September 26, 2014

【016】「へー、すごいアプローチだね(笑)」

自分の中で形にならないと思っているものは、
光量不足でブレて写っているだけなのかもしれない。
「言葉の記録」というコーナーを作って、小林けんちゃんと話をした。この時、僕がけんちゃんに話を聞きにいっているのだけど、冒頭こんなやり取りをしている。

小林 なんか大谷さんの、ないの? 聞いてみたいこととか、関心とか。 
大谷 (けんちゃんが)普段考えている、ずっと考えてしまうようなことが、
   聞けたらいいかな。
小林 ふーん。なるほど。 大谷さんなりに僕にいろいろ関心持ったりとか、
   こんな話面白そうとかは、あったとしてもそれじゃなくてね。
   へー、すごいアプローチだね(笑)

この後、「そう?」と僕は気の抜けたような応答をしている。
この時は、このアプローチがどう「すごい」のか感じ取れなかった。本当にただ、けんちゃんが今何を考えているか聞いてみたいと思ったからだ。

取材の常識で言えば、こんなインタビュアは失格だ。なんの準備もしないで「なんでもいいので今考えてること聞かせてください」なんて言いながらレコーダーを回しだしたら、その場で叩きだされてもおかしくない。

用意周到に対象者に関する情報、最近の著作や発言を頭に入れて、ありそうな話の流れを予め読んでおいて、質問を準備する。それがインタビューの「イロハ」である。そういう点では、僕は友人という関係性に乗っかって、無茶で失礼なやり方をしているのかもしれない。

しかし、ここでけんちゃんの言う「すごいアプローチ」は、そういった「質問をするはずの人」側のマナーや常識についてではない。

僕は、この時以来、ずっとこの対話のことを考えている。

けんちゃんの話したことは、本来は僕の中にはないものだった。けんちゃんと僕とは、全く別々に存在していた。それにもかかわらず、けんちゃんの中にあったことが、僕の中にあったことに重なり、その2方向の照射から、それぞれの中に再びそれぞれの方向と強度を持った新たな視界が生まれた。その視界がまた何かを見えるようにしてくれる。

そういうことを引き起こすアプローチだから「すごい」のだ。
目的を持たない非構成の場を数多く経験してきたけんちゃんだからこそ、それを感じ取れたのだと思う。


10月24日にけんちゃんと2回目をやります。今度は公開収録をしてみます。
fence works「コトバのキロク 公開収録」

【015】対価ではなく畏怖や敬意として

こんなに小さかった。
欲しいものをもらったら、「ありがとう」と言う。
ありがとうを言われたければ、人が欲しいものをあげる。
ありがとうは欲しいものの対価にすぎない。

欲しいとも思っていなかったけれど、
それをもらったことで、
大きく何かが変わることもある。
その変化は、変化する前の自分では予想すらできなくて、
だから、それを欲しいと思うことはできない。

そんなことは頻繁にあることではなくて、
一生に一度あるかどうか、
そういうことかもしれない。

そういうものをもらった時に、
対価としてではなく、
畏怖として、敬意として、
「有難く」思う。

September 25, 2014

【014】支援を超えて

こういう気分の時に行きたくなる場所。

共同連の機関誌「れざみ」Vol.149の「【報告】大阪マラソントーク」というコーナーに駄文を書いた。いやもう駄文。僕の文章などよりも同じコーナーの他のお二人の筆者の文章をぜひ読んでほしいと思う。下記にそれぞれから一部を引用。

支援について話をした。「つらい、苦しい」がこみあげてきて、涙がとまらなかった。「平等ではない」に感じ、「支援」という言葉の力がこわかった。きいてると自分が暗くなる。

「『働きたくない!』『仕事をよこせ!』の2つを同時に言える力が必要なんです」という高橋さんの言葉に、私の3年間は引っ張りだされた。
 「誰かに話してもいいのだ。」「苦しい。といっても良かったのだ。」初めてそう思えた。
高橋さん:ニュースタート事務局関西の高橋淳敏さんのこと。

僕たちは悲しいほどに一方的だ。それは誰も死んだことのない「生の世界」から死者というものを決めつけるように、有るものによってしか認識できない「有るの世界」から無というものを決めつけるように。

September 19, 2014

【013】例えばとても悲しい事実がある。そして、

飛行機雲はなぜできるのかとか、
夜空はなぜ黒いのかとか、そういう質問が好きだ。
例えばとても悲しい事実がある。そして、
その事実はもうどうすることもできない。

こういう場合に作文で、こう書いたりする。

   とても悲しい。しかし、どうしようもない。

この場合、それに続く次の文章を想起する。

   だから、悲しんでも仕方がない。

つまり、この人は悲しむことをしていない。
一方、

   とても悲しい。そして、どうしようもない。

普通はこうは書かないけれど、この人は悲しんでいる。
悲しむことをちゃんとしている。
悲しいこととどうしようもないことはつながらない。
つなげる必要もない。
悲しいことは悲しいだけだ。

September 17, 2014

【012】無くても死なないもののために命をかけること

外国人が見た日本の風景、
みたいな写真。
「音楽がないと生きていけない」といったようなことをよく言うけど、これはもちろん比喩で、食べ物や水や空気のように、音楽が無くなると直ちに生命の危険にさらされるようなことはない。音楽にかぎらず芸術や文化というものはすべてそうだ。

飢饉や戦争に対して芸術や文化は負ける。
災害や病気に対して芸術や文化は負ける。

だから、そんなもののために命や人生をかける行為は、生きていくことについてのみ着目すれば、無意味である。

つまり、その無意味さの中にだけ、芸術や文化の核があるということだ。

そんなもの無くても誰も死なないと言われたら、そうだと答えて、それに命をかけているんだとにっこり笑えばいい。それだけの話。

【言葉の記録2】小林健司さん 第11回

第11回  だから旅とか、冒険みたいなのに似てる

小林:
だから旅とか、冒険みたいなのに似てる。
ここまでなぜ来てしまったのかという説明を、
一個一個していこうと思うと、
いろんな分岐点があって、
こっちは池で、こっちは森だったから、
こっちに向かったとか
全部説明できるけど、
なんでこんなところまで出発地から、
来たのかっていう全部の説明は無理だよね。

