自分の中で形にならないと思っているものは、 光量不足でブレて写っているだけなのかもしれない。 |
小林 なんか大谷さんの、ないの? 聞いてみたいこととか、関心とか。
大谷 (けんちゃんが)普段考えている、ずっと考えてしまうようなことが、
聞けたらいいかな。
小林 ふーん。なるほど。 大谷さんなりに僕にいろいろ関心持ったりとか、
こんな話面白そうとかは、あったとしてもそれじゃなくてね。
へー、すごいアプローチだね(笑)
この後、「そう?」と僕は気の抜けたような応答をしている。
この時は、このアプローチがどう「すごい」のか感じ取れなかった。本当にただ、けんちゃんが今何を考えているか聞いてみたいと思ったからだ。
取材の常識で言えば、こんなインタビュアは失格だ。なんの準備もしないで「なんでもいいので今考えてること聞かせてください」なんて言いながらレコーダーを回しだしたら、その場で叩きだされてもおかしくない。
用意周到に対象者に関する情報、最近の著作や発言を頭に入れて、ありそうな話の流れを予め読んでおいて、質問を準備する。それがインタビューの「イロハ」である。そういう点では、僕は友人という関係性に乗っかって、無茶で失礼なやり方をしているのかもしれない。
しかし、ここでけんちゃんの言う「すごいアプローチ」は、そういった「質問をするはずの人」側のマナーや常識についてではない。
僕は、この時以来、ずっとこの対話のことを考えている。
けんちゃんの話したことは、本来は僕の中にはないものだった。けんちゃんと僕とは、全く別々に存在していた。それにもかかわらず、けんちゃんの中にあったことが、僕の中にあったことに重なり、その2方向の照射から、それぞれの中に再びそれぞれの方向と強度を持った新たな視界が生まれた。その視界がまた何かを見えるようにしてくれる。
そういうことを引き起こすアプローチだから「すごい」のだ。
目的を持たない非構成の場を数多く経験してきたけんちゃんだからこそ、それを感じ取れたのだと思う。
10月24日にけんちゃんと2回目をやります。今度は公開収録をしてみます。
fence works「コトバのキロク 公開収録」
そういうことを引き起こすアプローチだから「すごい」のだ。
目的を持たない非構成の場を数多く経験してきたけんちゃんだからこそ、それを感じ取れたのだと思う。
10月24日にけんちゃんと2回目をやります。今度は公開収録をしてみます。
fence works「コトバのキロク 公開収録」