July 29, 2015

【209】「書生」生活1日目その3。

苦手な夏を楽しむための思いつき、
僕の勝手なイメージの中の「書生」生活をやってみます。
「書生」が本当は何を意味するかはまだ調べていませんが・・・

■目次
思いついた時のエントリー
【200】「書生」をやってみる。

やってみてからのエントリー
【207】「書生」生活1日目。
【208】「書生」生活1日目その2。

===
本を読む。ネットをする。昼寝をする。この3つへの欲求が順繰りにやってきて、その都度、最適な場所を探すハメになる。冷静に考えると探す必要はなくて、3つともできるみやこめっせのロビーに一日いればいいのだけど、僕はなぜか、本を読むなら一番いいのはどこかとか、ネットをするならどんな体勢がいいかとか、昼寝するときは万が一でも警備員かだれかに途中で起こされはしないかとか、そういうことを考えないでは居られない。みやこめっせのロビー、京都府立図書館の1階と地下1階、国立近代美術館の1階ロビーの外向きに椅子が並んでいるところをうろうろと2から3周はする。
結局どれも中途半端になって、一体僕は何をやっているのだろうという気になる。家にいれば、その全てが文句なく叶うはずなのに、どうしてこんなところまで来て真夏の空気の中を盛大にうろつきまわっているのだろう。

でも、家ではやらない。いや、家で本も読むし、ネットもするし、昼寝もする。でも、そのことが全てになるような意味においてはやらないし、やれない。そういうことを知っているから、わざわざめんどくさくて、うんざりするような不確定と不便を求めてここまできたのだ。もう僕に残る希望というのはこんな、時間や金をドブに捨てるようなろくでもなさにしかない。と、気分がささくれる。

時々意識を失うような眠気を我慢して、ともかく本を読むことにする。そして、そうそう、その前に書生を調べた。もうここまでくれば、書生が何であろうと何でなかろうと、僕の行動に大きな影響を及ぼす要素では無い気がしていて、今はさっさと調べてしまいたくなって調べた。

書生
1 学生。2他人の家に寄宿して、家事を手伝いつつ勉強する学生。[スーパー大辞林]

そんなところだろうとは思っていたよ。

京都府立図書館にともかく落ち着くことにして、三浦つとむの『日本語はどういう言語か』をノートを取りながら読む。モンタアジュ論に言語道具説をバッタバッタと薙ぎ払い、「一切の語」を真っ二つに袈裟斬りに「話し手が対象を概念としてとらえて表現した語」である「客体的表現」と「話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを、客体として扱うことなく直接に表現した語」である「主体的表現」にすっぱり分けてしまう第一部「言語とはどういうものか」。圧巻。 

本書で三浦の「主体的表現」と出会った吉本隆明は、解説で「はっとするほど、蒙をひらいたことを、今でも鮮やかに思いだすことができる」と書く。ここから吉本は主著『言語にとって美とはなにか』に進み、三浦の客体的表現と主体的表現は「指示表出」と「自己表出」へと展開していくことになる。

午後6時まで、眠気で何度も意識が途切れたけれど、そのたびに何かに呼び戻されるようにして読む。明日は第二部「日本語はどういう言語か」を読む。そういえば途中、激しい雨が降っていた。物干し台の洗濯物や開けっ放しの窓が気になったけれど、図書館の空調は快適で豪雨がまるでスクリーンの中の世界のように臨場感がなく、だいたい帰ろうにも傘も持っていないから、雨の中を帰ったら服が濡れて、干している甚兵が仮に救い出せたとしても濡れた服の量はトントンなので、戻る気には全くならなかった。

7時前に部屋に戻ってきてみると、洗濯物は若干湿っていた程度、開けていた窓は風向きが良かったのか被害はなかった。晩御飯を買いに行く気になるぐらいにはお腹が減ってきている。

次へ


Share: