November 1, 2014

【言葉の記録3】コトバのキロク公開収録 第3回

(まるネコ堂ウェブサイトからの再掲)

第3回  引用ってドキドキするんですよ。するのもされるのも

大谷:
往復書簡。公開書簡か。
雑誌とかでよくあるあれ。
なんか憧れてたんだよね。

小林:
(笑)

大谷:
ブログのやりとりはなんか、
そういうのができてうれしい感じがあって。
引用。お互いに引用する。
引用ってものすごく敬意を払う行為だなと思っていて。

文章を書くって結構大変で、
自分の考えを晒す形になる。
それを引用は切りとる。
その人の出したものを切り取って、
でも切り取られた分はそのまま、
一字一句変わらないものを自分の中に一度入れて、
またそれを形として出す行為。

けんちゃんていう人を例えば切り刻んで、
その部分を僕に移植して、
それによって僕というものができるくらいの感じがしていて
ドキドキするんですよ。
するのもされるのも。

小林:
うん。

大谷:
僕が勝手に師匠だと思っている、
その人は思ってないかもしれないけど、
編集者の人がいらっしゃって。
もう亡くなられてるんですけど。

その人に一度だけ僕が書いた文章の一部を引用されたことがあって。
それはすごくうれしかった。

これはちゃんと話したほうがいいのかな。
僕は地元が京都の宇治なんですけど、
黄檗という駅があって、
その近くに住んでいて、
その黄檗のことを書いた雑誌を作っていた。以前。

その雑誌を作っているってことをその人は知っていて、
僕がなぜその雑誌を作っているかを
その人の編集しているメールマガジンに書いた。
そこから引用されたんですけど。

黄檗という場所は、特段何もないところなんだけれど、
でも僕にとってはいろいろ面白いものがあるみたいな感じの
そういう文章だったの。

そこに僕の師匠がたまたま仕事かなんかでやってきて
その黄檗の街を見たと、
その時のことを自分で書かれて、
大谷っていうやつがいて、
大谷が言うにはこの辺りはとりたててなにもないっていう
僕の文章が引用されて、
でもこんなに色んなものがあるんじゃないかってことを
書いてくれた。

文脈的にいうと僕の言葉は否定される材料として、
大谷がこう言っているけれどもそうじゃなっていう
文脈で引用はされているんだけれども、
すごいそれこそが僕が言わんとしていたことというか、
その人がそう書いてくれたことを
僕は言おうとしていたという感じがして。
うれしかった。

唐突なんだよね引用って。

小林:
唐突?

大谷:
唐突。

読んだら「あっ」てなる。
あ、当たり前か。知らないで読むからか。

小林:
引用されたってことをね。


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