September 17, 2014

【言葉の記録2】小林健司さん 第9回

第9回 同じ対象に向けて描写した事柄だというのは明確にわかる

小林:
ピラミッドと川みたいなものでさ、
僕が川だと思ってたものをピラミッドだよねそれは、って
大谷さんが言ってくれるのが
すごく僕にとっては豊かになる感じがあって。
僕の結婚式の時も、
「そのままのけんちゃんとなっちゃんがいる。
みんなもそのまま、普段のままいた」って、
大谷さんが言って、
あぁ俺やりたかったのそれだ!みたいに思った。        

大谷:
うん。そう見えた。

結婚式の時:2014年5月に赤松氏の北比良のログハウスにて行われた小林夫妻の結婚報告会にて、橋本久仁彦氏ら「坐・フェンス」による縁坐舞台(即興芸能)が行われた。文中の発言は、その時の大谷の発言「普段通り。けんちゃんは緊張しているし、なっちゃんはとてもきれいな格好をしているけど、普段通りのけんちゃんとなっちゃんで、ここにいる人全員がそうなんだと思う」から。

小林:
なんちゅうのかな。
描写だから、ストーリーとは似ているようで違うと思うけど、
違う角度から光を当てている、まぁよく言う喩えだけどさ。
ちょっと僕にとってそれが立体的に捉えられるようになる感じ。

さっきの僕のこと言ってくれたのもそうで、
原因と結果が結びついてない、とかね。

そのそういうピラミッドみたいなものから距離をとって、
生きようとしてるんだから、
当然そういうものと縁遠くなるというのは、
わかりきったことだっていうのは、
言われてみると
そんなに明らかなことはないっていうぐらい明らか。
僕の中にも、手応えとしてはあるけど、
それをまだこう立体的にはみたことがないというか、
まだ紙に書いてみたものが
ちょっと3Dみたいに浮き上がってくるみたいなさ、
なんかそんな感じがあって、
面白いなぁって感じていたね。

大谷:
面白いね。
僕、哲学書とかを読むのが好きなんだけど、
哲学者が
「これはこういうことだ。
これがデカルトの言うなんとかで、
フーコーの言うなんとかである」
みたいな、すごいことをスパって言い切る。
あれ、かっこいいなと思って(笑)

小林:
(笑)

大谷:
「それは、けんちゃんでいうところで本流である」ってさ、
それがそれだって言えるって、なんだろう。
それぞれにその要素を足してって
わかってるわけじゃないじゃん。

なんだかわかんないものを僕はピラミッドに喩えたら、
なんとなく自分の中でスッキリ行くなっていうのと、
けんちゃんが川で喩えたのがすっきりいくなっていうのが、
それがイコールであるっていう感じが、わかる。

それなんかすごいなと思って。

小林:
実体としては無いわけだからね。
そういう川とかピラミッドっていうのは。
けれど同じ対象に向けて描写した事柄であるというのは、
明確にわかる。

大谷:
わかるよね。
そんなことばっかり話してたら、
そりゃ楽しいだろうって思うよ。
けんちゃんとは考えている対象が似てるんだけど、
たどる道が違う感じがある。
でもおんなじものを見てる感じがある。

けんちゃんは変化してるしそれが予測はできないんだけれども、
支離滅裂な感じになっているというふうには感じないから、
どうやって僕は、
けんちゃんをけんちゃんだと認識してるんだろうね。

別人だと思ってもおかしくないぐらいだけど、
間違いなく同一人物だと思ってる。

小林:
大学のホントに親しいやつ、
そいつに言わしても、
僕の状況がこんだけいろいろ変わってってるけど、
「ほんまにお前けんじやなぁ」って毎回言われるんだけど、
ちょっと毎回新鮮で、ちょっとそれによってほっとする部分もある。

大谷:
あぁ、それわかる。そんな感じもする。

小林:
それがほっとするっていうのもまた面白いもので、
なんら安定も何もしないけど自分で居れたということに対して、
ほっとしてるっていうか。

だからといって、そいつに、
お前らしくねぇなとか言われるのが嫌だとか、
そう言われないために頑張ってるつもりも
さらさらないんだけど。


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