「書生」がなんなのかはよくは知らない。
今のところ調べない。ただ、昔読んだ有名な小説に出てきていたといううっすらとした記憶がある。その小説が誰の何という小説だったかもよく覚えていない。僕の「書生」は、特段何かをしているというわけではなく、本を読んだり考え事をしたり友人と話をしたりして過ごしている人ぐらいの意味で、そういう人について僕はぼんやり羨ましい。憧れている。
東山の和室にいると、考え事をしている時間の密度が上がる。近所に京都府立図書館があって、そこで本も読める。時々友人がやってきて話ができればもうそれで僕の中では「書生」である。なにか「書き物」なんかもやるのかもしれない。
考えてみれば、今も毎日、だいたいそんな日々を送っているのだけど、夏の暑さがどうにもならないので、そういうことをもう少しだけ純度を上げて試してみる。こういうことにはっきりとしたことは言えないのだけれど、7月の最後の週あたり、東山の和室でそんなふうに過ごしてみようと思っている。誰か、ふらっとやってきてくれて、あてもなく話ができたりしたらうれしい。