大谷:
うん、そうだね。
小林:
けど、動機としては僕の言葉で言えば、
さっきの丁寧に生きるみたいな部分をちゃんと、
自分でそっちの方向に歩いて行こうとしたら
この道しか結果、なかった。
他、あったのかもしれないけど、
僕にはその道しか見えなかったというか。
ので、ここにいます、
ぐらいの説明になるだろうね。

大谷:
面白いね、これ。
文字にしてこの面白さが伝わるだろうか・・・。

小林:
だから僕がここに住むのを決めるのと同じくらい、
大谷さんが冷蔵庫を買い替えてちっちゃくしたとかさ、
僕も、何かをなくすとか、
捨てたとかと同列な感じがするよね。

大谷:
あぁ、するする!
するよね。

小林:
同じ行為、本質的には。
前の話してた言葉で言えば、フロンティアを開拓するみたいな。

より未開の地に歩を進めるための行為っていう意味では、
まったく同じ意味合いの行動というか。

大谷:
するね。
電子レンジなくしたらどうなるんだろうっていうのを
あんなに楽しく考えるのは、おかしいよね(笑)

小林:
(笑)

大谷:
さっきから鳥肌が立つ寸前の状態でさ。
もう少しっていう感じがある。
そういうふうなことを考えられるんだよね。
けんちゃんと一緒にいると。

小林:
うん。

大谷:
今日は、このへんにしときますか。

小林:
うん。いいよ。
(終)

【言葉の記録2】小林健司さん 第10回

第10回  納得しやすいストーリーへの依存

大谷:
前にさ、あの、「無いの世界」の話をした時にけんちゃんが、
「無いの世界を語る言葉が無いから、
言葉で語ろうとしてる時点で、
その言葉はちょっと変な感じになる」っていうことを言っててさ、
そりゃそうだなと、すごい思ってて。

言葉自体が有るというものを前提に作られているから、
道具として適切じゃないけどそれを使わざるを得ない、
みたいなことがある。

小林:
あぁ、うん。

無いの世界:一般的なこの世界は「有るもの」によって構成され、認識されている。だから「無い」というのは「あるはずのところに無い」という欠損としての意味が現れる。しかし、もともとは、「何も無い広大な世界(無いの世界)」が「有って」、その中にところどころ「何かが有る」だけではないのか。その「無いの世界」は言葉でどう表現できるのか。言葉も「有る」を前提としている以上は、「無いの世界」を語るには不都合が出て、「ちょっと変な感じ」になる。といった小林と大谷の会話から。

大谷:
それと同じで、
子供の頃こういう体験をして、音楽に出会ってとか、
ビートルズに出会って今やってます、
みたいなストーリーって、
そういうのでその人を語るのって、やりやすい。
でも、それ以外の方法で
その人が何かっていうのって言いにくいんだよね、きっと。

みんなストーリーによっかかっているというか、
なんで今こんなことしてるんですかっていうのは、
なにかきっかけがあったからこうなっているはずっていう、
因果関係をベースにしちゃっている感じがある。
それで理解しようとしちゃうんだろうな。
だから因果関係は無いんですっていう人が現れると、
なんじゃこいつってなる(笑)。

小林:
(笑)
大谷さん、なんで訊いたの、僕に。
今、なんでそのようなのかって。

大谷:
僕自身も方向感が無いなって思っていて、
けんちゃんと似通ってると思ってる。状況的に。だから、説明してくれたらすっきりするなって(笑)

小林:
(笑)
そしたらやっぱりなかった。なるほど。
他人に頼ってでも説明したくなるよね。
僕も、大谷さんに言ってもらいたいもん。
僕がなぜこうなのか。

大谷:
そのなんか、名前もついてないし形もない、
なんでもない何かが想定されてるんだよね、きっと。

けんちゃんがこうである理由がすぱっとそれでわかるみたいな。
その理由に多分僕も乗っかれると思ってるんだけど、
今んとこそれは、ない。

小林:
解明されてないね。

なるほど、ここまで来ると特定の事象とかって言うよりは、
なにかそういう「無い世界」をちょっと表現できるような、
あれがあればいいんだけどな。まぁ、それがないから苦労してるっちゅう話だ。

大谷:
そうだね。構造を全部取り外していって、
組織はこういうところがしんどいとか、
お金はこういうところがしんどいとか、
計画はこういうところがしんどいとか、
そういうの全部とりはずしてってようやく、
なんかがあるのか、みたいな。

でもそれが何かはわからない。
っていうところまで来ました。

【言葉の記録2】小林健司さん 第9回

第9回 同じ対象に向けて描写した事柄だというのは明確にわかる

小林:
ピラミッドと川みたいなものでさ、
僕が川だと思ってたものをピラミッドだよねそれは、って
大谷さんが言ってくれるのが
すごく僕にとっては豊かになる感じがあって。
僕の結婚式の時も、
「そのままのけんちゃんとなっちゃんがいる。
みんなもそのまま、普段のままいた」って、
大谷さんが言って、
あぁ俺やりたかったのそれだ!みたいに思った。        

大谷:
うん。そう見えた。

結婚式の時:2014年5月に赤松氏の北比良のログハウスにて行われた小林夫妻の結婚報告会にて、橋本久仁彦氏ら「坐・フェンス」による縁坐舞台(即興芸能)が行われた。文中の発言は、その時の大谷の発言「普段通り。けんちゃんは緊張しているし、なっちゃんはとてもきれいな格好をしているけど、普段通りのけんちゃんとなっちゃんで、ここにいる人全員がそうなんだと思う」から。

小林:
なんちゅうのかな。
描写だから、ストーリーとは似ているようで違うと思うけど、
違う角度から光を当てている、まぁよく言う喩えだけどさ。
ちょっと僕にとってそれが立体的に捉えられるようになる感じ。

さっきの僕のこと言ってくれたのもそうで、
原因と結果が結びついてない、とかね。

そのそういうピラミッドみたいなものから距離をとって、
生きようとしてるんだから、
当然そういうものと縁遠くなるというのは、
わかりきったことだっていうのは、
言われてみると
そんなに明らかなことはないっていうぐらい明らか。
僕の中にも、手応えとしてはあるけど、
それをまだこう立体的にはみたことがないというか、
まだ紙に書いてみたものが
ちょっと3Dみたいに浮き上がってくるみたいなさ、
なんかそんな感じがあって、
面白いなぁって感じていたね。

