そう見えてるのかどうかはわからないけれど、澪とよく喧嘩をする。
喧嘩をしながら、いったいなにが起こっているかというようなことを考えている。
そして、最近、明らかになってきていることとして、
僕にとって喧嘩をしていて困るのは、
憎しみの連鎖というか、
とにかく憎いということのみがやりとりされるような状況になって、
そうすると、もう文字通りその縁を切ってしまいたくなる。
憎しみという縁は縁の中でもものすごく強力な縁だと思う。
この状況になるともう僕はどうしようもなくなる。
で、その他には、と思って、はたと気がついたのだけど、
それ以外のことについては僕は喧嘩してもたいして困っていない。
何か次の用事が決まっていて、
喧嘩をしているとそれに間に合わなくなるとか、
そういうことがあれば喧嘩で困るのかもしれないけれど、
最近は、そういう困り方もしない。
喧嘩というのは、
喧嘩をしている者同士の見解の相違、
意見の対立によって生じているのだけど、
僕はその見解の相違や意見の対立そのものには
たいして困っていない。
どちらかと言うと、
お互いに分かり合える、
ということに対しての方に疑問がある。
分かり合えない、
ということの方が広大な世界が広がっていて、
そっちの方が面白いし、
なにか希望を感じる。
わざわざ他人と一緒にいる理由なんて、
分かり合えなさを持ち寄るぐらいしか
意味はない気もしてくる。
とすると、喧嘩は
憎しみというもののもつ強烈な力だけが
取り扱い注意なだけであって、
それ以外はそんなに気にする必要もないと思える。
喧嘩はだから僕にとっては、
自分の好きな食べ物を買って持ち寄って披露してみんなで食べる
「持ち寄り食会」みたいなものなのだ。