July 31, 2015

【212】「書生」生活3日目。

苦手な夏を楽しむための思いつき、
僕の勝手なイメージの中の「書生」生活をやってみます。

■目次
思いついた時のエントリー
【200】「書生」をやってみる。

やってみてからのエントリー
【207】「書生」生活1日目。
【208】「書生」生活1日目その2。
【209】「書生」生活1日目その3。
【210】「書生」生活2日目。

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5分ほど待ち合わせの時間から遅れて到着するともう、むっきーは待っていて、11時の三条大橋まで歩いたので暑くて、直ちに向かいのスターバックスへと入った。久しぶりのコーヒーを飲みながら、地下へと降りると、鴨川を見渡せる大きなガラスの前で、ゆったりとした椅子が並んで空いていて、エアコンでキンキンに冷えている。それほど混んでいるわけではなく、ここに一日中居るのが一番良いのではないか。話すともなく話があって、この河原のガラスで囲まれた避難所がスターバックスの目指す所であって、つまり区切られた管理された快適なリーズナブルなお値段の無縁所というのがサードプレイスなのだ。

むっきーというのは僕の友達でトリックスターである。教師をしていて、休みの日も次の授業の準備をしなければならないような一学期を過ごして今ようやく夏休みに入ったからこうして会うことができるけれど、今の僕の生活とは遠い世界にいるのだけど、それでもこうして会っているうちにいつの間にかそばに居て会うのは久しぶりだけれど、こいつといるといつも何かが起こる。

もう一度三条通をわたって中華屋に入り定食を食べる。大学を作るのがいいとか文学部だとか話している。そろそろ出ようかという段になって、どこへ行こうかと言う前に、東山の部屋はどうですかというので、この時間にあの部屋は人間が居られる限度を超えているような気がしたけれど、行ってみる?と言うと行きましょう。

意外にも穏やかに風が入ってきていて部屋に居ることができる。いつも居る6畳の部屋よりも隣の2畳のキッチンの方が涼しくて、そこで焼酎を飲む。常温でストレートでちびちびやっているうちに不思議と風を感じるようになってくる。風がより強く吹いてきたというより、僅かな風を体が感じ取れるようになってきたというようなそういう心地よさで、肌と空気の境目がなくなって、肌が無くなっているから体の芯のところの骨や肉を直接冷やしながら微風が僕たちを吹き抜けていく。

手ぬぐいを濡らして体を拭くとより涼しいと教えるとむっきーはそれをする。かなりの量の焼酎が確実に二人の体内に入っていくのだけど、ちっとも酔わず、アルコールが体内で気化するその気化熱で体が冷えてくる。という馬鹿げて科学的な気分がしてくる。真夏の午後の京都のエアコンも扇風機も換気扇も無い部屋で焼酎が体内で気化して心地よくて自分と自分以外との境目がなくなっていて骨と肉を直接風が通り抜けていって快適、なんてことを二人で言い合うのは明らかに異常で、客観的に見ればこれはなにかとてもまずいことが起こっていると床に寝そべりながら確認しあう。

今こそ、以前どこかでむっきーが聞きつけてきたスイカウォッカを試す時である。イオンにスイカとウォッカを買いに行く。本当はまるごとのスイカに丸く穴を開けて、そこにウォッカの瓶を差し込んでウォッカがスイカに浸透するのを12時間ぐらいかけて待ってから果肉にむしゃぶりつくと何よりも気持ちよく飛べる。という話なのだけど、まるごとのスイカを買って帰る勇気がなくて、六分の一にカットされたスイカを買ってきて、ナイフで少し身に切り込みを入れてそこにウォッカを注いでみる。うまくいっているのかうまくいっていないのかわからないけれど、いつの間にかウォッカがスイカから漏れだしていてお盆にウォッカの水たまりができている。やはりまるごとじゃないと。

焼酎だとあんなに涼しかったのになぜかウォッカは体が暑くなって、それはそうだ寒い国の酒だから体があたたまるのであって、さっきの焼酎は鹿児島だ。さっきはあんなに気持ちよかったのに今は暑いしスイカはたしかに美味しいけれど、ウォッカの味がするスイカなだけで、飛ぶどころか滑走路にもたどり着けない。暑いから二人して上半身裸になってうちわで凌ぐ。せめて扇風機があったらいいのに。

開けっ放しにしていたドアのところから男の声がして、ぎょっとして慌てて服を着て出て行くと、隣の隣の部屋の住人が小さな扇風機を持っていて、これあげますよ。今ちょうど欲しいと思ってたんですよ、と盛り上がると、昼間っから飲んでるんですかと言って、男は部屋に入ってくる。ウォッカの瓶を見るなり、スミノフいい酒ですね。

どぶどぶとコップに酒を注いで3人で飲む。西日が差してきていてさらに気温は上昇しているのに、話は弾んで転がっていく。行きつけの良い店があるので行きましょう行きましょう。今どきツケで飲めるのです。今日は給料日で、その店で受け取ることになっているのです。というので、三条通の居酒屋へ行く。途中の神社の境内で、ここ掃除するんですよというので、仕事ですかときくと、仕事じゃないけど落ち葉が落ちるのでその時期になると掃除するのです。古ぼけた小さな舞台があって、使われている形跡がないけれど、からりと枯れた風情がある。

居酒屋は男の行きつけで、ジョッキが空くたびに男が自分でサーバーからビールを注いで来ては、ねぎ焼きと唐揚げと何かと色々美味しい。しこたまビールを飲んで、あの神社の舞台で講壇とか何かしようという話をして、次の店に行きましょう。ここは払いますから次でというので、ついていくとこれまた三条通の、僕一人ならまず入ることのない、入ることのできない、隠れ家のようなバーで、巨大な特注のスピーカーからレコードのジャズがかかっている。CDを持ってくると嫌な顔をされるんですよ。入る前から僕は場違いなところへきたと怯えていると、何気ない仕草から一瞬でその魅力に取り憑かれてしまう着物姿のおかみさんが迎えてくれる。洋酒がズラリとならんだ棚とレコードがズラリとならんだ棚に品の良さそうな客が数組音楽と酒と料理と会話を楽しんでいる。マスターはテレビ局でニュースのカメラマンをやっていたという飾り気のないぶっきらぼーな人でこちらも一瞬で人を魅了する。

むっきーは全く物怖じせずにいい店ですねと言って、携帯電話で仕事終わりのパートナーを呼ぶ。はじめて会うむっきーのパートナーを、むっきーが可愛いでしょと紹介する。スイカが好きだというむっきーのパートナーとスイカはドラマ3つ挙げろと言われたら入ると意気投合する。スイカに出てくる中庭に何かを埋めたいらしい。スイカというのはテレビドラマで、ウォッカをぶっかけたまま部屋に放置してきたあのスイカを思いだすが、そういう話ではないとても素敵なドラマで全ての登場人物がもう狂おしく愛おしい。

僕はね、キーワードはinteresting、としきりに男は言う。人生はinteresting。生きているとinteresting。驚くような多彩な過去をinterestingに話しつづける。ジャズ好き。

気が付くと信じられないぐらい時間が経っていて、恥をかかすなという男が結局この店の払いもしてしまう。むっきーとパートナーは二人のマンションへ、僕と隣の隣の部屋のinterestingな男はそれぞれの部屋へ戻る。今日という一日は、不思議とか面白いとか興味深いとか幻想的だとかそういうたぐいの言葉では表しきれず、ただinteresting。