大谷:
面白いね。
僕、哲学書とかを読むのが好きなんだけど、
哲学者が
「これはこういうことだ。
これがデカルトの言うなんとかで、
フーコーの言うなんとかである」
みたいな、すごいことをスパって言い切る。
あれ、かっこいいなと思って(笑)

小林:
(笑)

大谷:
「それは、けんちゃんでいうところで本流である」ってさ、
それがそれだって言えるって、なんだろう。
それぞれにその要素を足してって
わかってるわけじゃないじゃん。

なんだかわかんないものを僕はピラミッドに喩えたら、
なんとなく自分の中でスッキリ行くなっていうのと、
けんちゃんが川で喩えたのがすっきりいくなっていうのが、
それがイコールであるっていう感じが、わかる。

それなんかすごいなと思って。

小林:
実体としては無いわけだからね。
そういう川とかピラミッドっていうのは。
けれど同じ対象に向けて描写した事柄であるというのは、
明確にわかる。

大谷:
わかるよね。
そんなことばっかり話してたら、
そりゃ楽しいだろうって思うよ。
けんちゃんとは考えている対象が似てるんだけど、
たどる道が違う感じがある。
でもおんなじものを見てる感じがある。

けんちゃんは変化してるしそれが予測はできないんだけれども、
支離滅裂な感じになっているというふうには感じないから、
どうやって僕は、
けんちゃんをけんちゃんだと認識してるんだろうね。

別人だと思ってもおかしくないぐらいだけど、
間違いなく同一人物だと思ってる。

小林:
大学のホントに親しいやつ、
そいつに言わしても、
僕の状況がこんだけいろいろ変わってってるけど、
「ほんまにお前けんじやなぁ」って毎回言われるんだけど、
ちょっと毎回新鮮で、ちょっとそれによってほっとする部分もある。

大谷:
あぁ、それわかる。そんな感じもする。

小林:
それがほっとするっていうのもまた面白いもので、
なんら安定も何もしないけど自分で居れたということに対して、
ほっとしてるっていうか。

だからといって、そいつに、
お前らしくねぇなとか言われるのが嫌だとか、
そう言われないために頑張ってるつもりも
さらさらないんだけど。

【言葉の記録2】小林健司さん 第8回

第8回  なんでけんちゃんはそういうふうになってるの?

大谷:
なんでそういうふうになってんの?
けんちゃんという人は。

小林:
僕が?
なんなんだろうね、これ。

大谷:
たとえばさ、常識に囚われない発想とか、
ちょっと人と違うことをやるとか、
そういう人はいるやん。

でも、そういう人は
ある方向に向かってやっている感じがあって、
「そういう考えだったらそうなるよね」って、
一貫している。

だから、次会った時、あぁそこまで進んだのね、っていう感じがするけど・・・。

小林:
常識には囚われまくってるもんね。僕は。全然、斬新なことをしてやろうとも思ってないし。

大谷:
そうだよね。

小林:
なのになんでこんなとこにいる。
僕の方が教えてくださいって感じだな・・・

大谷:
「こんなとこにいる」の、
「こんなところ」っていうのにあんまり意味が無いやん。

小林:
ああ、うん。そうだね。

大谷:
たまたまそうっていう感じで。
なんでこんなとこにいるんですか?って
聞かれても多分答えられない感じがする。
こんなところに、の「こんなところ」に執着がない。
だからそういう質問をしてもしょうがないなと思ってる。
だから、「なんでそうなのか?」。

小林:
なんだろうねー。
こんな時に「ちっちゃい頃に」とかって話出せれば、
すっきり解決もするんだろうけどさ。なんにも思い当たるフシがないんだよね。

大谷:
うん。すばらしい!

小林:
(笑)
なんにもないんだよね。

大谷:
質問が間違ってるんだよね、きっと。

小林:
質問・・・、うーん。
僕にとってもそれは興味のある質問ではあるんだけれど。
もっとね、わかりやすいストーリーとかがあれば、
もっと人にわかってもらえるんだろうな
とかいうのは思うけどね。

大谷:
すごいね。
けんちゃんて、
原因と結果が結びつかないよね。

小林:
(笑)
原因と結果が結びつかない・・・

大谷:
普通はさ、これこれこういうことがあって、
この時出会った人があってとか、
今と原因を結びつける。

でもそれ、僕は嘘だと思ってて、
今、こうなってることからその原因を考えて、
特定の何かに行き着くわけがない、と思ってる。

それはその人が勝手に創りだした都合のいいストーリーだよね。
それで悪いことが引き起こされるとかそういうことではないけれど、
これこれこうだから今、こうなんですっていう話に嘘がある。

そういう話は、よーく考えると納得がいかない。
それを体現してるよね。

小林:
ま、細かい事象で見りゃあ、いろいろあるけどね。こういう結果になった、これ、原因がありますとかね。

大谷:
コップを倒したらから、
水がこぼれたとか、
そんな程度だったらあれだけど。

小林:
ま、そうだよね。物理法則のレベルではあるわな。
赤松さんと出会ったからログハウスが建てられました。
とか、くにちゃんと出会ったから
フェンスワークスに入りましたとかね。

大谷:
でも、くにちゃんと出会ってもフェンスワークスに入らない人もいるし、赤松さんに出会ってもログハウスを建てない人もいる。

赤松さん:けんちゃんの知人。30年ほど前に自分で北比良にログハウスを建て、今年さらにもう一棟ログハウスをけんちゃんも手伝って建てた。ログハウス建設の様子

くにちゃん:橋本久仁彦氏。「きく」ことの達人。口承即興舞踏劇団「坐・フェンス」を率いる。フェンスワークスの誕生にも関わったフェンスワークス・フェロー。
http://enzabutai.com/

小林:
そういう都合のいいストーリーを語ってる人が
羨ましいと思う。僕は。

大谷:
語りたい?

