第6回 死ぬことがダメだと決めたのは誰なのか。何なのか
その後、男尊女卑みたいな考え方であったり、男が女を好きで当たり前、男性が性的興奮を覚える対象が女性。女性は男性っていうものが色濃く作られたんはやっぱり西洋文化が入ってきてからの傾向が強くって。その辺深く調べると面白いと思うねんけど、たぶんね明治とかやと思うわ。
今度だからそれを森林浴(劇団)の作演の子と話しようと思うねんけど。なんか性というものをもっとリアルに表現できんもんかなと。性的志向ってホンマにむちゃくちゃあるんよ。わけのわからんもん好きやったりすんねん。人を殺して観察するのもいわゆる性的志向やねんけど。極端な例やけど。
そもそも男女間ってものを疑いだした時にどっかですり替えられたものが僕らのなかでありそうで。
例えば、死ぬってことに対しても、誰が不幸と決めてるのか。死ぬことがダメだと決めたのは誰なのか。何なのか。僕は例えば個人的には死にたくないと思って。それは小学校3、4年生位の時になぜか急に死ぬのが怖くなった、であまりにしんどさが重すぎて下に落ちていく感覚、ジェットコースターで落ちてくる感覚とか。上から岩が降ってくる。落ちてくる。落ちてきてないねんけどな、見えてた。落ちてくるっていうのがあって。そのときものすごく死が怖いものだと思った。
でも死んでしまうことがしんどいことなのか幸せなことなのか善きことか悪いことか判断できないな。でも死は怖いものだ。人も殺したくもないし、できれば自分も死にたくなと自分は思っているけれど。
大谷:わからへんね。
梅田:わからへん。わからへんけど、それ、永遠のテーマなのかもしれないね。今は死にたくないと思ってるけど死のうかなと受け入れる瞬間があるのかもしれない。今は、個人的にも自殺するってのは厳しく言えば逃げやと思ってしまうねん。それでも生きていかなきゃいけないんだと思ってたりする。どんな状況に追い込まれても自殺するっていうほどの価値はない。その価値観ってものがどこでどう作られてて、世間一般ってものと同じになってるのはなんでやろかってのはわからないけど。
大谷:僕ら、生きている人による死に対する感覚とか考え方しか知らへん。死んでしまった人が死に対してどう思ってるかわからへんから、半分しか見えてない。紙の表側しか、どうやっても見えない構造やんか。だから本当は不公平な気がするね。誰も知らないという前提で僕らは死を話をしてしまうから、生きててよかったねって結論しか出えへんのかもしれへん。
梅田:そっか、そやね。疑いを持つ。いい意味でね。いつからそうなったんやろうとか。なんで自分はそういう考え方になったんでしょうかみたいなものは考えたほうがいいよね。答えなくても。考え続けるというか。そんな重く苦しく考えなさいというものではなく。どっかで思ってなきゃいけなかったり、忘れちゃいけなかったりするもので、重たくないんやで。でも片隅で考え続けなきゃいけないと思う。
(終)