携帯電話を部屋に忘れて出かけていて、ぱーちゃんから夕方頃不在着信があったのに気づいたら夜中過ぎだった。悔しい。もらったクリップ式の小型扇風機をどうしてもうまく取り付ける場所がなくて、床に転がったまま回っている。

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July 30, 2015

【211】「書生」生活2日目その2。

苦手な夏を楽しむための思いつき、
僕の勝手なイメージの中の「書生」生活をやってみます。

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思いついた時のエントリー
【200】「書生」をやってみる。

やってみてからのエントリー
【207】「書生」生活1日目。
【208】「書生」生活1日目その2。
【209】「書生」生活1日目その3。
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三浦つとむは、

「小説の作者は、空想の世界を想像することで観念的な分裂をしなければなりませんし、この分裂した自分はその世界に登場する人物につぎつぎと自分を変えて、それらの人間として考えたり語ったりしなければなりません」

と書いていてさらに、これが

「たいへんな重労働で、この重い精神労働が続くとしまいには耐えられなくなります」

と書いていて、これは、

「文章を読むのは大変なんだよ。皆、文章っていうのは簡単に読めると思っているんだけどしゃべったり、受け身で音楽を聞き流すことよりもずっと大変なんです。人間が脳で一時期に使える注意力の容量には限界があって、文章を読むというのは、それをかなり使うんだろうと思う」 [『この日々を歌い交わす』佐々木中]

と佐々木中との対談で保坂和志が言っている。同じ佐々木中との対談で、

「私は子猫の動くのを見ていると、いつもハ虫類みたいだ。」

という『生きる歓び』の中の一文を出してきて、

「この文章、変だって言われるのね。「いつもハ虫類を思い出す」とか「連想する」にしろと直しが入る。最近思うんですけど、こう書いていても、そういう風に直せたっていうことは、通じているわけですよね? つまり、読者はここで楽しようとしてるわけですよ。」

というところは他でも読んだ気がするけど、いつも楽しい。三浦つとむが「時の表現と現実の時間とのくいちがいの問題」という節で、例えば、宇宙は永遠に存在する。明朝行きます。といったような現在形の使い方について、ジェリコオの『エプソムの競馬』という馬の絵についてロダンが

「これは観る者がこの絵を後ろから前へと眺めてゆきながら、同時にまず後脚が全般的飛躍を生ずる努力を完了し、次いでその体がのび、さらに前脚が遠く前方の地面を求めるのを眺める、そこから生じているのです。」

として

「私はジェリコオこそ写真を圧倒しているのだと信じています」

と断定するところがゾクゾクする。直しを入れたり、「写真の乾板は決してこのような表現を示さない」と言ったりしないで、読んだり観たりできる。

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【210】「書生」生活2日目。

苦手な夏を楽しむための思いつき、
僕の勝手なイメージの中の「書生」生活をやってみます。

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思いついた時のエントリー
【200】「書生」をやってみる。

やってみてからのエントリー
【207】「書生」生活1日目。
【208】「書生」生活1日目その2。
【209】「書生」生活1日目その3。

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すでに、濡らした手ぬぐいで体を拭くのも着ていた服を流しで押し洗いするのも日課レベルにまでこなれてきている。物干し台にシャツとズボンを干して出る。みやこめっせは開いていて、どうやら8時半前ぐらいには入れる。ただしエアコンはまだあまり効いていなくて、でも快適さは外の比ではない。

メールとブログの更新をする。うれしいメールが来ていて、うれしいという返信をする。メールはうれしいものだったというのをメールを使い始めた頃の感覚で思いだす。

どこにどれぐらい居て何をすれば一日が過ぎていくのか、朝から夕方ぐらいまでは構築し直すことができてきていて、ためらわず京都府立図書館に向かう。すると、昨日は開いていたのに今日はまだ開いていない。図書館の扉の前に列ができていた。同じことを繰り返すと、何でもだいたいスムーズになっていって時間が短縮される。そうしてこういう事が起きる。仕方なく列に並ぶと程なく扉が開いた。

本を読み、時々線を引いて書き写す。眠気がやってきて、読んでいたところをさかのぼり、また読んで、また眠気がやってくる。トイレに立って戻ってくる。しばらくして、ふと机の上に小さな紙切れが乗っているのを見つける。置き引きが多発しています。持ち物を放置しないようお願いします。誰が置いたのかと思って、おそらく警備員だ。警備員は警備している。目を光らせている。もしもそのような現場を発見したら直ちに処置するのだ。それが警備員なのだ。もしも、かばんを置いたまま席を立っている現場を発見したら直ちに紙切れを置くのだ。

もちろん現代の事務員も現代のメールも、もともと対象としていたものから引き剥がされ、その対象の未然的現場への作用に戦線を拡大している。膨らみきった戦場で兵士は疲労し、補給は途絶えている。

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July 29, 2015

【209】「書生」生活1日目その3。

苦手な夏を楽しむための思いつき、
僕の勝手なイメージの中の「書生」生活をやってみます。
「書生」が本当は何を意味するかはまだ調べていませんが・・・

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思いついた時のエントリー
【200】「書生」をやってみる。

やってみてからのエントリー
【207】「書生」生活1日目。
【208】「書生」生活1日目その2。

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本を読む。ネットをする。昼寝をする。この3つへの欲求が順繰りにやってきて、その都度、最適な場所を探すハメになる。冷静に考えると探す必要はなくて、3つともできるみやこめっせのロビーに一日いればいいのだけど、僕はなぜか、本を読むなら一番いいのはどこかとか、ネットをするならどんな体勢がいいかとか、昼寝するときは万が一でも警備員かだれかに途中で起こされはしないかとか、そういうことを考えないでは居られない。みやこめっせのロビー、京都府立図書館の1階と地下1階、国立近代美術館の1階ロビーの外向きに椅子が並んでいるところをうろうろと2から3周はする。
結局どれも中途半端になって、一体僕は何をやっているのだろうという気になる。家にいれば、その全てが文句なく叶うはずなのに、どうしてこんなところまで来て真夏の空気の中を盛大にうろつきまわっているのだろう。

でも、家ではやらない。いや、家で本も読むし、ネットもするし、昼寝もする。でも、そのことが全てになるような意味においてはやらないし、やれない。そういうことを知っているから、わざわざめんどくさくて、うんざりするような不確定と不便を求めてここまできたのだ。もう僕に残る希望というのはこんな、時間や金をドブに捨てるようなろくでもなさにしかない。と、気分がささくれる。

時々意識を失うような眠気を我慢して、ともかく本を読むことにする。そして、そうそう、その前に書生を調べた。もうここまでくれば、書生が何であろうと何でなかろうと、僕の行動に大きな影響を及ぼす要素では無い気がしていて、今はさっさと調べてしまいたくなって調べた。

書生
1 学生。2他人の家に寄宿して、家事を手伝いつつ勉強する学生。[スーパー大辞林]

そんなところだろうとは思っていたよ。

京都府立図書館にともかく落ち着くことにして、三浦つとむの『日本語はどういう言語か』をノートを取りながら読む。モンタアジュ論に言語道具説をバッタバッタと薙ぎ払い、「一切の語」を真っ二つに袈裟斬りに「話し手が対象を概念としてとらえて表現した語」である「客体的表現」と「話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを、客体として扱うことなく直接に表現した語」である「主体的表現」にすっぱり分けてしまう第一部「言語とはどういうものか」。圧巻。 

