地であるためにお金と労力がかかった街で、住んでいる人以上に外部の人が訪れることを、しかも一時的にのみ訪れることを前提として基盤が整備されている。休日の昼間などが来訪者のピークで、そこに照準を合わせて街がある。それは繁忙期に対応してスタッフを揃えたカフェに似ていて、そういうところでも当然来訪者が少ないタイミングはあって、そのタイミングの時は、たまたまそこにいる人にとっては比較的過剰な設備となる。観光地に住むものの特権ともいうべきは、その過剰な設備を独り占めするような感覚で、だから観光地は夜がいい。余力を持った環境。観客が少ない豪華ステージ。僕自身は絶対に構築しようとは思わないものとして、人が少ない観光地はあって、それがなぜか心地よい。
ソーセージマフィンとホットコーヒーで200円。澪は家に帰るので、三条方面へ、僕は今日も府立図書館。一応図書館へ行く目的はあって、ゼミで読んでいる『贈与論』を読み直しておこうと思っていた。図書館について検索すると書庫にあるので出してもらう。僕が持っている『贈与論』はちくま学芸文庫のやつで、ゼミの標準は岩波文庫で、図書館には岩波のやつがあったのでそっちを読む。
原文を読むことは僕には無理なので、翻訳そのものの出来をどうこう言うことはないのだけど、日本語としてだけ見た場合、僕は岩波のほうが読みやすい。
例えば、ちくまでは、
(クラでは)贈与そのものが極めて厳粛な形態をとっている。受け取った物を軽蔑し、あるいは警戒し、あるいは足元に投げつけた後で取り上げる。物を贈った方も極度に謙遜な態度を装う。贈り物がおごそかに運ばれてほら貝が鳴ると、贈った方は残り物に過ぎないものをさしあげると詫び、贈り物を足元に投げつける。[74]岩波は、
クラでの贈与行為は、それ自体としてきわめて儀式ばった様相を呈している。受け手の方は、贈り手が物を足元に投げ出してもそれには見向きもせず、つまらぬ物を、というあつかいで、投げ与えられてしばらくたってから、ようやくそれを手にとるありさまである。贈り手のほうはというと、へりくだった風情を大袈裟に示す。ホラ貝の音にのって、恭しく贈り物をもってくると、残り物しかあげられなくてすまない、と言って詫びた上で、クラでの競合相手でありパートナーでもある相手の足元に、贈り物を投げつけるのである。[146]となる。単純に文字数の違いでもあるのだけど、岩波の方が原文の解釈の密度が高い印象がある。その解釈が必ずしも正しいかどうかはわからない。おそらく原文は簡素に見えるちくまの方に近いのではないか、岩波は独自の解釈を入れているのではないかとも考えられる。そうだとすると、著者マルセル・モースの視界というものを厳密に得ようとするとちくまのほうがいいということになるのだけれど、僕には原文のモースが使った言葉が機能する、その言葉の持つネットワークそのもの、つまりその言語を扱う能力がごっそりと無いわけだから、逐語訳的なちくま訳ではモースの視界まではかなり遠くなってしまう。岩波のような、翻訳者が持っている原語での言葉のネットワークに一旦写し取られたものを再度、翻訳者の持つ日本語のネットワークに変換されたものの方が、少なくとも翻訳者の視界は得られるわけで、そちらのほうがいいように思う。これは、僕が日本語以外の言語に対してほとんど知識と経験がないからそうなのであって、原語を知る人であれば、別の視界が得られうるのかもしれない。そんなことを考えたりしながら、結局今後のゼミのために、僕は岩波のを買い足すことにした。
気が付くと14時近くになっていて、お腹が減っているような気がしだす。図書館を出てイオンに行き、おにぎりとカップうどん、翌朝の朝食用にバナナを買うことにして、もう一泊することを決める。
部屋に戻っておにぎりを食べて、昼寝をしたり、少し文章を書いたりする。夜、ろうそくをつけてウイスキーを飲んで、散歩に行きたくなり、雨上がりの疎水の周りが気持よくてぐるぐると歩きまわって、帰ってくると疲れていて寝る。そろそろ食べているものがスーパーの惣菜やインスタント食品ではつらくなってきて、家のご飯が食べたくなってきている。翌朝起きて共同の掃除機を借りてきて部屋にかけて、昼前には家に帰って澪のカルボナーラを食べた。