小林:
語りたいよねー。
だってわかりやすいじゃん。

大谷:
そうだねぇ。
あれ、語りたいよね(笑)

小林:
子供の頃こうで、大学の頃こういう経験をして、
こうこうこうだからこうなんです、みたいな。

大谷:
それは、語りたいのはどうして?
どういう場面で?

小林:
こういう場面で(笑)
それ以外の時はあんまり思わない。
だから信じてないって言うことはあるかもね。
原因と結果みたいなものをさ。

大谷:
すごいね。
訊かれてんのに、言わない。
普通、訊かれたら作るやん。

小林:
あぁ、そうだね。
つくんないね。

【言葉の記録2】小林健司さん 第7回

第7回  計画とか未来ってそんなにお金と密接だったんだ

大谷:
前にさ、けんちゃんと一緒にお金のテレビ見たじゃん。        

小林:
うんうん。NHKのやつ。

大谷:
あれのお金の一番最初、
起源をこないだ思い出してたんだけど。
お金の誕生によって未来が生まれた、
計画が立てられるようになったって話でさ、
あぁ、そんなにそうだったのかと。

計画とか未来ってそんなにお金と密接だったんだなって。
というか計画や未来はお金そのものやん。

小林:
うん。そうだね。

大谷:
安定とかもそうだけど、計画とか未来を考えるっていうのは
全部同じこと、同じものについての話で、
そいつがこのピラミッドを作っているっていう気がしてて。

同じ何か、概念というか。
そいつをこっちから見ると計画、
こっちから見るとお金、
こっちから見ると未来、
こっちから見ると夢、
みたいななんかそんなふうになってる気がして。

だから、それらがしんどいとしたら、
その本体みたいな概念というか何かがしんどいと
思うようになったんだよね。
たぶん、お金を使わなくても、
お金っていう実体を動かさなくても
未来とか計画とか安定とかってものを扱おうとすると
裏側にお金も動いている、
そんなことになるんじゃないかな。

で、そうそう。
けんちゃんってどんな人かなって考えてたんよ。
けんちゃんって、会うたんびに変わるよね。

小林:
(笑)。そう。

大谷:
会うたんびに変わる。
安定しない(笑)。
僕の中で安定しない。

そういう安定とか未来とか夢とかっていうものとそぐわない。
僕から見たけんちゃんは。

だって、ここにいるってさどういうこと?あれ?滋賀に土地買ったんじゃないのかよって。

滋賀に土地買った:今年小林夫妻はログハウスを建てるために滋賀県の北比良に土地を購入。それにもかかわらず、つい最近、それまで住んでいた高槻から逆方向の大阪市内へ引っ越した。

小林:
ほんとだよね。ほんとに自分でもそう思うわ。

大谷:
それがね、面白いなと思って。

小林:それでまたお金稼ぐとか言ってるから。

大谷:
そうそうそう。
あれ、またなんか違うこと言ってるなと思って。

小林:
わざわざこんなとこ来て・・・

大谷:
非常に非効率。
でもその効率っていうものがもう計画とか、でしょ。
同じものなんだよ。

小林:
うん。

大谷:
だからそりゃそう。
そういうのに対して距離を取ろうとすると
非効率にならざるを得ないし、
無計画になるし、
夢は?ってきかれても答えられへん(笑)

小林:
(笑)

大谷:
その上、お金もない、って、
そりゃそうやん。
全部一緒やんって。

小林:
(笑)
なるほど。ほんとだね。

大谷:
っていう存在に見えるよ。

小林:
当たり前の結果が訪れてるだけの話か。
そうだよね。

大谷:
でも困ってないよね。

小林:
困ってることも含めて困ってないね。

大谷:
無人島のおじさんも困ってないのよ。

小林:
うんうん。

大谷:
台風来ても。
台風来て困るのはたぶん残さなきゃいけないものがある人。

【言葉の記録2】小林健司さん 第6回

第6回  構造というか本質的な仕組みは大企業と同じ

大谷:
けんちゃん、最初、
お金を稼ぐことを考えてるって、言ってたけど、
このピラミッドの中にいる人が
「お金を稼ぐことを考えている」って言うのと
違う感じがするなぁと思って。

小林:
そうだね。

大谷:
今までけんちゃんの話を聞いてきてわかったけど、
ぱっと最初の言葉だけ普通に、
僕の固定観念で聞いてしまうと、
このピラミッドの中でスーツ着た人たちの
「お金を稼ぐことを考えてます」っていう言葉と
全く同じ言葉なんだなぁ。

僕ら経済がないとたぶんこういう暮らしはできない。
お米が届くとか。
自分で作ってないお米が届くのは経済だから。
そういうのには乗っかってる気はして、
それはもう否定はできない。
それこそ無人島に行くとかしないと。

小林:
うん。

大谷:
でも、僕は、位置としては
このピラミッドのてっぺんより上にいる感じなんだよね。
この人達が頑張って作ったピラミッドによるインフラの上にいるけど、
ただピラミッドの論理から離れている時間帯があるっていう感じだね。
あと、経済じゃない別のピラミッドもどこかにあって、
そこへ行くとそれによる強固な体系があったりするんだろうなって
思ったりもする。

小林:
そうだね。
この前、話を聞いたんだけど、
100人ぐらいが住んでいる村があって、
そこでは塩と油以外は全部自給自足で賄ってるんだって。
食べ物とか衣食住。
でも月に一人あたり4万ぐらい現金が必要って言ってるから、
それなりにいろいろ買ったりするんだとは思うんだけどね。

大谷:
うん。

小林:
聞くとそこの農業の仕方とか技術とかすごい進んでると。
自然農法とかやってる。
でも話し聞いてくと、いろいろ、
組織の中のいろんなルールがあるわけ。

それはそれでそれがいいと思ってやってるんだったらいいけど、
夜に8時ぐらいから長い時は1時とか2時ぐらいまで、
それこそ円坐みたいな感じで話すんだって、ずっと。
何を話すのっていったら、
その日起こったいろんな出来事に、
どんな意味があったかを話すと。

たとえば車をどっかにぶつけたとかだったら、
それは自分にとってどういう意味があって起こったのかって。

それ聞いて、ものすごくめんどくさいなー、と思って。
その話し合いで1時2時までやられたら、
僕はたまらない・・・

大谷:
それはみんな好きでやってんの?