本書で三浦の「主体的表現」と出会った吉本隆明は、解説で「はっとするほど、蒙をひらいたことを、今でも鮮やかに思いだすことができる」と書く。ここから吉本は主著『言語にとって美とはなにか』に進み、三浦の客体的表現と主体的表現は「指示表出」と「自己表出」へと展開していくことになる。

午後6時まで、眠気で何度も意識が途切れたけれど、そのたびに何かに呼び戻されるようにして読む。明日は第二部「日本語はどういう言語か」を読む。そういえば途中、激しい雨が降っていた。物干し台の洗濯物や開けっ放しの窓が気になったけれど、図書館の空調は快適で豪雨がまるでスクリーンの中の世界のように臨場感がなく、だいたい帰ろうにも傘も持っていないから、雨の中を帰ったら服が濡れて、干している甚兵が仮に救い出せたとしても濡れた服の量はトントンなので、戻る気には全くならなかった。

7時前に部屋に戻ってきてみると、洗濯物は若干湿っていた程度、開けていた窓は風向きが良かったのか被害はなかった。晩御飯を買いに行く気になるぐらいにはお腹が減ってきている。

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【208】「書生」生活1日目その2。

苦手な夏を楽しむための思いつき、
僕の勝手なイメージの中の「書生」生活をやってみます。 
「書生」が本当は何を意味するかはまだ調べていません。

■目次
思いついた時のエントリー

やってみてからのエントリー

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みやこめっせのすぐとなりには京都府立図書館に入るとすぐ右手にウォータークーラーがあってよく冷えた水を飲む。これも無料。何気なく張り紙を見ていたらサービス一覧に「インターネット閲覧」というのがある。これでメールチェックができてブログが更新できれば、重たいmacbookairを持ち歩かなくてもすむ。早速2階に上がると端末が並んでいた。また張り紙があって、利用するにはカウンターへ申し出るようにあって、カウンターの女性に貸し出しカードを渡すと、レシートをくれた。それを持って適当な端末の前に座ると、慌てたようにカウンターの女性がやってきて初めてご利用ですかというので、そうですというと利用方法を説明するといって、A4の紙を渡してくれて、レシートの番号を指さして、この番号のお席をお使いください。1回1時間、1日3回。

利用時間と利用回数は張り紙にも書いてあってので特に気にならないけれど、なぜか座席が決められているのが窮屈に思えて、この辺りから怪しくなって来ていたのだけど、席に座って渡された紙を読むとブラウザの閲覧に制限が掛けてあってメールなどは使えないというところを読んだところで、もうだめだろう。一応試してみると、gmailは接続できません。

さっきまではあまりの都合の良さに驚いていたのだけど、今は、とたんに都合の悪さに驚いていて、これぐらい何とかならんかと思わせられる。良いと悪いが綺麗に対称を描いているこの現象はだから、同じ根っこから生えている。自分の外にあるものはそれが自分にとって都合が良いか悪いかというよりは、誰かの意志が入っているか居ないかで安心度が変わるということで、どんなに都合が良くても僕ではない誰かの意志のもとにそれがなされているのであれば、どこか不安だし、どんなに都合が悪くても誰の意志も関わっていないのであれば、どこか安心する。みやこめっせのエアコンと無料のインターネットは、みやこめっせという意志がもたらす僕にとっての不安がベースにある都合の良さで、図書館のインターネット閲覧の利用制限は、図書館という意志がもたらす僕にとっての不安がベースにある都合の悪さである。不安の上にある驚きのもつ独特の危うい怪しさが僕の居心地を悪くさせる。

お腹が減ってきたのでイオンへ行きおにぎりと焼きそばパンを買う。202円。スーパーのエアコンはどこよりも強力で長時間の滞在を許さない。

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July 28, 2015

【207】「書生」生活1日目。苦手な夏を楽しむための思いつき企画。

僕の勝手なイメージの中の「書生」生活をやってみます。
「書生」が本当は何を意味するかはまだ調べていません。

思いついた時のエントリー
【200】「書生」をやってみる。

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1日目。
正確には昨夜の10時頃に東山の和室に到着したから二日目なのだけど、まぁ1日目とカウント。7月28日。

昨夜、部屋に着くと、思っていた以上に蒸し暑い空気が溜まっていて、最初からもうこれは無理かもしれないと思う。エアコンも扇風機も換気扇すら無い部屋で止まっている空気を動かすには人力しか無い。外も無風。部屋にあった古着屋のうちわを仰ぎながら、少しでも空気を入れ替えようと部屋の奥側の西の窓を開けて、逆側、廊下側の台所の小さな窓も開けてみる。蚊取り線香をつける。寝袋を出して畳に敷いて薄いクッション代わりにする。

以前買っておいておいたラム酒の小瓶と、おそらくは澪たちが先日泊まった時に飲み残した焼酎を見つける。少しだけラム酒を飲むというか舐めるが、湿度が高くて酒を飲む気にもなれない。とにかく寝る。

朝、目が覚めるとセミが高い音圧でサラウンド。とはいえセミの声で起きたわけではなく、気温が上がって寝苦しくなったからだと思う。高温多湿、加えて高圧。8時。いつもよりかなり早めの目覚め。すでに暑い。手ぬぐいを水に濡らして体を拭いてみるととても気持ちが良いとわかる。朝、手ぬぐいで体を拭くのが日課になりそうで、少しうれしい。こんなに過酷な目に合うのだから、一つでも良い習慣を身につけて帰りたいものだなどと、普段は全く考えないことを考える。

昨日着てきた甚兵の上下を流しで押し洗いしてみる。絞るのが大変で、洗濯機をあまり使わないけんちゃんが、でも脱水機は欲しいと言っていたのを思い出す。部屋の中のカーテンレールに引っ掛けて干そうかと思ったけど、結局、共同の物干し台に干しておくことにする。廊下の先のトイレの横にある物干し台は一応屋根がついているので、雨が降っても直ちに濡れるということもなさそう。

一刻も早く部屋から出ないとぐんぐん気温が上がっていく、という強迫観念にかられて、リュックに本やパソコンなどを突っ込んで脱出する。西側の窓は開けっ放しにして、廊下側の窓も少し開けておいて、昼間高温になった空気が夜早く抜けているように祈る。

部屋を出て玄関を出てみやこめっせを目指す。みやこめっせの前まで来ると、こんなに早い時間では開いていないかもと不安になって携帯電話の時計を見たら8時45分。ここで閉めだされるのはきついと何故か焦る。恐る恐る自動ドアの前のマットを踏むとドアが開く。さらにその奥にももう一枚ドアがあって、そのマットを踏むとドアが開く。すでにエアコンが効いている。ホッとして、本当は何時に開くのか確かめておかないといけない。

ロビーでパソコンを開き、メールチェックとブログ更新。エアコンによる快適な温度と湿度、その上さらに無料で使えるインターネット、この世にこんなに都合のいい場所があるとはにわかに信じがたい。

