(まるネコ堂ウェブサイトからの再掲)
第9回 引用を含めた言葉の品というもの
大谷:引用って、ルールに基づかないと引用にならなくて、
そのルールに基づけば承諾を得なくてもできるっていう、
そういう仕組そのものを引用っていって。
それが僕はすごい素敵な仕組みだなと思うんですよね。
僕が引用したことを引用された元の人は知らない。
まあ、網野善彦なんかもう知りようがない。
死んでるからね。
でもできるっていうのが、素敵なことだなって。
小林:
敬意のない引用があるんじゃないかっていうのを
僕はモーリー(森)の問に含まれてる気がして。
森:
僕の中でそういう問はない。
あ、僕の中では敬意のない引用はあったんやけど。
それを問としてききたいわけじゃない。
小林:
あ、僕は聞きたいです。
大谷:
敬意のない引用。それはできる。
すごく都合よく。
ほんとに都合よく切りとっちゃえばあると思う。
政治家のインタビューみたいなのって
編集である言葉だけを抜き出してそればっかり流しちゃえば、
全文を聞けば違うニュアンスがあるのに、みたいなことはできるし、
それと同じことが引用でも作れる。
だからそんなことをしちゃいけない。
森:
けんちゃんがそれを疑問として受け取った感じにおいついてきた。
ああ、あるかもしれんと思って。
あまり前後のことを分からずに人のことを引用するって
大胆な敬意やねっていうことだけ切り取って聞いた時に、
びっくりすると同時に、
そうじゃないこともある感じが残っていて、
それが言いたかったんやね。
文章のことを言ってるんやけど、
言葉でしゃべる時もそういう引用って頻繁にやってる気がして、
それを敬意をもって人のことを使うというか引用する。
あるいは大胆な敬意をもって引用しているのか。
引用を含めた言葉の品というか
そういうのが僕の中にあると思っていて。
まあ、大胆やなーというか
品位を持って引用できる人になりたいなとか
品位を大事にしたいなみたいな感覚は
僕の中にあるんや。
そのへんところにやっぱアンテナが。
引用ってことに対して敬意という言葉を使ってはったので。
僕も探求したいことなので突っ込んでいきました。
小林:
では時間がきました。
小林・大谷:
ありがとうございました。
「言葉になる前のその何かを直接手で触れるのではないかと思えるほど高濃度な無言」
と書きました。
今回、まさにその無言が、
ふたりきりで話す時よりもはるかに硬質で確かなものとして在ったのですが、
それはやはり文字には残りにくいのだと改めて確認しました。
それでも僕はこの時間に起こったことの何かを文字として記録できると感じていて、
それが何かを掴みたいと思っています。
死んでるからね。
でもできるっていうのが、素敵なことだなって。
小林:
敬意のない引用があるんじゃないかっていうのを
僕はモーリー(森)の問に含まれてる気がして。
森:
僕の中でそういう問はない。
あ、僕の中では敬意のない引用はあったんやけど。
それを問としてききたいわけじゃない。
小林:
あ、僕は聞きたいです。
大谷:
敬意のない引用。それはできる。
すごく都合よく。
ほんとに都合よく切りとっちゃえばあると思う。
政治家のインタビューみたいなのって
編集である言葉だけを抜き出してそればっかり流しちゃえば、
全文を聞けば違うニュアンスがあるのに、みたいなことはできるし、
それと同じことが引用でも作れる。
だからそんなことをしちゃいけない。
森:
けんちゃんがそれを疑問として受け取った感じにおいついてきた。
ああ、あるかもしれんと思って。
あまり前後のことを分からずに人のことを引用するって
大胆な敬意やねっていうことだけ切り取って聞いた時に、
びっくりすると同時に、
そうじゃないこともある感じが残っていて、
それが言いたかったんやね。
文章のことを言ってるんやけど、
言葉でしゃべる時もそういう引用って頻繁にやってる気がして、
それを敬意をもって人のことを使うというか引用する。
あるいは大胆な敬意をもって引用しているのか。
引用を含めた言葉の品というか
そういうのが僕の中にあると思っていて。
まあ、大胆やなーというか
品位を持って引用できる人になりたいなとか
品位を大事にしたいなみたいな感覚は
僕の中にあるんや。
そのへんところにやっぱアンテナが。
引用ってことに対して敬意という言葉を使ってはったので。
僕も探求したいことなので突っ込んでいきました。
小林:
では時間がきました。
小林・大谷:
ありがとうございました。
公開収録を終えて
この企画のための案内文に僕(大谷)は「言葉になる前のその何かを直接手で触れるのではないかと思えるほど高濃度な無言」
と書きました。
今回、まさにその無言が、
ふたりきりで話す時よりもはるかに硬質で確かなものとして在ったのですが、
それはやはり文字には残りにくいのだと改めて確認しました。
それでも僕はこの時間に起こったことの何かを文字として記録できると感じていて、
それが何かを掴みたいと思っています。