小林:
まぁ知らないけどね。どうなんだろうね。
でも、たぶん、僕がそこに行っても居れないと思うんだよね。
しかも、入るときに全財産、預けるんだって。預けるというかあげると。
それさ、大企業に入ってんのと変わんないじゃんと思って。
構造というか本質的な仕組みとしては。

そこの村の場合は、先に全部預けて、
その代わり膨大にかかるいろんな生活コストだったり、
そこから生まれる環境への負荷だったりを
限りなく抑えた状態で暮らせますよっていう
安心みたいなものを担保してるわけだよね。

企業の場合は、毎月お金が得られるけど、
自分がその構造に乗っかることで会社が得たお金を
分配してもらってるわけで、
構造として似ている。

大谷:
あぁ、うん。

小林:
環境への負荷とか、貨幣の使用量をどの程度にするか、
という違いはあるけど、事前精算か都度精算かぐらいの話で。
どちらにいるとしても安心を得ているわけで、
そこにいる限りは絶対食いっぱぐれないという。

経済から外れるって言うと例えば自給自足とか、
環境負荷が少ないとか、
そういうエコとかそういうような暮らしとかを想像するけど、
それとは直接的に関係ない気がしてて、
その村にしても、塩と油は買ってるんじゃん。
乗っかってんじゃんって。

大谷:
そうだよね。

小林:
だから、結局、
例えば信仰とかミッションが先にあるのか、
自分とか人が先にあるのかでずいぶん違うよねっていう話をしてて。

信仰が先にあると、NPOのミッションと同じだよね。
そこに全部合わせてくわけ、人が、信仰の方にね。
その教えを守っていくことが先に来るから
その場にいる人がどう感じてるかは無視。
だって信仰が絶対的に正しいから。

じゃなくて、その場にいる人とか僕とか自分の中の全体というか、
いろんな全感覚というのをちゃんと大事にしながら生きたいみたいな部分が、
僕とその組織にいる人との違いだなと思って。

そんなようなことを考える夏だったな。

【言葉の記録2】小林健司さん 第5回

第5回 沖縄の名もない無人島で25年間暮らしてる爺ちゃん 

小林:
この前テレビで、沖縄の名もない無人島で25年間暮らしてる
爺ちゃんみたいなのがいて、
すっぱだかでずっとくらしてんの。

台風とか来てもテントを木にくくりつけて。

大谷:
テントでくらしてんの?

小林:
うん。テントだった。じっと中で耐えてね。
で、また落ち着いたら魚獲ったり、雨水溜めて水作ったり。
それ、なんでやってるかって、テレビのクルーがきいたら、
人間関係がとことん嫌になって、
ここなら誰とも関わらなくて生きていけるからって選んだって。

大谷:
あぁ、うん。

小林:
そこまでいくと完璧にピラミッドから外れてるじゃんか。
でもそこまでやんなきゃだめで。
しかもそこまでやったにもかかわらず、
ある日、その人75歳とかそれぐらいなんだけど、
60歳ぐらいの人が噂を聞きつけて隣の島に来たんだって。
でもう、最初は絶対やめてくれって言って、
人間関係嫌でここに来たのに、
ここで人間関係に悩まされたら最悪だと。

大谷:
せっかく一人なのに。

小林:
で、ずっと拒否してたんだけど、その来た人も食い下がって、
隣の島に住んでるんだよね。
干潮になると島がつながって渡れるぐらいの距離。

大谷:
一応、渡れるんだ。

小林:
でもさあ、面白いなと思って。
なんかテレビで見てる限りはさ、
もともといた25年住んでる爺ちゃんも
まんざらでもない感じなんだよね。

隣に来た人が何もわかってないからさ、
台風の時どうしたんですかって、
その新しく来た人に聞くと、
いやちょっと近くの島で避難してました、
って全然軟弱なの。

大谷:
(笑)

小林:
で、それを報告しに行ったら、お前また逃げたのか、
そんなんだからいつまでたってもダメなんだって怒ってるんだけど、
ちょっと弟子と師匠みたいな感じでさ。
ま、そりゃそうだよなと思って。
人が久々にきて、しかも一緒に自分に憧れているとか、
そりゃうれしいよな。
なんかそんなのを思ったりして、
網野善彦は関係性の中で人間ていうのは生きている生物だから、
そもそも関係性がありきなんだみたいなことを言ってるけど、
ほんとにそうだなと思って。

網野善彦:1928年生まれ。日本史家。
専攻は日本中世史、日本海民史。非農業民や海民など漂泊民のいきいきとした力強い暮らしの様子を膨大な史料を丹念に読み解くことで浮かび上がらせた。著書『無縁・公界・楽』など。

小林:
で、ピラミッドの話でいうと、どんなに外れようと思っても、
そこにまで来るわけよ今。
アフリカの奥地とかアマゾンの奥地の部族ですら、もう無理で、
そのピラミッドと切り離した生活っていうのは、
絶対どっかで影響受けるから、
ピラミッド本体の直接の影響じゃなくても。
そことどう折り合いつけて生きてくかみたいなことが、
重要な、そこ考えないと無理な状況。

それ事実だから、最近はそこにどう触れに行くかとか、
どうやったら自分が傷まずにそのピラミッドの中に入って、
こう体を痛めたり怪我をしなかったりできるのかとか。

大谷:
うんうん。

小林:
前、フェンスワークスで話してた時は、
ピラミッドのことをメインストリーム、
本流に喩えてたんだけど、
下手に手をバンって突っ込むとすごい持ってかれて、
全身ずぶ濡れになる。

恐れてちゃぷんてつけるだけだったら
全然潤わなかったりする。
だから、出来るだけ接触の仕方、技術を身につけて、
ちゃんと自分が潤いたい分だけ潤って離れる。
そういう考え方になってきた感じがあるかな。

大谷:
そうか川の流れか。
けんちゃんも似たようなことを考えるんだな。
でも譬えが違うんだな。

小林:
技術を身につけたからって、
それでもアマゾンで稼げばアマゾンを潤わすっていう事実に
変わりはないっていうか、
そのピラミッドに加担している事実自体は変わらないんだけど、
その構造自体を見た上で
自分がやるかどうかはまた別の話だなと思って。