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July 27, 2015

【206】無能の神。

全能の神がいるなら、無能の神がいてもいいだろう。

無能の神は無能だからできることが無い。できることが無いのだけれど、神だから全てを観ている。観てるだけ。無能の神は全てを観て全てを知りながら何も出来無い。

そう考えるてくると、そもそも全能の神は一体何ができるというんだろう。奇跡を起こすというのならなぜ、四六時中奇跡を起こし続けないんだろう。

一神教的世界から自然崇拝をみた時に、それが無能の神と見えるのかもしれない。何もかもが起こっていることを知っていながら、何も出来無い無能の神。

無神論と言い切れるほど僕は神を嫌っていないし、人の力を過大評価する気もないので、無能の神が今のところ僕の宗教なのかもしれない。

July 26, 2015

【205】『七人の侍』の中の闘い。

何度か観ている黒澤明の『七人の侍』をまた観ている。

何度観てもしっかり感情を揺り動かされるのはもちろん、観るたびに新たなディティールを発見して、さすがクロサワだなぁと思わされる。

今回は特に、村人たちがいかに「和」を優先するかが際立って感じ取れた。娘の髪を切って男に見せかけるといった一人の村人の行動が「村を壊す」とされ、野武士の略奪よりもそちらを重大視する様子は、まさに「日本的」だと思う。同時にその村人たちは、床板の下に落ち武者から奪った武具を隠し持ち、菊千代いわく「米や酒も出てくる」ぐらいずる賢い。このあたり、じわりとした重厚的な現実感がある。

一方で、これは本当にそうなのかと思う部分もある。

野武士の集団は、前年にも収穫時期を狙って略奪している。しかし、いかに武装した野武士とは言え、暴力的に略奪するには大きなリスクを伴うはずで、事実村人は落ち武者狩りができる程度には武装している。単に荒っぽいだけの野武士の集団がそもそも集団を維持し続けられるのかも疑問である。網野善彦的な無縁の視界から見れば、本当のところはもう少し違うのではないか。

野武士の集団は、最初こそ武力を見せつけた略奪を行ったかもしれないが、ある程度農人を怯えさせてしまえば、あとは「乱暴されたくなければ米を出せ」と脅すだけで良いはずだ。野武士も食べていく必要があるのだから、農作物を作る農人を殺してしまうことは自分たちの利益にはならない。できれば定期的に安定した食料を確保できたほうがいいのだから村人たちが飢えない程度に継続的な要求をしたかもしれない。

さらには「もし他の山賊や何かが襲撃してきたら俺達が守ってやる」といった契約を交わし、自分たちの食料供給源としての村を保護し、いわゆる「シマ」としたのではないか。そうやって自分たちの力を温存することで支配地域を増やして行き、やがては「シマの中で揉め事が起こった時は、間に入って話をつけてやる」といった調停役もやっただろう。

野武士の集団は「悪党」なのだけど、この場合の「悪」とは、国家の権力の外において、武力・警察力、司法・調停、税の徴収などを勝手にやるという意味で「国家の権力とその支配下にある社会からみた不都合」という意味での「悪」である。単なる乱暴者の集団というよりは、僕はこういった見方のほうがリアリティを感じる。

そういうわけで『七人の侍』がどういう映画かと言われたら、一つの見方として、農人と侍という有縁の農本主義的で主従関係的支配の中のプレイヤーと、野武士の集団(悪党)という無縁の重商主義的で統治権的支配の中のプレイヤーとの闘いを、後者にネガティブな脚色を加えた上での、前者から観た景色であるといえるのではないか。



July 24, 2015

【204】日本語ができなくなってくる。

言葉というもの、日本語というもの、そういうことを考えれば考えるほど、僕は会話ができなくなってくる。人の話が聞けなくなってくるし、自分が言っていることが人に伝わっている感じがしなくなる。

もちろん、ちゃんと聞くことができて、僕の言っていることも伝わっていると感じる人もいて、そういう人との会話は、なんでこんなことまで見えるのだろうという気がするのだけど、なんでこんなことすら見えないんだろうという気がする人との乖離は大きくなるばかりなのだ。

言葉というものが伝わるのは本当に奇跡的なことに思えてきているから、きっとそういうことになるのだろうけれど、でも、どうしても僕には言葉が伝わるというのが奇跡的なことに思えてしょうがない。

だから余計に言葉への興味が湧いてきてしまって、余計に言葉について考えてしまう。

昔買った三浦つとむの『日本語とはどういう言語か』をふと手にとって見た。10年ほど前に人から勧められて買ってみたものの読み通せなかったのだけど、今なら読める気がする。

こうしてまた言葉とか日本語とかができなくなってくる。


July 20, 2015

【203】単なる怒り(いかり)。

手加減を全くしないで物を投げて砕け散る。

完全に自分の自由になる、
反論することも逃げることもないものを
一方的に破壊する。

人が怒りの中にあるときは、
人が怒っているというよりは、
怒りというものが人の形をとっている。

単なる怒り。
誰が怒っているのかは無く、
何に怒っているかも無い。
ただ怒りがある。

そういう出来事としての怒りに僕はほとんどなることが無い。
ほとんどというのは言葉の綾で、
本当は思い出そうとしても思い出せないぐらい、
怒りは僕にとって、
部分でしか無くあり続け、
要素でしか無くあり続けてきた。

常に複層的に重なっている僕というものの一層でしかなく、
それがどれほど強かろうと、
何層かのうちの一層か二層か。
数種類の鳥と数十種類の草と数百種類の虫と、
が一目で見渡せてしまう庭のように何層にもなっている僕の。

だから、ただの怒りという出来事に出会って僕は戸惑い、
僕自身がそうなること、
キャンバス全てを一色で塗りつぶしてしまうようなことには、
強く嫌悪と警戒を覚える。
その上でなぜか羨ましい。

単なる怒りとしてしか引き受けきれない何かがあるのだと見える。
引き受けるというのは全てをである。
一神教の神のように。

July 16, 2015

【202】281 時間の本当にフリーなフリーキャンプ in まるネコ堂

洗濯物がよく乾く夏。
今年は夏らしいことをしよう。
とどこかでそんなことを思っているようで、
いつもなら何もやる気にならないこの時期にちょっと企んでいます。
フリーキャンプの案内文、こちらにも掲載しておきます。

===
281 時間の本当にフリーなフリーキャンプ in まるネコ堂
玄関から工房を見て。

「なんか、こんなことやりたいなぁ」
「面白そう。やろう」
「で、いつにする?」
「えーと、週末は結構埋まってて・・・」
こういうやりとりが最近多い。

やりたいことや面白そうなことをやるためのやり方として、
以前はいろいろと踏んでいた手続きのようなものは、
最近ではほとんど不要になっていった。
やりたいと思ったことは、
ほとんど実行できるようになった。
しかし、それにもかかわらず、
どうしても残ってしまうやりとりがある。
それが、日程の調整と確定。


僕の言っていることは、 馬鹿げているという自覚はある。
その上で打ち明けるのだけど、
僕はこの「日程の調整と確定」をした途端、
最初に漠然と思い描いた 「なんか、こんな」「面白そう」が、
ざっくりと削り取られる感覚に陥る。
全てではないけれど、 何かが失われる気がしてしまう。

僕は「なんか、こんな、面白そうなこと」を、
それをやりたいと思う人といっしょに、
日程など決めずにやっちゃいたい。
何をやりたいのかもよくわからず、
いつやるのかも決めずに、
それでも、 それをやりたい。
突然訪れる瞬間として、 それをやりたい。
そんなことができたらもう、
これ以上ない幸せだと思う。

そんなことを友人のぱーちゃんと澪と話していて、
フリーキャンプというのに思い当たった。

座布団。
今のところ、一番近いのはこれだと思う。
そして、通常のフリーキャンプ以上にフリーの度合いを増やしてしまうことにする。
これで何が起こるのか、
あるいは何も起こらないのか、
そもそも誰も来ないのか。

