November 13, 2014

【029】南北朝に匹敵する動乱のわくわく

線が引かれたシミだらけの本と、
黄色くなった切り抜き、それと猫。
講読ゼミが面白い。仲間と本を読む。よってたかって読む。

僕が特に気にならず読み進めてしまったところを別の誰かが掬いあげてみせる。すると思わぬ景色が見えてきて、あぁ自分だけでは到底辿りつけなかったと思うようなところへ行ける。

来年1月からは網野善彦の『増補 無縁・公界・楽』を読む。いよいよという感じ。好きな本だけど、なかなか難しい。読んでも読んでも読みきれない感じが残っていて、それを仲間と読めるのはとてもうれしい。

そういうわけで、そろそろと準備を始めようかと思って、でもいきなり久しぶりの『無縁・公界・楽』に挑むのはちょっとためらいがあって、あえて『日本の歴史をよみなおす』から読もうと、自宅の本棚にもあるけれど、先日父の本棚で見つけた同じ本を手にとった。

父は切り抜き魔で、たいていの本にはその本にまつわる新聞の切り抜きが挟んである。本だけでなく音楽CDにも挟んであったりして驚く。

『日本の歴史をよみなおす』も例外ではなく、発行当時の新聞記事がいくつか挟んであった。インタビュー記事があって、当たり前だけど、その頃は網野さんは生きていたんだなと思う。

その一つ、1991年5月11日(土曜日)付の日本経済新聞の記事で網野善彦は、
南北朝動乱期は列島全体に視野を広げてみると古代、中世、近世などの区分とは次元の違う日本の社会構造、民族的体質にかかわる大きな転換期だったと思う。
と言っている。網野史学において南北朝動乱期が何よりも大きな日本の転換期と位置づけられているのは有名な話で、この言葉自体は著書を読んでいればすんなり読める。

僕がびっくりしたのはそれに続く次の言葉、
いわば現在進行中の大変化に相当するような社会的な転換期だったと考えているわけです。
新聞記事から、どれぐらい本人の発言したニュアンスが残っているか簡単には判別できないけれど、この通りに発言したと捉えると僕には震えがくるほどの言葉。

一体何をもって「現在」がそれほど大きな転換期だと言うのだろう。「現在」とはいつ頃からを言うのか。残念ながらこれ以降の記事中に「現在」への言及はない。

しかし、すくなくとも、網野善彦が南北朝動乱期に匹敵するという社会的転換期をすでに僕たちは生きてきたし、今も生きている。

これはとてもわくわくする。本当にわくわくする。
ラピュタを見つけたパズーの気分。


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