【言葉の記録2】小林健司さん 第4回

(まるネコ堂ウェブサイトからの再掲)

第4回  家とピラミッド

大谷:
最近僕がよく考えているのが、
僕の家がこのへんにこうあるでしょ。
で、このへんにピラミッドがあってさ、
これ、経済社会っていうピラミッド。
           
家とピラミッド(お金を中心とした経済の社会)。作図:大谷
大谷:
家から歩いて、ててててって、
ピラミッドに入るとお金がもらえるねん。
で、持って帰ってくる。

家ではそんなにお金は使わないから、
ちょっとずつ使って、なくなったらまたピラミッドへ行く。

ピラミッドの中のルールってめっちゃわかりやすくて、
何をすればお金をもらえるかって、すごい明確で、
何をすればピラミッドの頂点へ行けるかも明確で、
下の人がいて、上の人がいて、だんだん上に行くの。

お金をもらえるところって、
こういうピラミッドの中の感じがして、
でも僕は普段は家にいるから、
この経済社会のルールが
適用されていない感じがするなあって。

あ、そろそろお金なくなってきたからピラミッド行くわ、
みたいな。

いったん中に入ると家での生活のルールは全く適用できない。
NPOもピラミッドの中に、僕の中では分類されている。

小林:
完全にそうだと思うね。
活動を始めたのはもしかしたらピラミッドのすぐ横とかね。
ちょっと脇ぐらいなのかもしれないというか、
多くのNPOの場合はそうだと思うんだけどね。

大谷:
取り込まれちゃう。

小林:
なぜ、その脇でスタートしたかって言うと、
そのピラミッドによっていろいろ、
周りの土地が枯れたり水がなくなったりするから、
そういうのを解決しようと思って、
そこでやりはじめるわけでしょ。

でもそれを解決するのにもお金がいるから、
ピラミッドの中に入るのが一番お金得るのは早いよね。
だから、進んでその中に入るんだけど、
よりそれで水が枯れたりする。

加担してくことになるね。

大谷:
ピラミッドの中にいる人は、
ピラミッドの中しか世界がないと思ってるフシがある。
ピラミッドから出ちゃった人は、
もう世の中から外れたように見えている。そう感じてるんじゃないかなと思う。

小林:
そうだとするととんでもなくでかいピラミッドだけどね。

で、ちょっと前までというか、むしろつい最近はか。
加担する感じが僕、どうしても嫌でさ、
持ちたくなかったんだよ。
だから例えば、アマゾンで稼ごうと思ったら、
アマゾンのピラミッドを強化することになるじゃん。
僕が月50万円得ようが、100万円得ようがね。

なんだけど、このへん難しいな。なんていうんだろ。
もうそのピラミッドの広がりスピードたるや、
とんでもないものでさ。

【言葉の記録2】小林健司さん 第3回

第3回  大事とか大切って、ちょっと所有してる感じがある

大谷:
そういう話で言うとよく思うことがあって、
人が資源とか、人材とかそういう言葉って、
いい意味で使われるでしょ。
でも、ちょっと嫌だなと思って。
資源なんだよ、僕、誰かの。
石油みたいな。

都合のいい存在なんやなっていう感じがしてきて。

小林:
言うよね。財産の財、書いて人財とかね。

大谷:
他人なのにね。
「けんちゃんは僕の人財です」って、変だよね。

小林:
ほんとだね。
所有してる感じなのかな。

大谷:
そんな感じがする。

小林:
大事とか大切って、ちょっと所有してる感じ、
あるんだよね。
これは僕の大切な物ですとか、
大事な物ですとか。

丁寧にこれを扱いたいとかっていう場合は、
所有してるものかもしれないけど、
所有しててもちょっと距離感がある。

大谷:
ほんとだね。

小林:
丁寧に関わりたいって言う場合って、
あんまりピッタリ来る英語ってないんだけど、
いろいろずらっと並べていくと、
リスペクトフル(respectful)とか使う場合がある。
敬意を持つ。礼儀正しい様子とかね。
だから余計、丁寧っていうのはしっくりくるなと思って。

大谷:
うん。

小林:
組織、といっても、
僕はNPOでしか勤めたことないけど、
「いったい、だれがこれやりたいねん?」みたいな、
誰もやりたくなくて、
みんな嫌がってる仕事があったりした。

ミッションがこうで、
このためにこういう事業計画があって、
具体的にはこういうタスクがあって、
で、これやる人は?
って言った途端、
「いやいや、どうぞどうぞ」って感じで、
誰もやりたがらない(笑)
なんじゃそりゃって感じだよね。

大谷:
なんじゃそりゃだね。

小林:
だれがこれ、やりたいんだよ!?と思って。
みんな自分がやりたくないっていうのには
触れずに話を進めて、
最後だけビジネス的な考え方にシフトする。
「そんなのモチベーションがどうとか、
やりたいとかやりたくないとかじゃなくて、
やらなきゃいけないことなんだからやるのが仕事だ。
それがプロだ。」って。

でもそれ、ズレてるよね。

大谷:
うん。

小林:
NPOだと特にそのズレがわかりやすい。
企業のほうが、そういう意味では
ズレが出にくいんだと思うね。
あんたお金もらうんだから、
やんなきゃいけないでしょ、
それプロだからって。

給料もらう人も、
お金のためにしてるんだから納得してやってるわけで、
すごい整合性のある話だと思うんだけど、
NPOというか、社会のためにとかミッションを掲げて、
全員がそれに賛同して仕事をしています
っていう組織でそれやると
ちょっとズレてきやすくなると思うんだよね。
プロだからやってるのかな?その人達は。
ミッションに共感するからって
組織の一員として迎えられ、
そのつもりで入って、
でも給料をもらうためには、
嫌だと思っても、違うと思っても、
やるべきことを遂行するためのプロ意識を求められるし、
それを当然だと思って頑張る。

採用する方も、組織に入る人も、
嫌な仕事は嫌、とか何のためにやってるのか分かりません、
ってことが明確に認識できてれば、
そこから話ができていくし、
さっきの企業の話と同じで整合性は高くなる気がするけど、
それすら見ないで単にプロだからって進めていくのは、
僕はちょっと矛盾している感じがあると思うんだけどなあ。

【言葉の記録2】小林健司さん 第2回

第2回  丁寧に生きたい人たちが集まるところだった

大谷:
今、なんて言ったっけ? ちゃんと自分の・・・

小林:
自分のままで生きる。

大谷:
どういうイメージなの?