1 予め決めているプログラムはありません。参加者がミーティングなどで決めていきます。
2 途中参加、途中退出、中抜け OK。
 (たとえば、8 月 15 日と 16 日だけ参加なども OK。日帰りも OK。)
3 毎日の定期ミーティングと参加者の途中参加、途中退出時点のミーティングを実施します。

鶏の燻製。
予想される事態として、
・ずっと一人で本を読んでいます。絵を描いています。
・今日は仕事行ってきます。まるネコ堂への帰りは 20 時です。
・明日から 2 泊で韓国旅行に行ってきます。
・それなら、私も旅行一緒に行きます。
・今日、外出しますが帰りが遅くなったら泊まってくるかもしれません。

今まで、やりたいと思っていたのにもう一歩思いきれなかったことを、
フリーキャンプとして少し 浮き上がった時間の上でこの際だからやってみる。

僕たちは仕事をする上で、
たとえば月曜日から金曜日を働いて、
土日は休みだとしたら、
月曜日から金曜日までの時間という空間は、
地面から天空まで続く鋼鉄の壁によって切り取られ、
土日の時間という空間と厳然と分けられてしまう。

前の土日と次の土日は、
平日という鋼鉄の壁によってはばまれて連続性を失っている。
平日という鋼鉄の壁の中にいる間は、
なにか、こんな、面白そうなことができる時間はなく、
ただただ、金曜日の夜、
ゲートが開くのを待っている。

開いたゲートの向こうには、
二日間という空間が広がっている。
しかし、その先には再び鋼鉄の壁。
日曜日の夜に開くゲートをくぐらざるをえない。

そんな鋼鉄の壁を飛び越えていくような時間のあり方はないだろうか。
時間の連続性を取り戻し、
雇われて働くような拘束性の高い時間帯も、
大きな連続した時間という空間の中の
せいぜい、ビルディングぐらいにする方法はないだろうか。

スリッパ。
そのビルに入っていたとしても、
屋上の上には、
生まれてから死ぬまで続く、
連続した時間が広がっている。

そういう連続した時間の中で、
改めて仕事という時間を考えられないだろうか。
鋼鉄の壁で区切られていない広々とした空間の中で
働き、休み、なにか、こんな、面白そうなことが
できないものだろうか。

長々と書いてきたけれど、
何も起こらないかもしれません。
昼寝用の座布団はたくさんあります。

案内文: 大谷隆
写真:小林健司、まるネコ堂

一応申し込み方法などはこちらにありますが、
思い立ってふらりとやってきていただけるのも歓迎です。

July 15, 2015

【201】僕の原爆。(2)

【158】僕の原爆。」の続き。

8月6日に広島へ行くことを決めたのだけど、それ以降、その準備のようなことはしていなかった。それがつい先週、ようやく、その気になって、交通手段などを調べだした。そろそろ必要な予約類をとっておかないと行けなくなってしまうのではないかという不安が出てきたからだ。

式典は朝8時からだが、一般席は7時過ぎには満席になるらしい。今は特段、席に座りたいという気持ちはないけれど、その場に行けば座りたくなるかもしれない。6時半に開場だから、それぐらいの時間に行けばいい。

時間的には、まず夜行バスが思い当たる。お金は乏しいので、なるべく安い方がいい。一方で時間は潤沢にある。調べてみると夜行よりも昼間のバスの方が安かった。その差額、約2000円で、格安の宿があるかどうかを調べて見ると、あるにはあったが8月5日から7日は、僕の要件を満たす部屋は満室だった。ネットの予約カレンダーは、だいたいその後少しあいて、お盆休み期間にまた満室の「☓」マークが続く。つまり、原爆の日の前後、広島は宿泊客が特別多いということになる。僕も含めてダークツーリズム客が増えるのかもしれない。あるいは各種イベントへの参加者か。

原爆ドームの古ぼけた白黒写真を僕が初めて見たのは、たぶん小学校の社会科の授業だったと思う。教科書に出てくるこの出来事の象徴的なビジュアルとして、京都府宇治市の小学校で教室にいた僕以外の子どもは、おそらく一様にぞっとするような不気味さや悲惨さをその写真から感じていたと思う。でも僕は違った。広島が僕の父親と祖母の出身地であって、僕とつながりのあるその場所が、こうして教科書にも載っている世界的な大事件の現場であることに、少なからず、今となってはもう「誇り」としか言いようのない、高揚した気分を感じていた。この「誇り」は、今でも僕の中に残っていて、原爆ドームの写真を見るたびに子供の頃の感覚が蘇って、懐かしさと親しみとを感じる。

東浩紀らの『福島第一原発観光地化計画』で僕はチェルノブイリ原子力発電所の見学ツアーがあることを知ったのだけど、その記念撮影ポイントから見えるあの構造物、コンクリートで箱詰めされ、左右の上辺の角が斜めに落ちた文字通り棺桶のようなあの姿に、懐かしさや親しみを感じる人達がいるかもしれない。

宿の予約が取れなそうだとわかると途端に僕はやる気を失った。見てみると高速バスの残席も1や2となっていて、すぐにでも決めないとという気にさせられ、それがさらにやる気を失わせる。僕が僕の原爆に会いに行くのと同じように、同じ日程で広島へ行く人が多いということ自体にどこか興ざめするような気持ちが湧いて来て、それは子供の頃からのあの「誇り」に由来する独占欲のようなものかもしれない。

とは言え、行くということは決めていて、その事自体を撤回するところまでは、僕の気持ちも消えてしまわず、結局、青春18切符を使うことにした。5日の日中に移動して、夜はネットカフェででも休めばいい。翌日、式典に出て、その後、気が済んだら、また6時間半かけて電車で帰ってくればいい。こうして予約を排除する旅程に落ち着いた。

決めてしまうと現金なもので、気が楽になって、式典は8時から始まって45分で終わるから、その後、もう少し広島にいようという気になった。以前から気になっていた父と祖母の家の跡に行ってみるのもいい。僕が幼児のころに祖母と父と母は、宇治の家を建て、その時広島の家は売却されている。売却されているが、本籍地としてはそのまま残してあって、父母を始め僕と僕の弟、妹、全員の本籍地はその広島の家であり続けた。その後、僕は結婚し籍から抜けた。

そんな僕自身の本籍地でもあったその住所を、しかし僕はもうすっかり忘れてしまっている。母に電話をすればすぐに分かるのだけど(母は有効期限が切れた昔の免許証を「便利だから」という理由で持っていて、最近の免許証では本籍という欄はもうないけれど、母の免許証にはその欄があり、つまり母親の本籍は今でも広島だ)、母に電話をする気になれなくて、考えた挙句、実家の父の部屋を物色することにした。

実家は、うちの斜め隣にあって、歩いて20秒ほど。最近の母は、秋田の自分の実家に帰っていることが多くて、時々この家にも戻ってくる。今は居ない時期で、つまり秋田にいる。僕は家に上がると父の書斎の電気をつけて、その手の書類か何かのある可能性が一番高そうな、書斎の奥の机の引き出しを開ける。案の定、広島市中区役所の破れかけた封筒が見つかる。そのなかには何枚かの紙切れが入っていて、たとえばパスポートのコピーなどがある。パスポートには詳細な本籍地住所は載っていない。父は学者らしくこの手の書類をきちんと残している。やがて苦もなく目的のものが見つかる。

