文字化する手がわずかに止まる瞬間を狙って、次の後悔の対話が始まる。断片でも書き留めておこうとして泥沼に沈む。やがて窒息するように意識が消えて、眠りが始まるが、案の定、いつも底流で望んでいる未来の体験が夢として現れ、望んではいないが予測しうる苦痛の結末を迎える。
どうにか昼過ぎに起きだして、持ってきた白菜とラーメンで白菜ラーメンを作って食べる。さらに長い時間をかけて、みやこめっせにやってきてメールをチェックすると澪からのメールが来ていて電話を返す。長い電話が終わって、パソコンに向かってよろよろと日常を手探りし
"Excuse me.”
びっくりして立ち上がって振り向くと、白人の女性が目の前に出現していた。
流暢であるがゆえに全く聞き取れない英語の流れを、僕は腐りかけた脳みそで瞬間的に根性で意訳する。
「ちょっとお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか。Traditional craftsの展示場がありますよね。あの中庭の向こうに見えているところだと思うのですが、あそこへはどうやっていけばいいですか?このundergroundですよね。あの階段ですか?」
聞き取れた部分だけ英語表記するとこんな感じだ。あとは状況と、彼女の様子、主に指差した手振りを解析する以外にない。
とりあえず一番近くの地下への階段を指差して笑ってみた。
"Thankyou.”
そしてそちらへ数歩彼女は歩き出し、不意に立ち止まり戻ってくると、
「あ、それから、たしかこのあたりでJapanese calligraphyのexhibitionをしているはずなのですが、それはどこかわかりますか? この建物じゃなくて、ほかの建物かもしれませんが?」
Japanese calligraphyがかろうじて書道に像を結ぶ。しかしもうお手上げだ。うろうろと歩きまわり、無駄にコートを持ったり置いたりしたが、僕の知識データベースは一件もヒットしなかった。その様子から彼女は、
「ご存じないですか。わかりました。Thankyou.」
といって階段へ向かった。僕は無力感をどうにかため息として吐き出す。
道をきかれることは以前からよくあった。話しかけやすそうな雰囲気があると言われるとちょっとうれしいが、実際はただ暇そうに見えるからだと思う。見知らぬ人に声をかけられると、いつも一瞬驚くのだけど、回数をこなせばなんだってだいたい慣れてくるもので、最近は適切に対応できることが多い。つもりだった。日本語であれば。
それが今回は、本当に文字通り、僕にはほぼ聞き取れない発声を、僕の側でいま・ここの状況から収集し、パターン認識に放り込み、データベースを叩く検索クエリーとして創作した。行動としては何か微弱な意思疎通が成立しているかのように振る舞ってみせただけだ。後半は異常行動に見えたかもしれない。相手はとても流暢な英語を話し、僕は日本語すら発することができなかった。相手はとても落ち着いた様子で、僕は慌てふためいていた。これは対話だったのだろうか。
僕にはただ、僕の淀んだ意識に異国の風が一瞬吹き込んで波立たせ、消えてしまっただけだ。穏やかで心地良いぬくもりの残像とともに。