小林:
これはね、最近フェンスワークスの中でも話してて、
丁寧に生きる、みたいな。
丁寧に生きたい人たちが集まるところだった、
みたいなことを言っていて。

フェンスワークス:目的を持たない生命体的集団。大阪の千代崎に拠点を持つ。円坐やエンカウンターグループなどを数多く開催。代表は田中聡氏。2014年より小林夫妻も所属。

大谷:
フェンスワークスが? 

小林:
フェンスワークスがね。
僕もそうだなぁと思って。
丁寧に生きられないもんね、組織にいたら。
組織が先にあるからね。
自分がそこに合わせないといけないし、
どんだけこれは違うだろ、と思っても、
組織としてそれをやるべきだとなったら、
それしないといけない。

違うという僕をないことにして、やるべきことをしていく、
というのは僕にとってそれは丁寧じゃない気がする。

丁寧って、中国の戦がある時代にね、
敵が来るのを知らせる楽器だったんだって。

大谷:
丁寧っていう? へー

小林:
丁寧っていう。
それが丁寧っていう名前だったから、
よく注意してみるとか、
そういうことを丁寧っていうようになった。
そこから転じて、
大事とか大切なものも今は含まれる
ニュアンスで使ってるんだけど。

で、大切は大きく迫ること。
切迫していること。
もうすごく距離が近くって、
分かちがたい関係にあるものを大切。

なので、自分に近いよね。

大谷:
うんうん。

小林:
考えてみりゃあ、僕が円坐とかミニカンとかやってるのも、
丁寧に聞くとか、丁寧に人といるっていうことを
したいからやってると言ってもそんなにずれた感じはしないし。
僕が丁寧さを捨てなきゃいっしょにいられないような環境とか、
そういう人とは、わざわざ一緒にいようとできなくなってる。

別にその人が丁寧に生きたくなくて、
勝手にしてんのはいいんだけど、僕は違うので。

円坐:人が集まり、ただ円になって座る時間と場のこと。
テーマなく言葉が出てくる。非構成エンカウンターグループとも。

ミニカン:ミニカウンセリングの略。
15分間、話し手の話を聞き手が聞き、それを録音し状況音も含めて逐語録を作成。それをもとに15分間に何が起こっていたのかをレビューする。

【言葉の記録2】小林健司さん 第1回

言葉の記録

人と話をするのが面白い。どこがどう面白いかというのは、その人、その時それぞれだから、ひとくくりにはできない。話、離し、放された言葉が少し景色を変えてみせる。そんな言葉の記録。事と場の記録。

小林けんじさんの「自分では、自分の考えてることを文字にするのが難しいから人に聞いてもらいたい」という言葉から生まれた企画。

September 7, 2014

【011】そばを塩で食べる食べ方

美味しいからといって毎日打ってると
みるみるうちに体重が落ちて危険。
そばは塩で、というとちょっと気取った感じに聞こえるけれど、今回は、そういうことではないような、いや、やっぱりそういうことなのかもしれない話。

うちではちょくちょくそばを打って食べる。これが結構美味しいのだけど、最初はうまく打てなくて、結構苦労した。

そばはとても繊細なというか厳密な料理で、例えばそば粉に対する水の割合がとてもシビア。うちで使っている粉の場合はだいたい43%ぐらいなんだけど、季節によって3%ぐらいは変動する。1%違うだけで、生地の状態が見た目に変わるし、茹で上がった時に誰の目からも明らかなぐらい違ってくる。1%っていうと二人前300グラムの粉に対して3グラム。うちのデジタルのはかりだと最小単位が2グラムだから、ほんとに微妙。それで大きく状態が変わる。

食通というのは一般人では識別できないような微妙な違いを食べ比べる、みたいなイメージがあるけれど、そんな大層な話ではなくて、もう誰が見ても一目瞭然。ヘタすると茹でてるうちにぶつ切れになって、スプーンで掬って食べないといけない。

粉の種類や状態でも加水率は大きく変わる。切り方の太さや湯で時間、茹でる鍋の大きさ、そんなものもいちいち大きく影響するとても厳密な食べ物。

そんなわけで、今でも毎回同じようには打てなくて、いつも違ってしまう。
だから、今日の出来はどうだろうかと最初の一口は自然とつゆを付けずに食べてみて、工程上、何が影響してこうなったかを考えることになる。何も付けないのが美味しいからするわけではなく、単純に今日はどうだったかを知りたくて、それが一番良くわかるからなんだけど、時々すごく香りがよく出来ていたりすると、もう少しこの香りを味わいたいと思うことがある。そういう時につけづゆは香りが強すぎるから塩で、ということになる。

基本的にそばはつけづゆで食べるのが一番美味しいと思う。
塩で食べるのはあくまでも「いい香りでうまく打てたそばをもうちょっとその香りを楽しみながらそこそこ美味しく食べたい」から。

で、塩で食べようとすると、ここで問題が発生。
そばを塩で食べるうまい方法がわからない。

平たい小皿に塩を乗せて、そこに箸ですくい上げたそばの先を下ろして、ちょっと塩が付く感じにして、それを口元に持って行ってすするんだけど、まず、適当な量の塩が適当な場所につかない。多すぎたり少なすぎたり、先すぎたりする。次にすするときに、うまくすすれない。つゆが付いてないから摩擦が大きすぎて、もぐもぐと食べることになる。何より、箸からそばがだらんと垂れた状態での移動量が大きすぎて食べにくい。

盛ったそばの上から先に塩をふりかけてしまえば塩の量や移動距離は解決できるかもしれないけど、そうすると全部を塩で食べないといけなくなるし、すするときの問題は解決されない。