戸籍謄本。父は何かの時に取り寄せたのを残しておいたのだろう。広島市長の署名が入っている。父の父、つまり僕にとっては祖父にあたる人が筆頭である。祖父にあたる人、と書いたのは、この人は僕が生まれる前になくなっていて、僕自身は会ったことがないからで、母方の祖父にあたる人も、僕が生まれるずっと前に死んでいて、つまり僕には祖父にあたる人がいない。

戸籍の住所を見ると、広島市中区大手町の5丁目とあった。2丁目か3丁目だと思っていたのは記憶違いだったようだ。謄本の他にも、被爆者健康手帳のコピーがあったので、それを家に持ち帰ってコピーした。手帳によると、父は「満1歳」の時「広島市己斐町」で爆心地から「3.0キロメートル」の場所で被爆している。法第一条による区分は「第1号」。その他の欄、「被爆直後の行動」「被爆当時の外傷・熱傷の状況」「被爆当時の急性症状」「過去の健康状態とかかった主な傷病名および時期」は空欄だった。

グーグルマップで調べてみると、広島市己斐町というのは今の西広島駅周辺らしく、西広島駅自体、以前は己斐駅という名で、1969年に改称されている。以前聞いた母の言葉からすると、祖母と父はこの己斐駅(西広島駅)で被爆したのだろう。それがわかると、ずっとやり残していた仕事がひとつ終わった気分になった。一方、自宅の住所の方は簡単には判明しなかった。戸籍の住所の番地が今の番地とは異なっていて、マップに表示されない。

薄暗く、死んだ当時のまま片付けもほとんど終わっていない父の書斎で、タイプライターらしき文字に手書きで書き加えられた古めかしいその謄本が見つかった時から、僕はすでにちょっとした興奮状態にあって、ここまで来たのだから、どうにかしてその住所に行ってみたいという気がし始めていた。そのために、その家に父や祖母と一緒に住んでいた父の妹、つまり叔母に当時の家の話を聞くつもりになっていた。

叔母は今、奈良に居る。この間、美味しい奈良漬けをもらった。叔母の夫、つまり僕の従兄弟の父親も僕の父親と同じで、去年なくなっている。こちらの一周忌には来てもらったのに、あちらの一周忌は行けなかったので、お線香を上げにもいきたい。叔母の電話番号を探したけど見つからず、結局、さっきかけるのをやめた母に電話をかけて、叔母の番号を聞いた。一瞬、戸惑ったような反応をしたが、母は特に理由も聞かずに教えてくれた。

あとは叔母に電話して、できれば直接会って、広島の家のことを聞けばいい。地図を持って行って印をつけてもらってもいい。いずれにせよ、これで多分、必要な情報は揃った。そう思うととたんにお腹が減っていることに気がついた。

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July 13, 2015

【200】「書生」をやってみる。

「書生」がなんなのかはよくは知らない。

今のところ調べない。ただ、昔読んだ有名な小説に出てきていたといううっすらとした記憶がある。その小説が誰の何という小説だったかもよく覚えていない。僕の「書生」は、特段何かをしているというわけではなく、本を読んだり考え事をしたり友人と話をしたりして過ごしている人ぐらいの意味で、そういう人について僕はぼんやり羨ましい。憧れている。

東山の和室にいると、考え事をしている時間の密度が上がる。近所に京都府立図書館があって、そこで本も読める。時々友人がやってきて話ができればもうそれで僕の中では「書生」である。なにか「書き物」なんかもやるのかもしれない。

考えてみれば、今も毎日、だいたいそんな日々を送っているのだけど、夏の暑さがどうにもならないので、そういうことをもう少しだけ純度を上げて試してみる。こういうことにはっきりとしたことは言えないのだけれど、7月の最後の週あたり、東山の和室でそんなふうに過ごしてみようと思っている。誰か、ふらっとやってきてくれて、あてもなく話ができたりしたらうれしい。

July 8, 2015

【199】竹の箸。

時々竹を削ったりしたくなる。
我が家、というか「まるネコ堂」という名前をつけた場所を訪れる人が以前よりも増えてきている。講読ゼミや円坐、あるいは、特に何かの時というわけでもなく、人が訪れる。それはとてもうれしいことで、僕もうれしい。

そういうふうに人が増えてくると、これまでだったら足りていたものが足りないということも出てくる。先日、庭でホルモンを焼いた時に、竹の箸が足りなかった。足りないというのはその時に困ることではあるけれど、足りなくなるほど使われているというのはとても心地よくて、それなら作ろうという気になる。

昨日までは涼しい雨だったけれど、今日は蒸し暑い雨で、梅雨前線の南側に入り込んだ。前線の南側は夏であり、僕の勝手なイメージの「アジア」である。

雨粒が落ちる音を聞きながら、まとわりつくような湿気の中、竹を斬り、割り、削っていく。庭先に座って、ナイフと竹の棒を動かす。しばらく同じような動作を続けていると、意識がなくなる状態に近づいてくる。ナイフの刃を滑る竹を見続けていて、竹の状態を常に観測しながら、竹を握った手の握る強さや動かす方向、力をかけていく角度を微調整し続ける。頭の機能がそれにすべて費やされていって、現実を現実と認識する機能に頭の資源が回らなくなっていく。現実が現実でなくなっていく。視界が極端に狭くなっていて、ここは「アジア」だなぁと思えてくる。行ったこともないのに勝手に想像する「アジア」。ベトナムやフィリピンやカンボジアやマレーシア。

指が疲れてきて、手を休め、体を起こすと視線が合う。ベトナムやフィリピンやカンボジアやマレーシアといったアジアの国のどこかで、同じ雨と湿度の中、竹を削っている男が、顔を上げてニヤリと小さく笑っている。嫌な感じの笑いではなくて、いつもの仲間に頬の筋肉だけで挨拶するような笑い方。僕もニヤリと目を細めてやる。

その男によると、どうやら仲間は僕らだけではなくて、他にも今、ちょうど一緒に竹を削っている。ベトナムやフィリピンやカンボジアやマレーシアといったアジアの国のどこかに彼らはいて、今、視線が合うとニヤリと笑い合う。同じ雨の中でそれぞれの道具とそれぞれの服装とそれぞれの流儀にしたがって竹を削っている。

僕はまた、視線を落として手元の竹を動かす。小気味よく竹が削れて、くるりと丸い削りかすが足元に一つ、一つ、と増えていく。なるべく慣れた手つきで、手際よく、焦りを見せず、つまりは、これはいつもやっていることで僕はそれを意識しなくてもとても上手にできるのだということを彼らに見せつけてやる。見えなくても気配で、彼らもそれぞれの独特の体の使い方で美しく竹を削っていくのを見せつけてくる。

竹の表面を触って確かめながら、指の力を加減する。ただ竹を手で削っただけという野卑な見た目を演出しながらも、しかし同時に、手に持った瞬間に意外な軽さを感じ、箸先のコントロールもしやすい。そんな箸を目指して、何度も右手で箸を持つように竹を持って確かめ、削りこんでいく。仕上げに近づくと、動作は小さく繊細になる。表面の手触りでざらつきを探して、そこに細かくナイフを当てて、表面を整えていく。置いてある箸を手にとり、何かを摘んでみてまた置く一連の動作に満足していると、

「お前のそういうところ、日本人だよなぁ」

彼らの一人が言い、みんながそれにつられて笑っている。気が付くと雨が上がっていて、見知らぬ仲間たちはもう姿を消している。風が少し吹く。

【198】〈写真〉。写されたものの記録と写したものの記憶。

昔の写真の整理をしている。
残すべきか残さなくてもいいか、そういう視点で写真を整理していく。
ピンぼけだったり、スローシャッターで大きくぶれていたり、暗すぎたり、明るすぎたりする写真は、残さなくてもいいものに分類していく。

その作業もしかし、数千の単位の枚数になると、やがてあやふやになっていく。
作業によって、写されたもの〈被写体〉は増え続け、
一つひとつの〈被写体〉の意味は薄れていく。
同じものがたくさん写され、その価値は低下していく。

一瞬を切り取るのが写真であるが、
〈被写体〉の「その」一瞬が膨大に膨れ上がっていく。

そしてやがて、積み重なった〈被写体〉から意識が逆向きに写し出されていく。
〈被写体〉からの視線が現れてくる。
〈撮影者〉の姿が見えてくる。

すると写真は一気に違ったものへと変化する。

ピンぼけだったり、スローシャッターで大きくぶれていたり、暗すぎたり、明るすぎたりする写真は、その瞬間、確かに〈撮影者〉がそちらを見て、シャッターを切った。

〈被写体〉によって成立している写真は、〈被写体〉が良く写っていることがその要素である。それと同じぐらい〈撮影者〉が良く写っている写真が見えてくる。

なぜ〈撮影者〉はその瞬間、カメラ〈を〉、そちら〈を〉、向け、シャッター〈を〉、切ったのか。

積み重なった〈撮影者〉の行為が写しだされていく。

写真が、〈被写体〉の〈記録〉であると同時に、写したもの〈撮影者〉の〈記憶〉である。

昔の写真を整理している。
今、〈記録〉と〈記憶〉が同時に現れてくる。

July 6, 2015

【197】直面している「それ」。

目の前、眼鏡のレンズよりも顔に近いところあたりに「それ」がある。「それ」は顔の前にいつもある。鉄板のようなものであればその存在に気づくだろうけれど、「それ」は一見透明に見える。ガラスのようなものか、細いワイヤーのようなものか、フェンスや網のようなものか、煙や霧のようなものか、しかしあまりに近すぎて、「それ」をはっきりと見ることができない。見ることができないから無いと思って、「それ」よりももっと遠くにあるものを見たり触ったり動かしたりしている。でも「それ」は常に目の前にあってその存在から逃れることができない。あまりに近いので焦点をあわせるのすら難しい。

文字通り僕たちは「それ」に直面している。直面しようとする意志の有無を確認することは難しいので「直面させられている」と言ったほうが正確かもしれない。「それ」を通してしか僕たちは何も見ることができていない。「それ」の存在は確実に僕たちの行動や感覚に影響を及ぼしていて、「それ」はいつも、外へ向かう視線や行為を妨げたり、外から来る視線や行為を遮ったりしている。

その「それ」がある瞬間、不意に見えることがある。見えると言っても、そこに何かがあるといったような淡い見え方なのだけど、その瞬間は、「それ」がある以上、その向こうにあることをいくら見ようとしても、いくらさわろうとしても、意味なんて無いのだと思える、そんなときがある。

「それ」が見えるという稀なことが起きて、さらに見えた「それ」がどんなふうだったかを何らかの方法で表すことができた時、その表出がなぜか他者に対して、他者自身の「それ」の存在や、他者自身が見た「それ」の描写を呼び起こすことがある。直面している「それ」を見ることができるのは、「それ」に直面している人だけであり、他者が直面している「それ」を見ることはできない。にも関わらず、自分が直面している「それ」についての表出が他者の直面している「それ」と通じることがある。

その、それぞれの直面している/させられている「それ」の描写と「それ」への行為の集合体が「現代文学」とか「現代美術」とかいう時の「現代」である。「それ」はあまりに近く、あまりに高解像度なので、その描写が客観的な意味をなすか、なさないかという段階を簡単に超えてしまうが、その個々の表出の集合としての「現代」は、直前から引き剥がされて、対象として遠ざかる。遠ざかった「それ」の集合体としての「現代」が、再び人にそれぞれの「それ」の存在を思い出させて、呼び起こす。

「それ」は邪魔なものであり、頼もしいものである。諦めであり、望みである。「それ」は自分にだけ直面している。誰もが自分の「それ」に直面している。「それ」の描写や「それ」への行為の方法はそれぞれである。その方法をわずかずつでも見出していくことにしびれるような快感がある。

July 4, 2015

【196】感情的な人と「無縁」の人。

「感情的な人だ」とか「論理的な人だ」とかいう言い方があって、だいたい前者と後者は反対に位置しているとされる。僕はよく「論理的な人」に分類されるのだけど、自分では論理的だとは思っていない。ただ、僕が考えていたり話していたり書いていたりすることは非論理的だけど、それをどうにか伝えようとする際に「せめて論理的に見えるようにしておこう」とは思っている。

それに、感情的の反対が論理的というのにそもそも無理があって、感情的な人の反対に位置するのは、たぶん「無縁」の人だと思う。

感情というのは、人間が社会を持つことに関係していて、さらにそれが「縁」というものにも関わっていると思う。

では、無縁は非感情あるいは無感情かというと、そうでもあるのだけど、でもちょっと違っていて、無縁は「感情というものを扱える」ということだと思う。感情の中にいる人に対して、感情を外に置く人と言ってもいいかもしれない。実際に、そういう目で見ると、無縁の人とされる人々は、人間の社会おいて大きな感情の隆起や陥没を伴う事柄に携わり、それを扱っている。葬送、芸能などなど。

これについては、最近教わったことがある。「無表情」の代名詞とも言える能面をかぶり、微妙な体の運びから見ている人に喜怒哀楽を沸き立たせる能の演者は、演者自身の感情をなくし「カタ」となる必要がある。その空っぽの「カタ」に、見ている人が感情が入るのだという。感情を扱うためには無感情になる必要がある。そしてもちろん能は無縁である。

感情の中でも力が強く安定しているのが憎しみで、愛よりもはるかに「両想い」になりやすい。愛が山だったら憎しみは谷で、丸いボールを山の上に固定するのは難しいけど、転げ落ちたボールは谷底で静止する。憎しみは感情の中で最も強固なものといってもいいかもしれない。

だから、この憎しみという強力な感情に対して「無縁」という立場の持つ意味はきっと重大なのだけど、

と、自分で書いてきて困ってきているのだけど、なんでこれを書き始めたかというと、昨日のエントリーで国家間の紛争についても触れて、でもそれについてはまったく放置してしまった感じがしていて、それに対して何らかの糸口になるかと思って考え始めたのが上記のようなことで、つまり「無縁」が現代においても世界平和につながる有力な何かだと言いたかったけれど、今はここまでしか辿りつけない。

July 3, 2015

【195】憎しみという縁と敵味方のきらいなき「平和」。

昨日の続き。

「憎しみというもののもつ強烈な力だけが取り扱い注意」と書いたけれど、これは国家間の紛争を見ていてもそう思う。もともと資源の略奪というきっかけがあったとしても、それ以降、終わることがない解決の糸口すら見えない状況というのは、純粋に「憎しみ」の流通をやっていることでしかない。