どうやればそばを塩でうまく食べられるんだろう。
どうやればいい香りでうまく打てたそばをもうちょっとだけその香りを楽しみながらそこそこ美味しく食べられるんだろう。

September 2, 2014

【言葉の記録1】梅田純平さん 第6回

第6回 死ぬことがダメだと決めたのは誰なのか。何なのか

梅田:平安時代ってようよう読んでいくと、源氏物語しかりやけど基本的に男色や。男の人達はみんな男を抱くんですよ。知ってた? 大名は必ず家臣に自分の男をつける。多分色々理由があると思う。妊娠せえへんとか単純に男が好きとか。実際のところ分からへんよ。でも単純にそのときは男も女もあんまり関係なくって性的な対象として見れるものとしていた。互いに。っていうのがある。江戸時代も実際そんな感じやねん。調べていくとね。

その後、男尊女卑みたいな考え方であったり、男が女を好きで当たり前、男性が性的興奮を覚える対象が女性。女性は男性っていうものが色濃く作られたんはやっぱり西洋文化が入ってきてからの傾向が強くって。その辺深く調べると面白いと思うねんけど、たぶんね明治とかやと思うわ。

今度だからそれを森林浴(劇団)の作演の子と話しようと思うねんけど。なんか性というものをもっとリアルに表現できんもんかなと。性的志向ってホンマにむちゃくちゃあるんよ。わけのわからんもん好きやったりすんねん。人を殺して観察するのもいわゆる性的志向やねんけど。極端な例やけど。

そもそも男女間ってものを疑いだした時にどっかですり替えられたものが僕らのなかでありそうで。

例えば、死ぬってことに対しても、誰が不幸と決めてるのか。死ぬことがダメだと決めたのは誰なのか。何なのか。僕は例えば個人的には死にたくないと思って。それは小学校3、4年生位の時になぜか急に死ぬのが怖くなった、であまりにしんどさが重すぎて下に落ちていく感覚、ジェットコースターで落ちてくる感覚とか。上から岩が降ってくる。落ちてくる。落ちてきてないねんけどな、見えてた。落ちてくるっていうのがあって。そのときものすごく死が怖いものだと思った。

でも死んでしまうことがしんどいことなのか幸せなことなのか善きことか悪いことか判断できないな。でも死は怖いものだ。人も殺したくもないし、できれば自分も死にたくなと自分は思っているけれど。

大谷:わからへんね。

梅田:わからへん。わからへんけど、それ、永遠のテーマなのかもしれないね。今は死にたくないと思ってるけど死のうかなと受け入れる瞬間があるのかもしれない。今は、個人的にも自殺するってのは厳しく言えば逃げやと思ってしまうねん。それでも生きていかなきゃいけないんだと思ってたりする。どんな状況に追い込まれても自殺するっていうほどの価値はない。その価値観ってものがどこでどう作られてて、世間一般ってものと同じになってるのはなんでやろかってのはわからないけど。

大谷:僕ら、生きている人による死に対する感覚とか考え方しか知らへん。死んでしまった人が死に対してどう思ってるかわからへんから、半分しか見えてない。紙の表側しか、どうやっても見えない構造やんか。だから本当は不公平な気がするね。誰も知らないという前提で僕らは死を話をしてしまうから、生きててよかったねって結論しか出えへんのかもしれへん。

梅田:そっか、そやね。疑いを持つ。いい意味でね。いつからそうなったんやろうとか。なんで自分はそういう考え方になったんでしょうかみたいなものは考えたほうがいいよね。答えなくても。考え続けるというか。そんな重く苦しく考えなさいというものではなく。どっかで思ってなきゃいけなかったり、忘れちゃいけなかったりするもので、重たくないんやで。でも片隅で考え続けなきゃいけないと思う。
(終)

September 1, 2014

【言葉の記録1】梅田純平さん 第5回

第5回 作った人にほんまよかったですって話を延々として

梅田:演劇、年間200本くらい観てるねんけど。そのうちほんとにいいって言えるものて3本くらい。今年観た中ではまだ1本くらいちゃうか。「とりかへばや物語※」、あれが一番おもしろかった。

大谷:おもしろかったね。(DVDで観た)

梅田:あれは想像を超える役者の力。で、ストーリーとの兼ね合わせ、観せ方が非常におもしろかった。

ふすまをへだてて役者が全員座ってる状態で。基本は舞台を中心に話は進行していく。男と女を取り替えました。で、取り替えた後どう戻ったんですかっていうのが後半戦の話。話としてまず面白い。僕の中では面白い。

それを表現するなかで、役者がふすまを隔てた向こうに座ってて。それが登場したり登場しなかったり。二人で引いていったと思ったら男同士がチュウチュウしてたりとかが表現されてたりとか。ようわからん遠山の金さんみたいなんがでてきたりとか。

昔は実は女性落語が中心やったんですよ、それがいつのまにか男性が中心になってしまった現代ですっていう。そこはつくりもので勝手に脚本書いた人が組み替えたものやけど、でもそっからこう女が表現することであったりとか。男が表現することだったりとか男と女って何が違うのみたいなのを非常に巧みに描いた作品で。それを役者がちゃんとわかって全員がわかってやっている。

僕はいいものを見るといつも鳥肌が立つんやけど。久しぶりに鳥肌がたった。あれ2時間位あんねやん。2時間座布団の上で座って聞いてるわけですよ。むっちゃ辛い姿勢。でももう興奮しきって面白くって足痺れてんの忘れるくらい。本番終わったあとめっちゃ興奮したまま、東京の劇団さんで全然知らへんのに、作った人にほんまよかったですって話を延々として。

大谷:男が落語なんかできるわけがないでしょうっていう、あの取り付く島のなさみたいなのが、すごいなと思った。

梅田:リアルやったね。「男なんてこんなもんで。こんなもんで。こんなもんで。こんなもんで。こんなことできるわけがなじゃないの」っていう。ケンケンケンケン男は言ってって、言う。あの女優さんすっごい上手かった。身長も低いんやけど。すっごい上手かった。

大谷:自分が知っている事実とは逆のこと。でも、それが当たり前でしょって感じを出すのがすごい。誰も知らんはずやのに。

梅田:そうそうそうそうそう。