憎しみというものは、強烈な力を持っている。そして、力というのはそれを行使する人にとってある種の満足感、充実感といって良いようなものを発生させている気がする。だから、「先が見えない」「どうして良いかわからない」といった不安定な状況になった時、憎しみの持つ確かな感覚、強い感情の発露、興奮し活性した状態、その高温高圧の状況での「存在感」を欲しがるのではないだろうか。

「お前は悔しくはないのか?」といったように、喧嘩の場で憎しみの感情を持っていない人というのは、その喧嘩に参加していないと見なされる。喧嘩の仲裁はそういう人が行うし、その際に、感情的ではないというのが条件となる。もしも、仲裁者が感情的になってしまえば、それはもうその喧嘩へ参入したことになって、喧嘩という場に存在することになる。そして、仲裁する能力の源である「敵味方のきらいなき」立場は失われる。つまり無縁の存在でいられなくなる。

縁切り寺への「駆け入り」は、他者との離縁を求めてというよりも(これには滞在期間が数年必要でその間にある程度「熱」は冷めてしまうだろう)、もっと切実に目の前で起こっていること、つまり自分の感情の強烈な発露である憎しみ、それからの離脱である「平和」を求めてなされてきたとも言える。

July 2, 2015

【194】分かり合えなさを持ち寄る。

そう見えてるのかどうかはわからないけれど、澪とよく喧嘩をする。
喧嘩をしながら、いったいなにが起こっているかというようなことを考えている。

そして、最近、明らかになってきていることとして、
僕にとって喧嘩をしていて困るのは、
憎しみの連鎖というか、
とにかく憎いということのみがやりとりされるような状況になって、
そうすると、もう文字通りその縁を切ってしまいたくなる。
憎しみという縁は縁の中でもものすごく強力な縁だと思う。
この状況になるともう僕はどうしようもなくなる。

で、その他には、と思って、はたと気がついたのだけど、
それ以外のことについては僕は喧嘩してもたいして困っていない。

何か次の用事が決まっていて、
喧嘩をしているとそれに間に合わなくなるとか、
そういうことがあれば喧嘩で困るのかもしれないけれど、
最近は、そういう困り方もしない。

喧嘩というのは、
喧嘩をしている者同士の見解の相違、
意見の対立によって生じているのだけど、
僕はその見解の相違や意見の対立そのものには
たいして困っていない。

どちらかと言うと、
お互いに分かり合える、
ということに対しての方に疑問がある。

分かり合えない、
ということの方が広大な世界が広がっていて、
そっちの方が面白いし、
なにか希望を感じる。

わざわざ他人と一緒にいる理由なんて、
分かり合えなさを持ち寄るぐらいしか
意味はない気もしてくる。

とすると、喧嘩は
憎しみというもののもつ強烈な力だけが
取り扱い注意なだけであって、
それ以外はそんなに気にする必要もないと思える。

喧嘩はだから僕にとっては、
自分の好きな食べ物を買って持ち寄って披露してみんなで食べる
「持ち寄り食会」みたいなものなのだ。

July 1, 2015

【193】声のコミュニケーションとしてのfacebook。

澪がfacebookを辞めるというので、僕もそうしようかなと思って考え始めた。

SNSを退会するということについてのハードルというか、心理的障壁のようなものについては、以前twitterを退会するときにブログにも書いた。
【009】Twitterをやめてみると決めてからが長い
facebookもほぼそのままあてはまる。ただ、twitterとfacebookという仕組みそのものの違いは自分の中ではっきりしておきたい気がするので、それをまとめてみる。

まず、僕が他人に何かを伝えるときに大きく2つの方法がある。

一つは声、もう一つは文字。

声は「瞬間、目前、肉体」。
声は、その瞬間に肉体によって目前に向けて発せられる。

文字は「永続、遠隔、物体」。
文字は、永続する物体によって遠隔に向けて発せられる。

手紙は文字を扱う死のコミュニケーションで、それが読まれる時に差出人が生きていることを証明できない。どんなに頻繁にやりとりをしたとしても、書かれた瞬間には生きていたということしか確かなことがない。

声による「話」は、発話と発話の間の沈黙ですら、生きているということを確認できる。

まとめてしまえば、声は「生のコミュニケーション」、文字は「死のコミュニケーション」と言える。

facebookは基本的には「投稿する」という文字のコミュニケーションで成り立っている。
だから、死の側に位置するのだけど、手紙や書籍やブログなどの文字メディアでは感じない「生」の息遣いを感じ取ることができる。facebookは、死のコミュニケーションをベースに、生を演出したシステムである。

それは、facebookというシステムが、単に「文字列の投稿と表示」というウェブ上のITシステムとしてではなく、人間関係のネットワークそのものとして構成されているからだと思う。facebookという仕組みは、人間関係という網の目の上を行き来する個々の行動の伝達である。あたかも神経を伝わる信号のような。

「友達」をつなぎあわせ、その「友達」たちの行動、例えば誰かが誰かの投稿に「いいね」した、誰かが誰かと「友達」になった、などの行動を出来る限りリアルタイムに「友達」たちに流通させることによって、自分を含む「友達」たちが今この瞬間もそこに生きて存在(生存)しているように見せかけている。

facebookにログインしていない間、facebook上のアカウントは、ブログのように「死んでいるかもしれない」とは認識されず、単に「黙ったままで動かない目の前に生存する人」のように振る舞う。もしも、現実世界の生身の僕が死んだとしても、facebook上では単に黙ったまんまの人になる。死んだとはみなされない。

twitterは、限界まで微分して、書いた瞬間を読む瞬間に近づける。個人をその瞬間でスライスして、別の個人のスライスとを混ぜて重ねる。それによって人間は、連続性のある存在ではなく、現在のその瞬間のスライスとしてしか存在しない。更に、フォロー、フォロワーという関係はtwitterでは「人間関係」を意味しない。だから、facebookの持つ、画面上に表示されている「友達」たちのような、今も確かに生きているという感じがしない。twitterでの「生」は、川の水面を流れてくる葉っぱのように次々と「今生きている」「今生きている」「今生きている」・・・という断続的な生存確認の更新となる。

facebookは、人間関係そのものを再現することで継続した生を演出している。声のコミュニケーションのように、ログインしていない時、つまり沈黙している時ですら、生きている感覚をもたらしている。すべての「友達」の投稿が表示されているわけではない(エッジランク)という、どこか釈然としない恣意的な見え方も、生身の人間臭さを演出している。

特に目的もなくfacebookにアクセスしてしまう、そのついでにいろいろと「友達の友達」をクリックして見てしまう、というような動作を自分がしてしまっているということからも、facebookという世界に自分の分身が出現している気分がしてくる。こういう、もうほとんど意識的でない、無意識とも言えるようなウェブページの閲覧行動がリアリティを作り出している。facebookという世界に「僕出張所」ともいうべき仮想的な自我=アカウントがゾンビのように出現している。

同じような閲覧行動はtwitterでも生じるけれど、過去の投稿をたどっているようにしか感じられず、facebookのような人間関係のネットワークそのものが常に更新し続けていて、今この瞬間も「友達」が新たな「友達」を得ていて、「友達」が「友達」の投稿に「いいね」し続けているはずであるといったような、更新され続けている現在の人間関係を移動しながら俯瞰的に見ている気分はない。

facebookの画期的なところは、これまで文字メディアが負っていた断続的な過去に対してしかできなかった「生」の証明を、「関係」そのものと文字とを同時に流通させることによって、連続的な現在の生=声に近づけたところにある。